第4話


 大学二年目は教養課程のコマ数がやや減った。専攻が違う珠季に会う回数も少なくなるが、それはそれでいいんだ。だって、他の男の彼女だし。


 蒼真のイラストは少しだけ売れた。アマチュア小説家からの表紙絵依頼。SNSアイコンとしての使用許可申請。そういうのがあると、ロクに儲かるわけじゃなくてもホッとする。

 描いていていいんだな、て。存在を許された気がするんだ。


「ねえねえ半井なからい

「んだよ、林田はやしだ


 夏休み前に出くわした珠季は、ゆるいワンピース姿。広い首もとが色っぽかった。だけど相変わらず苗字を呼び捨ててくる。蒼真もムキになって「林田」呼びをした。

 周囲は皆「たまき」と言うけど。その方が可愛くて今の珠季には似合うけど。そう思っていると悟られたくはないし、呼び方を変えるきっかけもない。


「夏休み、同窓会あるでしょ。一緒に行こ」

「俺それパス。ボカロのイベントあって」


 同窓会の連絡は来ていたが、ちょうどその日にボカロのリアルイベントが開催予定だった。

 最初に声を掛けてくれたボカロPとは、以降の曲でも組んでいた。イベントの物販に出す商品にイラストを載せるし、絵師に会いたいとのリクエストもあるらしい。


「えー、何それ。実家帰らないの」

「イベント終わったら帰るけど同窓会は間に合わないんだよ。皆そんなに変わってないだろうし、いいかなって」

「……私も変わらない?」


 唐突な直球で言葉に詰まった。

 そんなことない、変わったよ。綺麗になったと思ってる。

 だけどそれは、蒼真と関係ないところで起きた変化だ。彼氏に合わせて変わろうとしたんだろ?

 前の珠季も今の珠季も、どっちも珠季だからそれでいい。でも変身する努力はすごいと思っていた。シンデレラの変身は魔法使いの呪文のおかげだけど、珠季は自分で変わったんだ。

 この世界には便利な呪文なんてない。

 蒼真が珠季を変える呪文だって、もちろんない。そして珠季にどうなってほしいなんてことを考える権利すら、蒼真にはないはずで。


「彼氏持ちの女のこと何も言えないよ」

「――バカ。とっくに別れたわ、なんか合わなくて。観察してるって言ったくせに、見てなかったんだ」

「え」


 特大の爆弾を放り投げ、珠季はプイと行ってしまった。

 取り残された蒼真は混乱の渦に叩き込まれた。もう別れてる? だって校内で会う回数が減ったから観察しようにもできなかったんだ。それはごめん。

 だけど珠季はあんなに可愛くて気さくでいい奴なのに別れるなんて。男の方、見る目なさすぎだろ。

 いや確かに珠季、ちょっとクセは強いけどさ。



 * * *



 ボカロイベントの日はつまり、同窓会の日だ。出掛ける準備をしていたらLINEが鳴る。珠季だった。「別れた」発言以来のコンタクトは他愛のない言葉だった。


〈大人かわいいコーデだよ〉


 そして添えられた自撮りの珠季は――レモンイエローのキュロットスカートに白い七分袖のブラウス。

 見覚えのある姿に蒼真は総毛立った。


〈どや〉

〈キレイめにしたのに欠席とか〉

〈女が変わったら、ちゃんとほめれ〉

〈バカそーま〉


 待て待て待て待て。

 文面が脳みそを素通りする。写真のインパクトで思考が止まりそうだ。

 ――これは、どう見てもあの時の人。


「やっぱ林田だったのか――?」


 今日この服で同窓会に行く珠季。

 その姿が、高三の五月と去年の夏休みに蒼真の前に現れ……そして一瞬で消えた。

 冷や汗が蒼真の背中をつたう。


〈今日行くな〉


 何も考えずに送信していた。止めなきゃ。

 珠季、


 だって「言いたかった」「伝えてなかった」って笑ったんだ、あの時の珠季は。

 幽霊? 残留思念? なんだかわからないけど、最期に言い遺すために俺のところへ来たってことだろ?


〈行くなって何?〉

〈意味わかんない〉


 珠季の返信は素っ気なかった。

 どうすればいい。行ったら死ぬなんてLINEして信じてもらえるわけがない。


〈彼氏でもないくせに変なこと言わないで〉


 そう拒絶されて、蒼真はLINEを諦めた。財布の中身を確認してカバンに放り込む。

 追いかけるしかない。直接引き留めるんだ。珠季にどこで何があるのかわからないけど、間に合うかもしれない。

 勘違いならいい。行っても何もできない可能性はある。でも手をこまねいたまま本当に珠季が死んだら、一生後悔する!



 駅まで走って電車に飛び乗った。急用だとイベントは断りを入れる。故郷の町は在来線で二時間半。午後開始の同窓会には、まだ間に合うはずだ。

 電車内でさっきのLINEを見直した。そしてスルーしていた言葉に気づく。


〈バカそーま〉


「初めて名前呼ぶのが、これかよ……」


 ひどすぎて泣きたくなった。

 だけどどうして蒼真に写真を? 自信のコーディネートを見せられなくて拗ねたのか。だけど俺、おまえの彼氏じゃないんだろ。

 だけどなんでもいい。その写真のおかげで蒼真は今、珠季を救いに行くことができるのだから。

 


 到着した地元の駅で慣れないタクシーを拾った。

 珠季は同窓会の会場までバスを使うだろう。自転車じゃ真夏の陽射しで汗だくだ。ならばバス停から会場まで国道を歩くはず。死亡理由がバスの事故じゃなければ、そこで捕まえられると目論んだ。

 会場最寄りのバス停は――あの橋の近くだった。


 橋のたもとの交差点でタクシーを降り、蒼真は辺りを見回した。ちょうど到着したバスからは同級生が何人も現れたが、珠季はいない。


「どこに――」


 付近で事故や火事のニュースもないし、救急車のサイレンも聞こえない。まだたぶん無事だ。お願いだから姿を見せてくれ。


「いたッ!」


 交差点の先のコンビニから出てきたのは、あの服を着た珠季だった。思い出の中と寸分違わぬレモンイエローの裾が風にひるがえる。

 だが珠季はこちらに気づかずに背を向けた。赤信号の向こう側を歩き去ろうとする。止めなくちゃ。


 幽霊に会いに来られても、そんなの嫌だ。

 生きた珠季と一緒にいたい。

 死なれてからじゃ蒼真にはよみがえりの呪文は使えないんだ。

 ここはイラストの中じゃない。現実の世界で死んだ人間はよみがえらない。珠季に死んでほしくないと蒼真は強く願った。

 だから――。


「たまきィ!」


 ――叫ぶしかないだろ。

 呼ぶしかないだろ。

 これは呪文なんかじゃないけど!


 信号越しに名前を呼ばれ、珠季が振り向いた。

 蒼真を見て目を見開く珠季は小走りに交差点へ戻ってくる。

 その背後で大きなブレーキの軋みと衝突の金属音が空気を揺らし――さっきまで珠季がいた場所に、事故で潰れた大型車が突っ込んだ。交差点は騒然となった。


 間一髪助かりカクカクと膝が笑っている珠季に、蒼真は歩み寄った。


「珠季」

「……なん、で」

「珠季が危なかったから来た」

「なんで、たまきって呼ぶの」


 そっちかよ。蒼真は苦笑いする。


「おまえだって蒼真って呼んだだろ――俺、今日の珠季に会ったことあるんだ、高三の頃に。その話、聞く?」


 まだ震えがとまらない珠季に向かって蒼真は手を差し出した。すると珠季が両手を添えて、「よろしくお願いします」とつぶやく。えーとそれは、交際の申し込みに応えるやつ。今の返事としては違わないか?

 だけどまあ、そうなれば「彼氏でもないくせに」とは言わせずにすむわけで。

 ――それもいいよな、と蒼真は思った。


                                終


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呪文のないこの世界で君が生き残るために 山田あとり @yamadatori

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