第5話 或る少女歌手の死
「佳子と俺は、同じ町内で同い年だった。幼稚園から中学までずっと同じ学校で。親同士が昔からの友達だったんで、互いの家にもよく行った。
でも小学校に入る頃から、男子と女子ってことで意識して、あまり遊ばなくなった。たまに学校帰りに一緒になったけど、みんなから冷やかされるんで、高学年になるとそれも避けるようになった」
山口は話し続けた。
僕をからかっているのか。これは彼の作り話なのか。しかし話はすごくリアルで、山口の話しぶりは感じがこもっていた。
僕はどんどんと引き込まれていった。
「中学校に入って、俺はある女子から付き合ってくれと申し込まれた。佳子のことが気にかかったけど、二人は変によそよそしくしてた時で、俺はその女子と付き合い始めた。そのうち佳子は知ったらしく、俺と顔を合わせても無視するようになった。
その頃だよ、佳子が他の男とデートをしたのは。君が話してくれた、初めてのデートの話だ。
佳子は中学では男子のあこがれの的で、他のクラスでも知らない者はいないほどの人気者だった。俺はしまったと思ったけど、デートは一回きりで終わったと聞いて、ホッとした。それから俺は女子と付き合うのをやめた」
雨が止んだ。僕は傘をたたんだ。
山口は、しゃがんで川に石を投げながら、しゃべり続けた。
僕は立ったまま話を聞いていた。
「高校に入ると間もなく、佳子は歌手になるため上京することになった。
俺はその時、思い切って佳子をこの河原に呼び出した。で、言ったんだ。
『佳子が好きだ、東京へ行ってからも俺と付き合ってくれ』って。
それを聞いて、佳子うれしそうに笑ってくれた。それで、自分も俺のことが好きだって、毎日手紙書くって。
俺うれしくて、佳子を抱きしめた。夕暮れ時だった。佳子、泣き出しちまった。
俺のシャツの胸を濡らしながら、『どうしてもっと早く言ってくれなかったの』って泣きじゃくった。俺たち、その時初めてキスをした」
その日の光景が浮かんでくる。今もその日と同じ夕暮れ時になっている。
「佳子はみるみる人気者になっちまった。全国の見知らぬ男たちが、マリコマリコと言って騒いでるのを見るのは、誇らしくもあったが、悔しい感じもした。俺だけの佳子がみんなの岡村まり子になっちまったんだからな。
でも佳子は俺の彼女なんだ、そう思うと、全国に聞こえるように大声でそう叫びたいような優越感があった。
でも、売れっ子になればなるほど、佳子は忙しくなって、毎日書くと言ってた手紙も月に一、二通来ればいい方になった。電話などこちらからは出来なかったから、佳子の方からごくたまにかけて来るくらいになった。
もっと手紙書けって言ったら、あいつ急に怒って、私はあなたと違って忙しいのよって。おそらくその頃から、スケジュールがきつくて、ノイローゼ気味だったんだと思う」
山口はそこでしばらく黙り込んだ。そして、何か意を決したようにまたしゃべり始めた。
「『禁じられた少女』のドラマが始まって、佳子はますます忙しくなったらしく、手紙は全く届かなくなった。
あれはドラマがやっと終わった今年の1月のこと。朝早く、佳子から電話がかかって来た。俺が出ると、佳子は泣いてるんだ。それからいろいろとしゃべるんだけど、涙声で支離滅裂としてるんで、何を言ってるのかよくわからない。ただ俺に何度も、ごめんなさい、ごめんなさいってあやまるんだ。
やっとわかった内容は、こういうことだった。
ドラマで共演した俳優、そうNのことだ。Nに食事を誘われた。ワインなんかを飲んで酔ってしまった。Nは車で送ってくれたが、あまりに酔いがひどいので一度自分のマンションで休むように言われ、その通りにした。
部屋に入って、Nに抱きしめられた。抵抗したけど、酔いでからだが思うように動かず・・・」
僕は茫然として立ちすくんだ。
というより、それ以上そこに立っていられなかった。足の力が抜け、その場に座り込んでしまった。
「俺は、その場は慰めの言葉をかけたものの、それから佳子に二度と手紙など書く気になれなかった。電話がかかってきても、居留守を使った。
何だか佳子がすごく汚らわしいものになったような気がした。気持ちが動転して、大事な受験は全部失敗した。みんな佳子のせいだと思うと、よけいに腹が立った。
それで四月の初めのこと、佳子から手紙が届いた。こう書いてあった。
『どうして手紙を書いてくれないの。どうして電話に出ないの。最近あなたは冷たいので、わたしは悲しい。
あのことを怒ってるのですか。申し訳ないと思ってるけど、でも仕方がなかったんです。わたしも悔しい。あいつが憎い。この上あなたに嫌われたら、わたしはどうすればいいのですか。
このまま死にたいです。生きていてもしかたないもの。本気でどうやったら死ねるか考えています。あいつを驚かすことも出来るし。
わたし、4月からマンションに引っ越して、ひとりなんです。もし、わたしのことをまだ好きだったら、4月7日の夜マンションに来てください。もしダメなら、しかたありません。待ってます・・・』」
山口の声が震えた。何度も詰まって、言葉が続かない。
「でも、でも俺、そのとき友達と旅行へ行ってたんだ。7日夜に家に帰ったけどすぐ寝てしまって、佳子の手紙を読んだのは8日の朝だった。
文面から、佳子は本気だと思った。すぐ新幹線に乗ったけど、東京に着いたのは昼前だった。青山のマンションに行った時は、もう1時近く。そこで佳子の死を知らされたんだ」
山口は、雨に濡れて泥になった土の上にひざまづいた。
まだ信じられなかった。
しかし、山口の目から流れているのは本物の涙で、ということは全て話も本当なのだと、思わざるを得なかった。
僕は山口に何一つ声をかけられない。声が出せないほどの衝撃を受けていた。
「あの時俺が旅行へ行っていなければ。7日の夜寝る前に手紙を読みさえしていれば。佳子は死ななくてすんだのに・・・。
冷たくしたって、避けてたって、やっぱり俺は佳子が好きだった。Nのことで腹を立ててはいたけれど、それも佳子は悪くない、旅行から帰ったらそう言ってやろうと思ってた。
それなのに、なぜ・・・どうして死んじまったんだ、佳子・・・」
山口はマリコの本名を呼び号泣した。
マリコ、マリコと僕らファンは気安く彼女を呼んで来たけれど、本当に親しく、そう呼べるのはこの男だけであった。
マリコは、心まですべてこの男のものだった。今まで僕のものだと錯覚していたマリコは、ここにいる山口のものだった。
そうとも知らず僕は彼の前で、マリコ、マリコと呼び捨てにし、マリコのことなら何でも知ってるような口ぶりで話をしてきた。少なくともお前よりは詳しいよ、という顔をして。なんと恥ずかしいことだろう。彼はどんな気持ちで聞いていたのだろう。
負けた、と思った。今泣いている山口をなぐさめることさえ、自分にはそんな資格もないような気がした。
あたりはもう真っ暗である。河原には、泥の上に腰を下ろした二人以外、誰もいなかった。
しばしやんでいた雨が、またポツリポツリと涙のように降り始めた。
2日後の4月16日、朝刊の社会面左隅の小さな記事が目に入った。
『また後追い自殺。まり子ファンの18歳少年』
「15日午前12時半ごろ、名古屋市熱田区のマンション7階より、少年が飛び降り即死したとの通報が入った。調べによると、少年は熱田区に住む会社員山口浩一さんの長男直人クン(18)。
詳しい動機などはわかっていないが、直人クンは先日自殺した岡村まり子さんと家が近かったことから幼なじみで、まり子さんの死にショックを受けての後追い自殺も考えられる。遺書は見つかっていない」
山口は「直人」という名前だったのか。マリコの遺書の宛名「N」は、直人のことだったのかもしれない。
マリコこと有田佳子が、あの夜チャイナドレスも着替えずにずっと待っていたのは、山口直人だったのである。
マンションに彼は来なかった。来られなかったのだ。
マリコの不安定な心は、全てを悪い方向にしか考えなかった。胸がつぶれ、苦しい思いに耐え切れなかった。あと一日、いや半日耐えることが出来たなら、直人は会いに来てくれたのに・・・。
そうだろ、山口。
四ツ谷や中野の喫茶店で、何時間もマリコのことを、いったいどういう思いで語っていたんだ。
最後は、僕にだけすべてを話したのか。自分同様にマリコを愛しているライバルの僕に。
そうなんだろ。そうだよな、山口・・・。
こんな小さな記事、読む人は少ないかも知れない。
そして、マリコの事件も次第に人々の記憶から遠のいて行くだろう。
いずれにせよ、僕は名古屋の告別式の時に誓ったのである。マリコのことは忘れると・・・。
早くしないと大学の講義に遅れる。今日からは真面目に出席しなければと考えつつ、バッグを手に取り部屋を出た。
MARIKO 或る少女歌手の死 星ジョージ @okayamamoto
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