第10話 そして、特急列車は大阪へ。

 列車は程なく姫路を発車。しばらく海側に新幹線と並走しつつ、市川を渡ってさらに東へと進んでいく。


 食堂車より前の指定席車両に姫路からの乗客はそれほどいなかったのか、乗客専務車掌の腕章をつけた中年の車掌が回ってきた。行きのかもめ号のときのように、八木青年は石村教授に促されて切符を提示した。


「新大阪までで新幹線への乗継ですね」

 この列車で新大阪まで乗りとおした後は、新幹線に乗換して京都まで戻ることになっている。

「そういえば先ほどは食堂車にいらっしゃいましたね」

 車掌の問に、青年が答える。

「はい。おりました。あのときお見せしておいた方がよかったでしょうか?」

 車掌の答えは、意外性のあるものだった。

「それには及びません。食堂車内での車内検札は遠慮させていただいております。それに自由席で乗られたお客様は、確実に座席で確認させていただいた方が正味ですのでね。岡山から先はこの通りいつも空いていますから、指定席でもまあ、空いている席にお座りいただいても特に咎めることはないですよ。皆さん、連れ合い同士でなければあまり近くに座っていきたくはないですからね。いずれ、みどりの窓口のマルスが発達していけば、そのあたりもうまく配分できるようになると個人的には思っておりますけどね」


 他の客の様子をうかがっていると、どうも神戸までの客と大阪までの客がほとんどの模様。新幹線の乗継客はほとんどいない。関西圏をゆったりと移動したい客のための役割も、この列車は負っているようである。

 程なく、食堂車側から車内販売もやってきた。

 姫路からの客が弁当やお茶を求めている。そろそろ食事時間帯にかかるからであろう。なかには珈琲を購入して飲んでいるビジネスマンらしき人もいる。珈琲と煙草の香りと臭いが車内に仄かに追加されていく。


 列車は御着、曽根、宝殿と小駅を通過し、一級河川の加古川を渡るとそこは加古川の市街地。急行はともかく特急列車は皆この駅を通過していく。加古川を通過すると、約10年前にできた東加古川を通過し、別府鉄道との連絡駅である土山も通過。駅を通過しかけたところで、東経135度の通る子午線の街・明石市に入る。

 もっとも土山からしばらくの間はさほど住宅地とはなっておらず、大きな水田が海側に広がっている。魚住を通過して次の大久保あたりから、徐々に住宅が多くなる。列車はいよいよ神戸の郊外に入ってきた。11両の特急電車は速度を緩めることなく快調に東へと向かう。再び新幹線と交差すると、そこは西明石。新幹線は速達列車を除き停車するが、この列車は通過していく。

 そもそも在来線の特急列車は大阪から岡山までの間は三ノ宮もしくは神戸と姫路に停車するのが相場。この列車も例外ではない。新幹線駅となった相生や西明石には停車しない。

 それでもこれらの駅に新幹線を止めるのはなぜか。

 一説によると夜行列車や貨物列車を設ける予定があるからとも言われているが、将来的には急行列車の客も完全に新幹線に移すためではないかとも思われている。

 要は、特急料金で儲けたいという魂胆の一環なのか。これは何も利用者だけでなく国鉄関係者でも本音でそんなことを言っている人もいるほど。

 もはや公然の秘密とでもいえようか。


「そろそろ食事時間帯ですけど、この列車で昼食は無理でしょうね」

「そやろなぁ、大阪に12時着では、な」


 先ほど先頭まで言っていた車内販売の女性が戻ってきた。ここを逃してはならぬと、いくらか追加で買い物をしている客もいる。

 その間に列車は明石市の市街地へと突入し、明石の城下町を通過していく。子午線を示すプラネタリウムを併設している時計台を山側に見ながら列車は快走中。

 路線は既に西明石から複々線になっている。列車はさらに速度を上げて列車線を快走中。やがて海が見えてくる。少し高台気味の列車線を朝霧駅と海を見下ろしながらさらに東へと特急電車は進んでいく。

 ここからしばらくの間、瀬戸の海を進行方向右側に見ながら進むことになる。


「この海を見ると、やっと関西に出てきたなという気持ちになりますね」

「君ら岡山の人らにしてみれば、せやろな」


 斜め向こうのビジネスマンが、車内販売の珈琲を飲みながら話している。

「わざわざ新幹線に乗るほどのこともあらへんわな、神戸や大阪行くくらいで」

 どうやら、姫路から乗車したビジネスマン。

「かといって、新快速でもねぇ。ま、新幹線ができたおかげでいつ乗ってもすいとるから助かるわな。大体、神戸も大阪も乗換がいるからな」


 新幹線の駅はこの両都市に関する限り都心部にはない。都心部近くに仕事場や出張先のある人にとっては、必ずしも新幹線は時間短縮に資するというわけでもないようである。岡山や京都のように在来線の駅に入ってきてくれればいいが、諸般の事情で別駅を設けざるを得なくなった都市同士では、どうしてもそういうことが起きる。現在の飛行機と新幹線の間においてもこれと同様の関係が成立しているが、当時は在来線と新幹線の間でも同じようなことが発生していたのである。


 列車は須磨駅を通過した。ここからの車窓は海と離れる。貨物駅のある鷹取や新長田も通過し、工場のある和田岬への山陽本線の視線の出発駅である兵庫も通過。この路線は朝と夕方しか列車が設定されていない。ホームにはくたびれた何両かの旧型客車とそれをけん引するディーゼル機関車が待機している。

 鉄道唱歌のオルゴールが鳴る。ほどなく、列車は神戸に停車する。

 何人かの客が降車の準備を始めている。手前のデッキに向う客の中には、大きめの向日葵をかたどったバッジを胸元につけた人物もいる。姫路から神戸の裁判所に向うのか、あるいは姫路の地裁支部か簡裁で朝一番の法廷に出て神戸の事務所に帰る途上であろう。いずれにせよその中年男性が弁護士であることは間違いない。


「神戸は駅近くに裁判所がありますから、法律事務所もその近くにたくさんありますよね。そこらの弁護士なら、姫路や大阪に用があるときにはこの手の特急列車は重宝するでしょう」

 八木青年の言葉に、石村教授が頷く。


 かくして列車は神戸駅に到着。数名のビジネス客が降車していく。それに代わって2人ほどの客が乗車してきた。こちらも先の男性と同じバッジをつけている。おそらくは神戸の裁判所の帰りの大阪の弁護士か、あるいはこれから大阪の裁判所に向う神戸の弁護士であろう。彼らは山側の席に並んで座り、それぞれの背面についたテーブルを広げて何やら打合せを始めている。

 列車は神戸を出発した。神戸の街中の高架上の路線を少しずつ加速し、元町、三ノ宮を通過していく。

 三ノ宮を通過したあたりで、女性による案内放送が入った。食堂車の営業は神戸を出発するとともに終了するとのこと。

 食事時間帯にいよいよかかる時間ではあるが、新大阪に12時ほぼちょうどにつくのであれば致し方ない。もう、大阪なり新大阪なりの駅構内かその近辺、乗換をするなら新幹線のビュフェでどうぞということ。


 列車は時速100キロ程度を維持し、郊外の住宅地を通過していく。西ノ宮を通過した頃、再び鉄道唱歌のオルゴールが車内に響く。大阪到着と乗換の案内が比較的丁寧になされる。同時に、新幹線乗継客に向けての案内も添えられる。

 淀川の鉄橋を通過した電車特急は、大阪梅田の街中に入っていく。12時を少しばかり前に、大阪着。残りの客のほとんどが降車した。

 さすがに乗ってくる客は一人もいない。


 大阪で少し長めに停車した列車は、再びドアを閉めて4キロ弱先の新大阪へと走り始めた。街中をゆっくりと抜け出し、再び淀川の鉄橋を渡る。車窓には阪急と地下鉄の鉄橋もある。阪急のマルーン色の電車が行き来している。

 鉄橋を渡っている途中にも、再び鉄道唱歌のオルゴール。終点新大阪着と新幹線への乗継案内。それは約1分程で簡潔に終わり、最後にもう一度、オルゴールが鳴らされた。その頃にはもう、列車は減速している。


 かくして12時1分。広島発の電車特急しおじ1号は定時で新大阪に到着した。

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