悵鬼~聊斎志異外伝(ホラー・SS)
源公子
第1話 悵鬼~聊斎志異外伝(ホラー・SS)
清の時代、一人の若者が、今の吉林省白頭山の麓で道に迷い、虎に出くわした。
「うまそうだな」
虎は舌なめずりをする。若者は腰を抜かして動けなくなった。
「おい、早く服を脱がせろ。食いにくいじゃないか」
虎が振り向いて怒鳴ると、一人の女がおどおどと虎のあとから現れた。
その女の美しさに、若者は殺されるのも忘れて見とれてしまった。
女もまた若者を見つめ返した。
虎に急かされ、女が若者の服を脱がせると、虎は若者を食おうとそばに寄ってきた。
その時、「逃げて!」女は叫んで若者の着ていた着物を虎の頭にかぶせて、押さえ込んだ。
虎が着物を取ろうともがく隙に、若者は一目散に山を降った。
後ろで虎のうなり声と女の泣き声が聞こえる。
「ごめんなさい。あんまりあの人が若いから、可哀そうになって。次からはちゃんと働きます、許して……」
◇
若者は命からがら家に逃げ帰ると寝込んでしまった。恋煩いだった。
虎の連れていた女に一目惚れしたのである。
話を聞いた母親は「お前、それは悵鬼だよ。虎は食べた人間の幽霊を、そうやって召使いとしてこき使うんだ。そんな女に惚れたってどうしようもないじゃないか、他に女はいっぱいいるよ。
早く忘れて元気なお前に戻っておくれよ」
けれど若者は何も食べずにどんどんやつれていく。
もう自分は死ぬのだと思ったその時、若者はあの女と一緒になれる方法を思いつく。
若者は飛び起きると勢いよく食べだした。食べて、食べて、食べ続けた。
元気になったと喜ぶ母親はやがて青ざめた。若者は食べるのをやめない。
家中の食べ物を食べながら、お祭りに出される豚の丸焼きのような姿になっていった。
ついに家中の食べ物を一つ残らず食べ尽くすと、若者はまた白頭山に登っていった。
◇
虎と女はすぐに現れた。女は様変わりした姿にあの若者と気がつかず、虎のため若者の服を脱がせた。
そうして虎は若者を食べた。
食われながら、若者はうまくいったとほくそ笑む――
狙い通りにことが運んだからだ。
あの時、男は考えた。
「恋しい女が悵鬼ならば自分も悵鬼になればいい。どうせこのまま死んでしまうのなら」
でも虎の召使いになるのはつまらない。
女も自分も自由になるには虎を殺すしかない。
だから若者は体中に毒を塗って、生き餌として虎の前に現れたのだ。
やがて毒が効いて虎は死んだ。
「これでこの女と一緒になれる」
悵鬼になった若者は女に近づいた。
だが女は恐れて後ずさる。
無理もない、若者には首がなかったのだから。
虎が首を食べる前に毒が回って死んだので、首だけ悵鬼になり損ねたのだ。
首がなくては、しゃべることもできない。
女のために考えた愛の言葉も伝えられない。
女はおびえて逃げ出した。若者は慌てて後を追う。
その時、別の虎が通り掛かり
若者の残った首を食べてしまった。
その虎は毒の量が少なくて生き延び、若者の首はその虎の悵鬼となった。
以来白頭山の山奥では
泣きながら愛の言葉を並べ立てる、首だけの悵鬼を連れた虎と
首のない幽霊に追いかけられて、逃げ回る女の幽霊が出るようになったと伝えられている。
悵鬼~聊斎志異外伝(ホラー・SS) 源公子 @kim-heki13
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