最終話:解けたあと
「おちおちとカメラに写るのも、バイクの修理も出せねえ時代だな」
報告書のコピーを、達先警部補は自身のデスク上へ放り投げた。結愛のスクーターに関するものだ。
「楽しく撮ってくれたはずなんですけどね」
カメラと言ったのは、同窓会に居る俺のこと。賀屋にもらった写真を見返せば、いつのタイミングか覚えていないものも多い。いくらかの画像で、俺の腕時計がはっきり判別できた。
「悪意がないから始末が悪い、てことも往々なんだよ」
「それはまあ、分かりますけど。やっぱり荒畑みたいなのが悪質だし、狩野社長にもいい迷惑です」
報告書によると、結愛が狩野モータースを訪れた際の作業伝票は荒畑の自宅で発見された。ちょうどの大きさのビニール袋に入れ、さらに菓子箱へ入れて引き出しへ納まっていたと。
そのことを聴いた狩野社長が、俺へ謝りの電話を直にかけてもきた。下世話な噂が広まり、しばらくはまともな営業も難しそうなのに。
「車両番号と結愛の名前とだけなのに、あんなに執着するものなんですね」
「名前だろうなあ。お嬢ちゃんの直筆だろ?」
「そうみたいですが」
当人が少しでも関わったものを。特に付きまといに及ぶような連中が、後生大事に扱うのは知っている。有名人がちょっと触れただけの小物が景品になるのと同じ、と理解はできるけれども。
「その点、細間は割りきってたってことですかね。あちこちで乗り捨てるようにしては、また乗ってたみたいですが」
「さあな。推し、つーのか。俺にはそういうもんがない」
「奥さんは推さないんですか」
「う、うるせえ」
細間の神出鬼没さが謎だった。蓋を開けてみれば、結愛のスクーターを借りていたらしい。それで必ず俺を尾け回していたでなく、俺が結愛に話した内容から予測して先回りすることもあった、と。
「……最初の現場へ行かなきゃ、荒畑は死なずにすんだんでしょうか」
達先警部補が細間から取った供述調書に書かれている。
──寄依町の道の駅前で、利用できそうな刑事を品定めしていました。中洲川刑事が来てくれれば願ってもないことです。
夜食にありつこうと結愛の家へやって来たあの男は、そういう心持ちで俺を計画に組み入れた。
「お前が気にすることじゃねえ。自分がこれこれしたら人が死ぬ、なんて考え始めたら寝床からも出られねえや」
「いや、まあ。可能性としてですよ」
「そんなもん、あのお嬢ちゃんを救うためだ。結果は同じだろうさ、お前を陥れるのが目的じゃねえんだからよ」
血の海に浸かる不破を見下ろし、どうしたらそんな風に頭が働くのだろう。
「頭の作りが違うんでしょうね。俺には考えられません」
「どっちの意味だ?」
「どっちって、ああ。どっちもですけど、特に倫理的にでしょうね」
「自首しようって勧めるわけだな、お前は」
「そのときの俺なら、すぐ」
「今のお前なら?」
出勤してすぐに開けたアイスコーヒーのパックが、正午を前に空になった。一杯分を達先警部補のカップと等分にして、パックを丁寧に折り畳む。
警察官として「自首しよう」以外の答えはあってならなかった。特に今は、捜査一課長が席に居る。
「初めて入りました。結愛の部屋に」
「女の子の部屋ってのは、入ったことがねえな」
「俺もです。でも誰でも、好きな芸能人とかキャラクターとか。趣味で集めてる物とか、少しくらいありますよね」
実況見分で見たそれを、俺には私室と呼ぶことができない。
「なにもなかったんですよ」
「寝起きしてたんだろ?」
「一人のときはそうらしいです。だからベッドとテーブルと、小学生から使ってる感じの机はありました」
「余計な物を置かないのが、はやってんだろ」
実況見分調書に、この人が目を通していないわけがなかった。さっきも言われた、「お前が考えることじゃない」ということと思う。
でも。うるさいくらいにざわめく一課の部屋で、雑談めいて吐き出すことを俺は選んだ。
「ミニマリストとか、そういうのとも。展示場の家だって、もっと人間の臭いがするはずです。ピンクの好きな結愛の部屋に、色なんてものはなかった」
天井や壁の白。床と机の、木の色。ベッドにかけられたカバーのベージュ。
これらが色でないと言えば差別のようだが、俺にはそう感じた。
「ふん。足りないとすりゃ、手垢の色だ」
「……ああ、そうかもしれません」
俺のデスクの、昇任試験の教科書を立てた間。古木の年輪を想像さす警部補の指が、おもむろに挿し入れられた。
止める理由はない。スムーズに引き出された封筒が、無造作に振られるのも。
封筒は、俺が用意したものだ。結愛が書いた手紙を入れるために。手紙といっても、生命保険の勧誘で配られるメモ用紙に一枚。
ごめんなさい
貴方のことも、誰のことも
なにが嫌だったわけでもありません
あの人は、一番の席に置いてくれる
こうしてくれたらいいのに
そう考えることがない
ただそれだけで、つまり私のわがままです
どういう意味だろう。
好きな人が、人を殺したとき。同じ罪を犯し、同じ目線で助け合えることを、心から悦んで笑う。
そういう人間であれ、ではない意味を必死に捜した。
「お前、水は好きか」
「水? 飲むのにですか。好きと明言するほどじゃないですが、コーヒーでもお茶でもなくってことはあります」
「うん、コーヒーでも茶でもいいんだけどな」
言いつつ警部補は、俺の足元へ空いたほうの手を突っ込む。また勝手に、無印の大きな紙袋が引き摺り出された。
お菓子だの腕時計だの。さほどの大きさばかりだが、いっぱいに詰まっている。
「こりゃ重いな」
「ええ。どうやってお返ししたらいいか」
俺が細間に捕まり、閉じ込められたこと。多少の怪我をしたこと。噂が広まり、なぜか腕時計を壊されたと聴いた人もあった。
県警本部に勤める人たちに、見舞いと称してもらった。包装を開いて驚いた物も多い。
「女ばかりだろ」
「そうでもないです」
「八分九分ってのを世間じゃ、ばかりって言うんだよ」
「はあ」
見舞いを受け取るのも、恥ずかしくて堪らなかった。知らなかったことにと突き返せもせず、仕方なくこうなったのだ。
正直を言うなら叱られても困るし、なおさら恥ずかしい。
「世間一般に、お前が大事にされるって証拠だ」
「水やコーヒーみたいにってことですか」
愛好家的な話をするなら、水は違うような。いやそうか、無下にされないという大事さもある。頷いた俺に達先警部補も頷いた。
「しかしドクダミ茶でなけりゃ、ってな奴も居るんだよ。ジャスミン茶でも苦丁茶でもいい」
なるほど。珍しく、分かりやすく慰めてくれるようだ。ただ、その喩えで言うなら
「俺を濾過したフィルターは、実はコーヒーなんか嫌いだったわけですね」
「笑えねえな」
「どっちの意味ですか」
「どっちもだ」
ごくごくと喉を鳴らし、警部補はカップを呷る。「ですね」と自分で笑った俺は、冷蔵庫から新しいアイスコーヒーのパックを取り出した。
「本当に俺がコーヒーなら、もっと旨いのになりたいです。なんとか賞、受賞みたいな」
少し粘り気さえ思わすような、漆黒の滝。並々と注がれた泉を、警部補はまた口に含んだ。
「勝手に頑張れ」
さすがにひと口だけで、カップはデスクの奥へ押しやられる。
そこに置かれた、これまた生命保険の名前入りの卓上カレンダー。手を伸ばした俺は次の月を捲りつつ問う。
「お盆に休みをもらってもいいですか」
「日本人は盆に休むもんだ」
「ありがとうございます。ちょっと新潟へ行きたくなりました」
もう一ヶ月ない。さっそく休暇届を取り出し、ボールペンを握る。すると、ざわめきを切り裂く無線の声が聴こえた。
『至急、至急。司令室から全署へ。現在、強盗致傷と思われる百十番を受電中。被疑者は車両にて逃走の模様。繰り返す──』
とりあえずお預けらしい。ボールペンを胸ポケットに挿し直し、俺は捜査車両の鍵を握った。
── 執着の殺人 完結 ──
執着の殺人 須能 雪羽 @yuki_t
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