第7話 猫屋敷くるみは知っている
<犬飼竜太郎>
「りゅ……
……これは、誰だ?
俺より頭一つ分低い身長の美人が、
上目づかいで、ちらちらと俺を窺っている。
思考がフリーズして喋れない。
「……何とか言いなさいよ」
急にキッと少し目が吊り上がる。うお……氷ヶ峰だ。
本物の氷ヶ峰だ。何で安心してんだ俺。
「あ、ああ。行こうか。乗ってくれ」
「……待って。ちょっと外ハネにもしてるの。どう?」
俺の腕を掴んで、引き留める。
氷ヶ峰が頭を左右に振って恥ずかしそうに髪型を見せてくる。
小さすぎる頭部と、細すぎる首が、いわゆる切りっぱなしボブによって強調されていた。
「……」
俺はそっと掴まれた腕を放す。黙ってタクシーに乗り込んだ。
反対側から氷ヶ峰も素直に入ってくる。
「……勝手に髪型変えてごめんなさい。色々問題あるよね」
「あ、ああ。いや、とりあえず後でインステグラム撮ってアップしよう。えーと、今日のスケジュール確認いくぞ。まず……」
ーーーーーー☆彡
「可愛すぎるだろおおおおおおおおおおお!!!」
四つん這いになって俺は叫んでいた。
────ここは、
その中でも二階の事務所に俺はいた。
氷ヶ峰はボーカルレッスン中である。
目の前には椅子に腰かけ、頬杖をつく
「……で、何て?」
「だから、可愛すぎるんですよ!!!!!!!!」
「うるさい。声押さえて。誰が可愛いって?」
「……すみません。氷ヶ峰が、あの氷河女が、急にショートカットにしてきやがったんですよ!! それも、外ハネ切りっぱなしボブ!!! なんかよそよそしいし!!」
「なに本当にうるさい。殴るよ。……で、似合ってるのか?」
似合ってるなんてものじゃない。
「────この世に誕生した奇跡かもしれません」
「変な顔すんな。もういい。写真見せろ」
「これがインステ投稿予定の写真です。一応事前に報告しようと思いまして」
そそくさと立ち上がり、立夏さんにスマホを差し出す。
「……これは反響あるな。まさかここまで似合うとは」
「どうします?」
「もちろんGOだ。社長には私が言っておく」
「お願いします」
「しかし、昨日は引退宣言、今日は髪をバッサリ切って。氷ヶ峰は忙しい」
それは本当にそうだなと思ったその時、事務所の扉が開いた。
「──────氷ヶ峰さんが辞めるって本当ですか~?」
さらさらの長い金髪が、輝くように眩しい。
ーーーーーー☆彡
<
事務所に入ろうとしたら、声が聞こえる。
私───
私は彼を知っている。初めて見たのは、二年ほど前。
劇場の裏口だった。
私は、上の階の非常口を出た踊り場から眺めていた。
ひとりのスーツの男の子、───本当に男の子と言っていいほど若い。
その彼が、ファン三人組に絡まれているところを見ていた。
スタッフだろうか。
「おい! なんか文句あんのかよ!」
「俺たちは客だぞ!」
ああ。あれ、私を推してるいわゆる厄介オタク達だ。
その中のガリガリ二人が口角泡を飛ばしてスーツの彼に詰め寄っている。
「客なのは分かってる。だからお願いしてるんだ。最前列でスマホ触るのやめてくださいお願いします」
ぷ───。おもしろ。あれ、もしかして絡まれてるんじゃなくて、絡みにいってるのか。
そんなことお願いしても無駄なのに。
「うるせぇ! 俺たちがノれないようなアイドルが悪いんだよ」
「そ、そうだ! くるみたんの時は盛り上げてるだろ!」
そうなのだ。この厄介オタク三人組は私に忠実なのだ。
以前、私だけに反応してくれたのを一度褒めただけで、ずっとそれを続けてる。
「……じゃあ、氷ヶ峰こおりの時だけでも盛り上げてくれないか」
お……? 氷ヶ峰ってあれか。最近入った顔は綺麗なのに愛想無い子か。
なに、彼女のファンなのこの彼。
でもあれじゃ仕方ない。まだ彼女はアイドルになってないから。
「いやいやw ファンサゼロの女は推せないわw」
「ああ氷河姫ですか。無表情すぎるっしょ。伸びないよあれじゃ」
ほらね。
「それでも頼む。お願いだ」
うわぁ……。土下座し始めた。なにこいつキモ……。
土下座したあと、這いつくばってオタクの足を掴んでる。
「し、しつけーよ!」
「おい、離せよ。次の公演あんだよ!」
「了承してくれるまで帰さない! 頼むって!」
うおお粘りがすごい……。オタクが引いてる……。
すると、ずっと黙ってた身体の大きなオタクがスマホを彼に向けた。
「お、おい。これ今ライブ配信してるんだぞ、早く諦めろ。離してくれ」
うわぁ、スーツの土下座くん、絶体絶命のピンチ。
これ問題になるんじゃないの、ちょっとドキドキしてきた。
彼の動きが止まった。なんか震えてる。
え、泣き出すとかそんな感じ?
「……テメェら、俺を、ナメんじゃねぇぇええ!!」
全然泣いてなかった。むしろキレてる。
そして立ち上がっていきなり叫び出した彼がした行動に、私は、目を丸くした。
彼は──────スラックスとパンツを脱ぎだしたのだ。
「オラぁ!! 性器BANしてやるよウラァアアア!!」
「な、なんだよこいつ……!」
「やべぇよ逃げろ、おい、早く配信切れ、に、逃げるぞ」
「オウフ、なんだあのデカさ……」
「俺は、何度でも、お願いするからなー!!!!」
オタクが走り去ったあと、彼は、何でもないような顔をして服を着たあと、裏口から劇場に戻っていった。
………………びっくりした。
「───はは、何よあれ」
私は、ここしばらく感じたことのない気持ちになっていた。
この感情に説明はつかなかったが、ただ顔は笑っているのが分かった。
それ以来、スーツの下半身露出の彼のことが少し気になっていた。
後に犬飼竜太郎という名前で氷ヶ峰こおりの専属だということを知った。
最前列でスマホを触っていた三人組は、何があったのか知らないが、気づいたら氷ヶ峰こおりを推していた。
私は、回想から現実に戻り、ドアを開ける。
「──────氷ヶ峰さんが辞めるって本当ですか~?」
「ん、くるみか。まぁ可能性の話だ。確定ではない」
立夏が答え、犬飼竜太郎は私に道を空けるように横に立った。
その犬飼竜太郎の方に身を寄せる。
彼は何の用だと不思議そうに首を傾ける。
「……君、氷ヶ峰さんが辞めたら、私の専属になってよ」
彼の目が真ん丸になって、意外と可愛い顔してるじゃんと私は思った。
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