空席だらけの特急列車

与方藤士朗

老舗気動車特急「かもめ」で、京都から岡山へ

第1話 物理学部教授と経営学部1回生の接点

「おい、ハチキ君、今日は頼むで」


 京都駅の改札前で、背広姿の初老の紳士が若者に声をかける。

「石村先生、おはようございます。本日は、よろしくお願いいたします」

「いやいや、こちらこそタノンマッセ。岡山には知合いもおらんわけではないが、若い人の知合いはおらんからね。それにヤギ君、ここは少しばかりでも帰省しておいた方がよかろう」

「そうですね。このところずっと王将京都でアルバイトの日々でしたから。昨日はあまりに忙しすぎて、賄の餃子を2人前とどんぶり飯をしっかりいただいて帰ってきましたわ」

「さよか。飲食店でアルバイトする学生さんもおられるが、体力や精神力のリスクを考えたら、誰にでも気安くは進められん。そこに来て君は根性もあるし人あたりも悪くないから、その手もアリだろう。賄で飯が食えれば金も節約できようからな。君がそうして日々努力しておることはよく存じている。だからこそ、こういう時くらいな。まあちょっと率のいいアルバイトだと思って御付合い願うで」


 彼らは改札を通り、山陽方面の特急列車のホームに向う。時刻は午前7時過ぎ。

京都発長崎・佐世保行特別急行「かもめ」は、すでにホームに入線している。

 しかしながら、この列車に乗ろうとする客はそれほどいない。昨1972年3月に新幹線は既に岡山まで延伸しており、急ぐ客はそちらから岡山までまずは向い、岡山で在来線の特急に乗換して岡山以西の各地へと赴くのが相場になって久しい。もっともこの状態もあと2年もすれば新幹線が博多まで延伸することが決まっており、この光景ももう少しで見納めである。


 初老の紳士は、立命館大学理工学部教授の石村修氏。同行する学生は同大学経営学部1回生の八木昭夫青年。学部も学科もおよそ接点などなさそうな関係である。

 現に石村氏は京都出身、八木青年はこの度岡山から京都へと大学進学を機に出てきたばかりである。親族というわけでもない。これは、文系理系双方の複数学部で成立している総合大学だからこそできた縁なのである。


・・・・・・・ ・・・・・ ・


 時をさかのぼること半年弱、1973年・昭和48年4月のこと。

 入学後のオリエンテーションの際、新入生の八木青年は一般教養の講座の概要を教授のひな壇に程近い場所で聞いていた。石村教授は、毎年必ず文系の一般教養の物理学を1コマは担当させてもらっている。専門外の学生への一般教養の講座を引受けたがらない同僚は何人かいるが、彼のように喜んで受けている教官もいないわけではない。そのおかげもあって、石村教授は自身のゼミ生以外の他学部の学生とも知己が多い。そのことは、彼にとってもいい刺激になっているのである。


 あの日、石村教授は物理学講座の概要を文系学部の学生らに話した。高校までに物理を履修していない学生の多い中、教授は専門に属する内容はあえて語らず、高校で習う数学レベルの知識まで落とし、日常生活における物理学とのかかわりを簡単に話した。八木青年は商業高校出身で税理士か会計士を目指そうと志していた。

 特に将来物理学が必要な仕事に就く余地なんか、まあなかろう。そんな思いで石村教授の話を聞いていた。

 幸か不幸か、このとき眠気に襲い掛かられた。

 大欠伸のひとつもしたいところだが、何とか、欠伸をかみ殺して教授の話をせめて聞いている振りだけでもせねばと思って、何とかやり過ごしていた。

 概要を話し終えた石村教授は、彼の「欠伸」を見逃していなかった。

 それどころか、その後くしゃみまで出かけた青年、こちらもしっかりと教授に現認されていたのである。


 八木青年は、結局のところ石村教授の物理学を履修することとなった。そのきっかけとなる事件は、オリエンテーション後の学内の喫茶店で起きていた。


・・・・・・・ ・・・・・ ・


「この列車は、特別急行かもめ号です。乗車券の他に特急券が必要となります」


 車内外の国鉄職員による案内と裏腹に、教授と大学生の乗車した車両には、彼らの他に数名の客がいるのみ。うち一人はいささか多めの荷物の年配客。どうやら乗換を嫌ってここから九州方面へと向かう客だろうか。あと数名は、背広姿でビジネスバックを片手の男性客。おそらく、短距離の利用客であろう。彼らは後に、姫路で降りて行った。彼らは座席で黙々と書類に目を通していたが、ときに打合せらしき会話もいくらかしていたようである。

 7時30分。特別急行「かもめ」は定刻で京都を出発した。エンジン音も高らかに列車は京都の西郊外を快走する。車窓の左側には、山陽本線と北陸本線を走る特急列車や急行列車たちがつかの間の休息をとっている。そのほとんどが電車か客車。この列車のような気動車は、今や少数派となっている。それだけ、この十数年間の間に電化が進んだことの証である。

 向い側には、大阪方面からの新快速電車が時折すれ違う。白地に涼しげな青帯をまとった電車。元急行型の153系電車である。

 かつて東海道本線を東京に向けて走っていたこの電車、当時の一等車を挟む形で軽食堂車・いわゆるビュフェも連結し、寿司コーナーまで併設していたのも今や昔。わずか6両に短縮されたこの電車は、それでもこの関西圏を他の特急・急行列車にそん色なく快走している。

 一方のこちらキハ82系気動車による「かもめ」、平坦地の複線区間であればかの電車たちともそん色ない速さで走れるのだが、いかんせん発車時と停車時の加減速が電車に比べいささかならぬハンデがある。そのため、停車駅を減らすなどしてその足をかばう形でダイヤが組まれている。だが、ここは天下の東海道本線。製造後10年を過ぎたこの車両、後に登場した電車列車並の速度で西へ向けて快走中。


 乗車すること30分。列車は新幹線の乗継駅新大阪を通過し、地下鉄御堂筋線の鉄橋を横目に淀川を渡って、定刻に大阪着。3分停車の間に、教徒発車時よりはいささか多めの客が乗ってきた模様。とは言っても、この車両に乗車するのはせいぜい数名。通し乗車らしき雰囲気の客もいないではないが、新幹線岡山開業前のようなにぎやかさには程遠い。


 わずか3分の停車時間を終え、かもめ号は定刻の8時6分、大阪を出発した。次の停車駅は三ノ宮。淀川を渡り終えた頃、オルゴールが鳴った。車内放送は京都発車時よりもいささか詳細になされる。

 乗客専務車掌による車内放送の後は、食堂車の案内。先ほどまでの男性による落ち着いた声の案内の後だけに、甲高い女性の声が色気と食気をそそる。ガラガラの車内に、少しばかり彩が添えられたような心地を与えてくれる。


「車掌さん来ハッタ。検札や。ハチキ君、切符、みせてさしあげて」

「はい、わかりました」

 程なく、乗客専務車掌が検札に来た。

「お二人とも、岡山までですね」

 検札は、何の問題もなく終わった。10人程度の客しか乗っていないこの車両を、車掌は素早く業務を終え、すぐ後ろのグリーン車へと去っていった。


 エンジン音も軽快かつ快調に、かもめ号は阪神間の住宅地を走り続けている。

 次の停車駅は、三ノ宮である。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る