第8話 ガラガラの食堂車で、紅茶を。

 11両の電車特急が岡山駅上りホームに到着した。

 到着と同時に、多くの客が降りていく。この岡山が目的地の客もいないではなかろうし、無論、山陰や四国方面への客もいないわけではない。しかしながらその大半は、ここからさらに高架上のホームへと向かっていく。現に、地下通路へと降りていく客はそれほどいない。


 新幹線はまだ西に延伸していないので、高架上に上る客のすべてがここより東の目的地へと向かうのである。乗換時間は最短9分。

 京都まで各駅、あとは名古屋に停車するひかり64号に乗車すれば新大阪に11時22分、京都には11時42分、東京には14時35分に到着する。なおこのしおじ号は広島を朝7時45分に出発する。広島から東京までこの乗継で7時間弱。

 随分と列車に揺られざるを得ない日程だが、当時はこれが普通であった。


 さて、大阪や京都であればこの時点での新幹線の効果は大阪で約30分。新大阪で在来線に乗換して大阪入りすればまあそんなもの。京都でも同程度。その30分のためにあえて乗換をいとわないのがビジネス利用者というもの。もっとも岡山から京都に戻る教授一行にしてみれば、逆に昼時の30分程の余分な時間をかけても空いている列車で座って移動できるなら、さほど問題ではない。


 多くの客がホームに出た後、石村教授と八木青年は列車に乗り込んだ。彼らは食堂車の前のグリーン車、ほぼ列車の中心になるドアから入り、まずは食堂車に向ったのである。教授は長距離の移動の際はグリーン車を利用することが多いが、今回はさほどの距離でもなく同行者もいるので、あえて自由席特急券を用意している。

 新幹線に乗客が移動し切った岡山からであれば、無理に座席指定を取らなくても座席は十分確保できるからである。食堂車の隣のそのグリーン車の客は、もはや数えるほどしか乗っていない。これからそちらに乗込もうとする客は、この車両に関する限り一人もいない模様。つまり、このデッキのドアから乗車したのは彼らだけだったということなのである。


「いらっしゃいませ」


 食堂車の女性従業員が声をかける。先客はまったくいない。

 岡山までにすべての客が退店している。無理もない。ここで乗り換えるから。

 朝8時前から9時台にかけて、広島県内からの乗客が朝食をとるため、もしくは珈琲で目を覚ますための利用は幾分なりともあったろうが、この岡山から乗込んで食堂車に来るような客はそういない。

 そもそも、列車自体に客がほとんど乗車していないのだから。

 石村教授と八木青年は進行方向右側真ん中のテーブル席に向かい合って座った。教授は一通りメニューに目を通し、注文に来た女性従業員に紅茶を2杯注文した。


「先ほどは珈琲ばっかり飲んだから、紅茶でも飲むかね」


 教授が青年に声をかけるとほぼ同時に、列車は岡山駅を発車した。

 西口側のホームには、吉備線と津山線の気動車列車が客待ちをしている。


 やがて列車は駅構内を出て駅前の大きな踏切を通過し、ゆっくりと旭川鉄橋に向って加速を始めた。往路の気動車特急はこの加速はさほど良くないが、さすがは安定度の高いことで定評のある電車特急だけあって、どんどん加速していく。

 程なく列車は旭川を超える。山側には新幹線の高架、海側には2年前に完成した新鶴見橋。この新しい橋の上を、自家用車やトラックがどんどん行きかう。かつてのメインルートである鶴見橋はそのさらに下流側にあるが、こちらは後楽園に向う観光客と地域住民が利用している。

 列車は橋を渡り切り、やがて新幹線と並走をはじめる。数分後には岡山の隣駅となる東岡山を通過。今でこそこの間には2駅あるが、当時山陽本線の岡山近辺の駅間は長かった。

 新幹線とつかず離れず並走し、在来線特急はその速度を高速安定に保ちつつ、山陽路を上っていく。ときに高架上には、青と白のツートンカラーの0系新幹線電車が西へ東へと進む。この列車からの乗継客を乗せた列車が追ってきた。そして程なく高架の上より在来線特急を軽々と追い越していった。


 気が付くと、別のテーブルに2人ほど客が来ている。どちらも珈琲だけの注文。

 岡山開業前なら今頃商売繁盛だったこの列車食堂も、新幹線開業後の今となっては新大阪まで回送を兼ねての営業運転。それは食堂車従業員にとってもまた同じ。


「どやあ、ハチキ君。この食堂車で私ら飲み物だけ頼んでゆったりさせてもらっておるが、君がこの食堂車の経営者なら、どうかな?」


 石村教授の問に、経営学部1回生の八木青年が答える。


「まあ、こんな日もあるでしょうと言いたいところではありますが、明らかに岡山から先、下りなら岡山までは赤字確定ですから、岡山以西で如何に稼ぐかを考えないといけないでしょうね。もっとも、食堂車のある列車はこの列車だけではありませんから、あとは食事時間帯にかかる区間で如何に稼ぐかが焦点ですね」

「せやな。私の大学の後輩になるが、この度新聞社をやめて鉄道紀行作家になるという人物がおってね、彼と先日居酒屋でお会いした時に、九州に出向いていたときに博多から「つばめ」号に乗って熊本まで移動した人の話を聞いたら、なんと、食事時間帯にもかかわらず博多から先は食堂車が閉店していたらしい。まあ食堂車の従業員もそれぞれ行程があるから、無理も癒えんのだろうなとは思う反面、そういう話を聞くと、いささか寂しさも感じないわけにはいかんわな」


 紅茶を飲み干して手前のグラスの水を少し飲んだ八木青年が、石村教授の問いかけに対して意外な答えを出してきた。


「食堂車の従業員は博多の営業所に戻って休むのではないでしょうか。これが熊本まで営業となると、後々宿泊の件とかの福利厚生面にとどまらず、労働時間の問題も発生するでしょう。それに、博多から熊本までともなれば東海道や山陽筋のように食堂車に行く客はそれほど見込めないこともあるから、あえて熊本まで営業する必要性もない。費用対効果の問題ではないでしょうか」

「費用対効果、ねえ。そう言われてみれば、新幹線開業前の東京行のビジネス特急は今でいうグリーン車が何両もあったが、山陽本線に来てからは今2両だけや。九州に行ったら、恐らく1両かな。そのうち1両もいらない、半分くらいでいい時代が来るかもわからんな」

「それはもう、その地域の乗客の可処分所得が大きく影響しているのではないでしょうか。東海道筋なら、東京、横浜、名古屋、京都、大阪、神戸と大都市がずらずら並んでいて高所得者も多いですから需要もありますが、山陽、東北、九州と行くにつれてそのような高所得者の層は少なくなりますから。ハイソサエティー向けの商品をそれこそ「貧ソサエティー」相手に出しても、そもそもそういうものをたしなむ文化もないところでは売れやしませんから(苦笑)」


 典型的な文系学生の弁であるなと感心しつつ、物理学の教授は青年の弁を黙って聞いている。


「ですから、食堂車の営業だけでなく、グリーン車の両数もそれに応じて減るのは仕方ないでしょう」


 列車は吉井川と並走し、片上鉄道の高架下をくぐっていく。時速約100キロで走るこの電車、一切減速することなく和気駅を通過。海側のホームには片上鉄道の列車を待つ客が数人いる。すぐ隣の下りホームには、岡山に向うであろう客がこれまた数名、電車待ちをしている。

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