第2話 ワイドビュー!? の食堂車へ

 大都市郊外独特の雰囲気の中を走り抜け、車窓は再び都市部の喧騒が近づきつつある様相を呈してきた。まだ海は車窓に現れない。海側は阪神沿線。どちらかと言うと庶民的な雰囲気の強い場所で、各企業の倉庫や港湾設備などが並んでいる。反対側の車窓には、山の中腹に至るまで多くの家々と建物がたくさん控えている。山側は阪急沿線。割に所得の高い人たちが居住している。この国鉄線を挟んで山側と海側では雰囲気があまりに異なるのがこの阪神間の特徴である。


 列車は三ノ宮駅の一番海側のホームに到着した。

 電車駅だけあってコンパクトに上下2線のホームがあるだけの駅ではあるが、ここが実質的には神戸市の中心駅でもある。とはいえ、この度開通した新幹線の新神戸、ここから2駅先の神戸、そしてここから歩いて1キロにも満たない場所にあるこれまた電車駅の元町と、神戸市の中心駅は実質4駅に分散されている。

 在来線の急行列車は両駅とも停車させるが、特急列車はこの三ノ宮と神戸の両方に停車させるわけにもいかないため、列車によって停車駅を分散している。

 なお、神戸駅山側には東に向かう列車の始発執着となる列車を受入れるホームもあるが、三ノ宮駅にはそれもない。駅の形態だけで言えば、隣の電車駅の元町も同じようなもの。ならば在来線は商業地の実質的中心になる元町駅に神戸駅の機能を完全に集中させればよさそうなものではあるが、そうなると裁判所などのある県庁所在地駅としての神戸駅をないがしろにしてしまうため、そう簡単に効率だけで割切った施策を取るわけにもいかない。

 このかもめ号、登場当時からこの三ノ宮には下り列車が停車していたが、特急の本数も増えた今、上りもまたこの駅の山側のホームに停車して客扱を行う。代わりにいくらかの列車が神戸駅に停車してあちらを「立てて」いるのだが、かつてはこのかもめ号、上り列車が神戸に停車してその役目を負っていたのである。


 停車駅が三ノ宮であれ神戸であれ、西に向かう中長距離客はどちらかから特急列車に乗って目的地に行かざるを得ない。

 この日は三ノ宮ではさほどの乗車もなく、降車客はこの車両に限っては一人もいなかった。ここでまた数人ばかり乗客を拾った13両もの長さを誇るこの列車は、さらに西へとエンジン音をうならせ進む。

 元町駅を通過した頃、再び車内放送。

 今度は大阪発車時ほど丁寧な放送ではなく、いささか軽め。岡山より先は後程案内するという。しかも食堂車の案内さえない。

 新幹線が岡山に延伸するまではここからの乗車客も多かっただろうが、延伸後の今はさほど乗車客がいるわけではない。


・・・・・・・ ・・・・・ ・


「ほな、食堂車にいこうかね」

 黒縁眼鏡の教授が、横の学生に声をかけた。

「え、食堂車に、ですか?」

 八木青年は食堂車に行ったことがないわけではないが、朝のこの時間に行ったことはない。そもそも、そんな高い飲食店に気軽にはいれるほど裕福な生活をしたことがなく、そうでないにしても、食堂車に思い入れがあるというわけでもない。

「せや。ま、ここはひとつ、珈琲でも飲まんかな? 一人で飲みに行くのも難であるし、社会勉強やと思って付合ってくれたまえ。君、朝飯は食べてきたのか?」

「駅の喫茶店のモーニングで軽く食べています」

「さよか。でもまあ、珈琲くらいは飲めよう」

 かくして八木青年は、石村教授とともに2両後ろの食堂車に向かうことに。


 すぐ後ろのグリーン車には、客は3人ほどしか乗っていない。そのうちの二人は外国人客。それなりの荷物があるから、外国人用のパスで九州まで行くのではなかろうかと思われる。もう一人は短距離客と思しきビジネスマン。リクライニングを倒し、山側の座席で目を閉じて移動中。

 空気輸送よりはいささかマシといった雰囲気のグリーン車の次に、食堂車。いささか華やかなドアを開けると、そこには左右に4脚ずつ4人掛けのテーブルが並んでいる。


「いらっしゃいませ」


 空気輸送に近い状態とは言え、8脚のテーブル中4脚にはすでに客がいる。そのうちの1脚では、3人組の男性客が朝からビールをたしなんでいる。石村教授とその付き人役の学生は、海側の入ってすぐのテーブルに向って腰かけた。


「ほな、おねえさん、珈琲2人前な」

「アイス珈琲も、ございますが?」

「いや、ホットでええ」

 手持無沙汰気味のウエイトレスが珈琲を2人前、ステンレスの盆にのせてやってきた。どちらともなく、砂糖とミルクを入れて飲み始める。


「ハチキ君、私が何で食堂車に君を呼んだか、わかる?」


 石村教授が問う。列車は鷹取の貨物駅を過ぎ、須磨駅に差し掛かる。ここからしばらくの間、瀬戸内の海が車窓に広がる。

「君はこの春、この海を見ながら京都にやって来ただろう。それとも何か? 新幹線に乗って京都に乗り付けたとか?」

 なぜそんなことを聞かれるのだろう。青年は不思議に思いながらも答える。

「はい。入学に際しては、岡山から普通列車で姫路まで出て、そこから新快速で京都までやってまいりました」

「そんなこっちゃろ、思っておったわ」

 教授にしては、そこは予想通りの答えだった。

「正直、急ぐなら新幹線やこの手の特急は大いにありですけど、食堂車まで来て一人で飲み食いするのも、もったいないですよ、金が。もっとも、鉄道マニアとか言うなら話は別ですが、私にはそんな趣味ありませんから」

 教授は、目の前の学生の弁に納得している模様。

「しかも、特急券迄余分にハラワナあかんからな。学生さんとしてはまあ普通の思考である。私なら姫路から快速列車のグリーン車にでも乗るところやけど、今時はそや、新快速があるさかい、そっちに乗った方がハヨ着くわな。下手な特急や急行より早くて、ええ。せやけど、ドウセなら姫路から山陽と阪急を乗り継いで京都に乗込むことも出来んことはないで。それは考えなかったか?」

「そこまでゆとりはなかったですよ。なんせ岡山は関西みたいに鉄道が並走するような地域でもないですからね。岡山駅自体は大きな駅ですが、それ以外はもう田舎も同然ですわ。でも、西から来てこの海を列車から見たら、確かに関西に来たという実感がわきますね」


 列車は少し小高い列車線を快走中。電車線の海沿いよりも海を俯瞰してみることの出来る線路上を、この列車は走っている。

「そうかな。山陽本線がまだ複々線になっていない頃にはその下の電車線をどの列車も走っていたからね、今しがた、あの青い電車が走っているあたりを通っていたわけや。あちらを通って、先輩のおる姫路の実家や岡山のご自宅に何度も伺ったけど、私からしてみれば、君らと違ってこの海を見たら自分のいる関西からしばし旅に出る高揚感が沸き上がったものでねぇ」

 列車は舞子駅に差し掛かろうとしている。特急列車は今やホームのある線路ではなく、山側にある列車線を通過していく。


「ヤギ君、あの松の木々やけど、あれを見るたびに、これからいよいよ未知の西の世界へ入っていける心地になるンや。この先どんな出会いがあるかな、って」

 舞子駅を過ぎると、また高い位置から海と電車線を睥睨しつつ、さらに列車は快調に走っていく。朝霧駅のすぐ手前で神戸市から明石市へ。東ドイツ製のプラネタリウムの或時計台を山側に見ながら、列車はさらに西へと進んでいく。

 食堂車の窓はテーブルごとに設けられているので、かなり広い範囲での車窓が楽しめるのである。


 先ほどの珈琲も飲み終え、教授はウエイトレスを呼んで会計を済ませ、領収書を代わりに受取った。列車はやがて明石を通過。このあたりから海沿いではなく少し陸地に入った場所を走るため、海とはお別れとなる。明石を通過して数分後には新幹線駅となった西明石も通過。この明石市も、隣の神戸市同様中心駅が明石と西明石にいささか分離しているような形になっている。

 西明石駅の東側には明石電車区がある。戦前には超特急「つばめ」の基地でもあった場所だが、関西圏の電化とともに機関区から電車区になって久しい。

 西明石を通過すると、複々線から複線になる。駅西側には細く長い踏切もあって何人かが踏切街をしている姿がうかがえる。列車はやがて大久保駅を通過した。ここからはさらに郊外へ。海側の車窓には広大な田園が広がる。


 彼らは華やかな装いのドアを開き、2両前の普通車へと戻った。

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