九体目「王の王」

 丸太村の出口で待っている間に、日が二つ分高くなっていた。

 やっと出て来たルルガルは、手に竹刺を持っていた。

「つくねだよ」とルルガルが言って、一つ差し出された。三つ、肉の団子が付いている。「昔は花の根を食ってたんだ。毒抜きをする為にその根を衝いて砕いたから、砕いて丸めて焼く物を全部つくねって呼んでる。花の根は供してもらえなかった。毒に中りたくないんだろう」

「毒は、嫌じゃないですか」

「たちまち命に関わる物じゃない。幾日か痺れが続き、飲み食いが出来なくなるが」

「嫌じゃないですか」

「それでも味が良いなら食いたくならないか」

「これ、何の肉ですか」

「渡り鳥だ。寒くなる前に、蓄えるんだそうだ。行くぞ」

 丸太村には明るい内に着いたけど、この先、やっと剣の瀬渓谷に入るので、物置小屋に泊めて貰って、明けたら早くに出発する予定だった。予定は、早々崩れている。つくねは高地で塩が希少だから、味は薄いけど、香草が使われていて味は良かった。毒も入ってなかった。

 これが食べられるなら、待って良かったんだと思う事にした。

 また渓谷に近づいて、踏み固めただけの山道を兎馬に乗って進んだ。

 後ろのルルガルは僕の背中に顔を押し付け、息を吸い、吐き、吸い、坦々としていると思ったら眠っているようだった。僕にも手綱にも掴まらず、横向きに座っているだけで、滑り落ちそうな様子はない。荷を乗せる棚板はあるけど、それだって、強く踏んだらカバンを蹴落としてしまう事になるだけだ。ルルガルは、何なのか、生きてはいないような軽い体だった。

 流した血よりも、更に多くの物を取り込んで、元には戻ったらしい。

 ローブも、村に暮らす老女に頼んだら、僅かの間に穴を塞いでしまった。

 当てた布は、裾を切り取った物で、だからローブは少しだけ短くなっている。

 足首の骨までは見えず、靴を、何も履いてない事は分かった。元から素足に見えるとは思ってたけど。この冷たい足で、ルルガルは砂利の上も、湿った泥の中も、木の根も、敷石も歩いていた。そこが炎海でも凍土でもルルガルは同じように歩いて何も考えはしないだろう。

「半天に日が掛かりそうだけど、間に合うのかな」

 空は明るく、葉の色と混ざって瑞々しく光っていた。

「行けば、間もなく分かる事だからな」とルルガルが眠る声で言った。

 パラグラフとの戦闘が起こって、増援を送って、鉄の王が現れた事で両軍に多くの損害が出て、勝ちも負けもなく戦闘が終わった。その規模は、ぐるり一回りに手を伸ばし、目を向ければ届くような小さな場所じゃない。それこそ渓谷の、落ちた橋の向こう、パラグラフ領の森まで戦場が広がったはずだ。「ラパンが生きていないようなら、その場所だって言える」

「頼りになりますね、それは」

「本当だ、本当」僕は肩を叩かれ、レンテの左に落ちそうになる。「今もそこに」

「え、っせい、と……そこにって」

「止めろ」と言われ、僕は手綱に止まれの合図を伝え、レンテが足を止めた。

 ルルガルが滑るように地面に立ち、道を外れた茂みの中に入っていった。レンテに進めの合図を伝え、急ぎで黒いローブを探した。木が少なく、広がった場所に、ルルガルは居た。地面に向けた一指は、矢のように伸びきって、その先には皮鎧と折れ曲がった矢が落ちていた。

 草に埋もれている部分は、もっと薄い色をして、その皮は湿っているようだ。

「撤退するところで力尽きたようだな」

 その体を表に向けると、どちらかの兵隊らしいけど、顔も見分けられなかった。

 戻ってきたルルガルは、レンテの横を通って草の深い斜面に向かうと、そこに座って何かを探し始めた。「行かないんですか」と聞いても何も答えない。「兄様を探さないと」何を言っても動こうとしないので、少し先に行こうとするとレンテが前肢を上げて暴れだした。

 鎮めようと、手綱を引いて、またルルガルにも目を向ける。

 泥だらけの手で白粘薯を掴み上げて、顔は輝くように笑っていた。

「ルルガル、馬の様子が」

 その目が早々に鋭くなる。「おい、どう……顔の前、右に二歩だ。誰か居る」

 前だった所は、忙しく動き回るレンテのせいで、後ろになったり、左だったり、また右になった時に、やっと見る事が出来た。木と木の間に木ではない黒い影があった。馬の背の横から滑り落ちて、レンテの体を押さえながら、僕は影の方に近づいていった。木と木の間が開いていって、そこに木よりも小さい、獣か、違う、人が立っている。長い尾か胴体に見えたのは、丸太のような物を持っているからだった。木を切って生活している人々が居るから、それと同じだと思った。「下がれ、シマパン」後ろから、ぶつけるような声が追い掛けて来る。

 丸太と思った物は棍棒だった。

 片側の先は細くなって、細い革紐を巻きつけてあった。

 逆側は太く伸びていて、鉄製の鋲が疎らに打ってあった。

「こんな森の中に童人と身なりのいい……なんだ、その女は」

 僕からルルガルへ、目を動かした男は、剃り上げた頭を掻き毟った。

 それは頭の左側だけで、右側は腰に届くほど伸びた髪が、七、八本くらいの束に編まれていた。蛇の群れみたいに、縛り付けた飾りの重さで、それぞれが別の動きで揺れて、それぞれに考えを持っているみたいだ。衣服は汚れの一つもない外套の下、革の帯を腕とか肩とか腰とかに巻きつけて、太い長穿きの裾は地面に余って濡れていた。棍棒の他に、武器は無い。荷物さえない。耳に銀の輪を二つ通している。鼻の穴の間にも。目の近くにも、二つ並んでいた。

「パラグラフの兵隊か」とルルガルが聞いた。

「ホホエニ・ヴィッセルマン」男が答えた。

 僕らが何も言わないので、男は悲しそうに首を振った。

「名前だ。そして我は王の王だ」

「王が国で一番に偉いのだから、その上に王は居ないはずでは」

「分からないか。ここで戦が起こった。まだ何夜も経っていない」

 少し広がった場所があるだけで、その周りも、ずっと木が並んでいる森だ。

 どこからどこまで、と考えたら、全て戦場には見えない。だけど、よく見れば木の幹に矢が刺さっていたり、剣で切り付けたような傷があった。「鉄の王が、武具防具を体に纏って飛んで行ってしまった。まだ討伐されていない、数少ない王の名だ。鉄の王は鉄を欲し、ならば王の王が欲するのは王、他の十六ある竜骨だ」それだけ言うと、ホホエニは鷹揚な顔をした。

「それで鉄の王を追っているところなんだな。もう、下流の方に行ったんじゃないか」

 ルルガルは泥で汚れた手に、白粘薯を持ったままだ。

 即座に大足で歩いて来たホホエニに対し、毛の生えた細い根菜を振り上げ、ルルガルは何かに抗おうとしていた。僕が先に前へ出る。棍棒が遠ざかり、棍棒が近づいて来る。その手元を取った。それより早く脇腹を打たれた。それだけで、胸骨が割れそうな衝撃に襲われた。

「ああ、そうだ。逃げた後だった。それで、ここに居るのは何だ」

 ホホエニは僕を睨む。ホホエニは片手で棍棒を持っている。

 手元を押さえれば、奪い取る事も、軸にして投げる事も出来る。

「追うな」飛んで来たルルガルの声の後に、ゆっくり仰け反っていくホホエニの、顔を見ようとしてしまった。上から、ホホエニが落ちて来る。と、岩が落ちて来たような重さに、顔を潰されたと思った。足元が消え、僕は地面に尻を置いていて、光ったり暗くなったりする目の中に、ホホエニが更に大きくなって、そこから僕を見下ろしていた。「これがそうなのか」

 また仰け反ると、次は後ろの空に何かを見ているようだった。

 その時、ホホエニの周りの、地面の土が舞い上がった。

 生えて来た木のような物は、白く、いくつか、五つに枝分かれしていた。

 もう一つ、その間に、大きな果実のような物が生え、枝はしなっていた。

 籠が現れた。

 羽が現れた。

 柱が現れた。

 鞍が現れた。縦に横に組み合わさった白い枝は、まるで、人骨のようだった。

 二つの暗い穴と、並んだ歯を剥き出しにした、丸みのある頭骨。首、肩、腕、背、胸、腰の骨と、背中の骨から右と左に広がった櫛のような骨は、竜の翼みたいだった。手の指の骨だって、人よりも長くて鋭い。「これが全ての竜骨を束ねる力を持つ、王の王の竜骨だろう」

 ホホエニは後ろに下がりながら、骨に向かって何かを命じたようだ。

 骨の腕が振り上げられる。骨の暗い穴が僕を見つめている。骨の別の腕が地面を掴んで、支えにしている。あれが振り下ろされたら、僕の体は二つに裂けるだろうなと思った。短剣で受ける事もできない。逃げなければと思い、逃げられないと思った。そして五本の鎌が襲いかかる、その音さえ聴こえた時、何かが僕の腕に触れた。押されて、僕は地面に倒されていた。

 弾き飛ばされた土、その中の小石が顔に胸に当たって冷たい痛みが弾けた。

 黒い物が落ちて来る。ローブを纏ったルルガルの腕だった。

「ルルガル、腕が」

「いい、逃げろ。戻ってポーラポーに」

 次の一手は、ルルガルの胴体を深く貫いていた。

 暗くてよく見えない。まるで、というより、まさに、また土が舞い上がっていた。

 ここにあると言っていた、ルルガルの竜骨かもしれない物が、現れるのかと思った。

 土は、僕の周りにだけ煙が立つように舞って、地面は水が流れるようにずる、ずると滑っていた。見るとまだ湿っていて、草も何も生えていない。丸く抉ったような穴になっていた。土は更に巻き上げられ、穴は更に掘り下げられ、気がつくと周りが地面になっていた。空は小さな丸い形に切り取られ、白い骨が赤い血を撒き散らして、横切っていくのが少し見えた。

 その後に黒い塊が空を横切ったようだったけど、鮮明に見えてはいない。

 更に深く、更に地面へ。

 骨の手が迫ると、穴が塞がれた。

 更に深く、更に地面の奥へ。

 固い地面の中を僕は傾斜の上に居るように滑り落ちていた。

 止まったのは、一つの山を下りたくらいの時が過ぎてからだった。

 丸く切り取った地面の中に、僕は居る。何も見えない。服にも髪にも土が付いて、指で払うとどこかに落ちた。手を出すと土の壁に触れる。爪で掻くと土が剥がれる。やりすぎると埋まってしまうだろう。曲げた体が入って、どこの壁にも手が届くくらいの広さしかなかった。

 立ち上がれないし、体の向きを変えるのも大作業だ。

 ルルガルの秘石だ、と思ったところで、カバンも、馬も地面に、まだ遠い上方にある。手元にあるのは、抜かなかった短剣と、何かを抱えている事にも気付いた。布に包まれた、水で粘っている温かい棒。片側には、滑らかな布の下に、いくつも角が突起のある部分があった。広げると細い棒に分かれて、その滑らかさが人の皮だと気付くと、触れるだけで気が休まる。

 手の中に三つの小さな石があって、指で探ると線が刻まれているようだ。

 四つに分かれている。三つに分かれている。角から角に二又が二つある。

 掘れ、という事なのか、掘れるのか、分からないけど。まだ尽きてはいない。

 まだ短剣があるし、そこへ秘石術を試みるくらいの余地は持っていいだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る