小さなスクリーンにて

ハナビシトモエ

小さなスクリーン

 一世一代の勝負になる予定の今日、部活の先輩鈴原さんと映画館デートだ。お父さんに山をいくつ越えた富山に車で連れて行ってもらう約束をしていたのに腰が低気圧で痛いと言い出した。


 そんなの聞いていない約束したじゃないかと言ったら「男は大勝負には一人で戦うものだ」と言ってのけた。約束を反故にする大人にはならないようにしないと、こういうところが大人のずるいところだ。


 ゴジラを見る予定だったのに高速バスでも富山に行けないし、特急しなのに乗っていくのはお金がかかりすぎる。


 一晩頭をひねって考え出したのは喫茶かずしげでひたすら飲めないコーヒーを飲みながら宿題を見てもらう作戦。図書館で宿題を見てもらう作戦。


 勉強ばかりだ。



「洋介。割引券あるからやるよ」

 腰痛のはずのお父さんが元気に歩いて、小さなビラを渡してきた。


「小さな名画館。そのべ開館記念映画祭り、学生無料?」


「なんでもオードリーヘップバーンとかやるらしいぞ。哀愁とか」


「誰それ」


「俺も知らん。でも恋愛映画だとは知っている」

 恋愛。ほう、せまい映画館で鈴原さんと一緒。と思われるかな。


 一晩考えたので、調べる時間は無かった。お父さんから二枚のチケットを奪い去り、僕は玄関を飛び出した。集合場所の中学校前に鈴原さんは先についていた。



「すいません、遅くなって」

 目を合わせてくれない。終わったのか。

 同級生に見られるリスクを考えずに鈴原さんと中学校前を集合して、まだだけど、三十分遅刻だよな。



「楽しみで」

 頬が染まった姿を見て僕もそれほど鈍感ではない。


「い、行きましょうか」


「うん」

 そうやって両並びになって歩みを進めた。何か話したい。何を話せばいいか分からない。手を繋いでみようかな。引かれるかな。どうしよう。どこに行こう。



「その」

「あの」



 何を言おうとしてくれたのだろうか。僕は今日はくもりで蒸し暑いですねと言おうとした。そんなに大したことは無い。


「その鈴原さんどうぞ」


「井山くんこそどうぞ」


「どうします? いちおう映画のチケットがあって」


「富山に行くの? どうやって?」


「その映画館が高山に出来て」


「え、ほんと? 映画好きなんだ」

 いい反応に楽しくなった。緊張や恐れはなく映画館で映画を観て、二人だけの空間で手なんか繋いだりして、いける気がする。


 ビラの通りに道を歩くと歩いているうちにこの先は住宅街のはずだと思った。住宅の中に映画館があるのかもしれない。それはそれでワクワクするものがあったり、ムードが悪くなるかもしれない恐れがあった。


 上映中に近所のおばちゃんが入って来たらどうしよう。


「ここなのかな」


「ここだと思います」

 大きな武家屋敷風の建物だった。なぜ武家屋敷ではなく、風なのだというと明らかに新築だからだ。

 大方、外から来た人が高山で武家屋敷にしたかったのだろうなと思える門構えだった。


 表札があるべき場所には紙一枚でと書いてあった。


 大丈夫なのか顔を見合わせた。



「開館祝いやってるから見て行ってや」

 聞きなじみのない言葉や若そうな声に少し驚いた。鈴原さんもそうみたいだ。


「あぁ、ビラ? それやったら学生さん無料でジュース飲み放題にポップコーン食べ放題やから中におる男に言うてな。まずはティファニーで朝食をやから、中学生には難しいかな」


「私、知ってるかも。ムーンリバー」


「そうそう。おねえちゃんよう知っとるわ」

 全然、ついていけない。


「中に入ろうよ。一回見てみたいわ」

 さっきのみなぎる自信はすっかりしぼんでしまった。


「そうですね」

 僕の意気消沈を見たのかどうか分からないけど、さっさと入ってしまった。



 ティファニーで朝食をなんて知らないと思っていた。ちょっと調べていたら良かったのに、何も考えずに来てしまった。



 あんなに楽しみにしていた僕の初デート。

 観てもよく分からないストーリーにあくびをかみ殺して、横目で鈴原さんを見た。


 静かにまっすぐスクリーンを観ていた。自分の行動が水を差すみたいで手を握ろうとした手が止まった。主人公の女性が何者か分からないし、白黒でやや観にくい。


 特急しなのに乗って富山に行けば良かった。そうしたら流行りの映画であの声優や俳優がどうって話が出来たのに。


 僕がこう思っていることを前を向きながら、鈴原さんは察しているし、このあとのプランも流れることだろう。



 最初から喫茶店にすれば良かった。最初に頼んだコーラはきっとすっかり薄くなっているし、宿題は明日締め切りだ。



 映画は終わったが、次の映画を観ようといった鈴原さんに僕は喫茶店に誘う瞬間を逃した。そもそもジュースを飲んでいるタプタプのお腹でコーヒーを飲んだらもっとタプタプだ。


 喫茶店も図書館にも行けず、人生で最初で最後のデートは終わって、鈴原さんともの先輩と後輩に戻る。もしかしたら映画好きの男を捕まえるかもしれない。それを僕は陰から見ている。僕のターンは映画館に来るまでに終わった。



「終わったよ」

 眠っていた。


「ありゃー、やっぱし子供には難しかったか」

 若い男と鈴原さんは楽しそうに話し、感動をしましたと鈴原さんは顔を明るく染めて若い男に話をしている。

 一方、デートの途中に眠った僕は蚊帳の外だった。初デートに映画で寝る禁忌を犯し、ろくに感想を言えない。


 いたたまれなくなり、荷物を椅子に残して、僕は屋敷の外に立った。

 行きにはくもっていた空から失恋の涙のような暗い雨が降っていた。

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