第7話 猫屋敷くるみは知っている


 <犬飼竜太郎>



「りゅ……犬飼いぬかいくん、昔ショートカットが好きって言ってたでしょ」


 ……これは、誰だ?

 俺より頭一つ分低い身長の美人が、氷ヶ峰ひょうがみねこおりの顔で、何か言ってる。

 上目づかいで、ちらちらと俺を窺っている。

 俺は思考がフリーズして喋れない。


「……何とか言いなさいよ」


 急にキッと少し目が吊り上がる。

 うお……氷ヶ峰ひょうがみねだ。

 本物の氷ヶ峰ひょうがみねこおりだ。

 何で安心してんだ俺。


「あ、ああ。行こうか。乗ってくれ」

「……待って。ちょっと外ハネにもしてるの。どう?」


 細い指が俺の腕を掴んで、引き留める。

 氷ヶ峰が頭を左右に振って恥ずかしそうに髪型を見せてくる。

 小さすぎる頭部と、白くて細すぎる首が、いわゆる切りっぱなしボブによって強調されていた。


「……」


 俺はそっと掴まれた腕を放す。黙ってタクシーに乗り込んだ。

 反対側から氷ヶ峰も素直に入ってくる。


「……勝手に髪型変えてごめんなさい。色々問題あるよね」

「あ、ああ。いや、とりあえず後で写真撮ってインスタにアップしよう。えーと、今日のスケジュール確認いくぞ。まず……」


 しゅんとしている氷ヶ峰ひょうがみねに、俺はぎこちなく言葉を返した。



 ────────────────────




「可愛すぎるだろおおおおおおおおおおお!!!」


 四つん這いになって俺は叫んでいた。


 ────ここは、蒼樹坂あおきざかの劇場やスタジオ、レッスン場が併設されている自社ビルである。

 その中でも二階の事務所に俺はいた。

 氷ヶ峰ひょうがみねはボーカルレッスン中である。

 目の前には椅子に腰かけ、頬杖をつく相模さがみ立夏りっか──我らの上司、チーフマネでクール系シゴデキ女性────がいる。


「……で、何て?」


 俺は起き上がり、立夏りっかさんに向き合う。


「だから、可愛すぎるんですよ!!!!!!!!」

「うるさい。声押さえて。誰が可愛いって?」

「……すみません。氷ヶ峰ひょうがみねが、あの氷河女が、急にショートカットにしてきやがったんですよ!! それも、外ハネ切りっぱなしボブ!!! なんかよそよそしいし!!」

「なに本当にうるさい。殴るよ。……で、似合ってるのか?」


 似合ってるなんてものじゃない。


「────この世に誕生した奇跡かもしれません」


 俺は、真剣な顔で言う。


「変な顔すんな。もういい。とりあえず写真見せろ」

「これがインスタ投稿予定の写真です。一応事前に報告しようと思いまして」


 そそくさと近づき、立夏さんにスマホを差し出す。


「……これは反響ありそうだな。まさかここまで似合うとは」

「どうします?」

「もちろんGOだ。社長には私が言っておく」


 さすが立夏りっかさん、無断で髪型を変えるなんてプロのアイドル失格ものだが、メリットを理解し即座に対応してくれる。


「お願いします」


 諸々の根回しが必要な現場もあるはずだ。俺ももちろん対応するが、立夏りっかさんにも迷惑をかけるだろう。深々と頭を下げる。


「しかし、昨日は引退宣言、今日は髪をバッサリ切って登場。氷ヶ峰ひょうがみねは忙しい」


 それは本当にそうだなと思ったその時、事務所の扉が開いた。



「──────氷ヶ峰ひょうがみねさんが引退宣言って本当ですか~?」



 さらさらのロングストレートの金髪が、輝くように美しい。

 身に纏う黒のミニワンピニットに黒のブーツを合わせている。

 シンプルだが、シンプルゆえにその非凡な顔とスタイルを際立たせていた。


 蒼樹坂あおきざかグループ人気第一位、猫屋敷ねこやしきくるみがそこにいた。




 ────────────────────




 <猫屋敷ねこやしきくるみ>



 事務所の立夏りっかの部屋に入ろうとしたら、声が聞こえる。

 私───猫屋敷ねこやしきくるみは、長年ので、入る前に耳を澄ます。

 

 アイドルを目指す人間なんて、承認欲求モンスターで他人を蹴落としてでも這い上がってやるって奴ばかりだ。

 もちろん私もその類の人間で、こういうの匂いを逃さず生きてきた。


 たぶん、何か情報が手に入る。そういう予感がした。


 立夏りっかと、男の人の声が聞こえる。

 彼の名は────。


 「犬飼竜太郎……」


 私は彼を知っている。

 初めて見たのは、

 


 ────あれは、蒼樹坂あおきざかが所有している劇場の裏口だった。



 私は、休憩中、上の階の非常口を出た踊り場からぼーっと外を眺めていた。


 すると、何やら下から声が聞こえてきた。

 ひとりのスーツの男の子、───本当に男の子と言っていいほど若い。

 その彼が、ファン三人組に絡まれているようだった。

 スーツの彼は蒼樹坂あおきざかのスタッフだろうか。


「おい! なんか文句あんのかよ!」

「俺たちは客だぞ!」


 ああ。あれ、私を推してるいわゆる厄介オタク達だ。

 ガリガリ二人と、太っちょ一人。

 その中のガリガリ二人が口角泡を飛ばしてスーツの彼に詰め寄っている。


「客なのは分かってる。だからお願いしてるんだ。最前列でスマホ触るのやめてくださいお願いします」


 スーツの彼が、オタク達に縋って頭を深く下げている。


 ぷ───。おもしろ。あれ、もしかして絡まれてるんじゃなくて、絡みにいってるのかな。

 そんなことお願いしても無駄なのに。


「うるせぇ! 俺たちがノれないようなアイドルが悪いんだよ」

「そ、そうだ! くるみたんの時は盛り上げてるだろ!」


 そうなのだ。この厄介オタク三人組は私に忠実なのだ。

 以前、私だけに反応してくれたのを一度褒めただけで、ずっとそれを続けてる。


「……じゃあ、せめて氷ヶ峰ひょうがみねこおりの時だけでも盛り上げてくれないか」


 お……? 氷ヶ峰ひょうがみねってあれか。最近入った顔は綺麗なのに愛想無い子か。

 なに、彼女のファンなのこの彼。

 でもあれじゃ仕方ない。まだ彼女はから。


「いやいやw ファンサゼロの女は推せないわw」

「ああ氷河姫ですか。無表情すぎるっしょ。伸びないよあれじゃ」


 ほらね。

 美人なだけじゃダメなのアイドルは。


「それでも頼む。お願いだ」


 うわぁ……。ついに土下座し始めた。なにこいつキモ……。

 土下座したあと、這いつくばってオタクの足を掴んでる。


「し、しつけーよ!」

「おい、離せよ。次の公演あんだよ!」


 そう。そろそろ私がセンターの公演が始まる。


「了承してくれるまで行かせない! 頼むって!」


 うおお粘りがすごいね……。オタクが引いてる……。

 すると、ずっと黙ってた身体の大きなオタクがスマホを彼に向けた。


「お、おい。これ今ライブ配信してるんだぞ、早く諦めろ。離してくれ」


 うわぁ、スーツの土下座くん、絶体絶命のピンチ。

 これ問題になるんじゃないの、リアルタイムで炎上する想像をして、ちょっとドキドキしてきた。


 あ、彼の動きが止まった。なんか震えてる。

 え、泣き出すとかそんな感じ?


「……テメェら、俺を、ナメんじゃねぇぇええ!!」


 うわ、全然泣いてなかった。

 むしろキレてる。


 そして立ち上がっていきなり叫び出した彼がした行動に、私は、目を丸くした。


 彼は──────スラックスとパンツを脱ぎだしたのだ。


「オラぁ!! 性器BANしてやるよウラァアアア!!」


 せ、性器BANってなに……。

 そ、それを露出して配信を強制終了させるってこと……?


「な、なんだよこいつ……!」

「やべぇよ逃げろ、おい、早く配信切れ、に、逃げるぞ」

「オウフ、なんだあのデカさ……」


 下半身をはだけた彼が叫ぶ。


「俺は、何度でも、するからなー!!!!」



 オタクが走り去ったあと、彼は、何でもないような顔をして服を着たあと、裏口から劇場に戻っていった。

 ………………びっくりした。


「───はは、何よあれ」


 私は、ここしばらく感じたことのない気持ちになっていた。

 この感情に説明はつかなかったが、ただ顔は笑っているのが分かった。



 それ以来、私はスーツの下半身露出の彼のことが少し気になっていた。

 後に犬飼いぬかい竜太郎りゅうたろうという名前で氷ヶ峰ひょうがみねこおりの専属マネージャーだということを知った。

 最前列でスマホを触っていた三人組は、何があったのか知らないが、気づいたら氷ヶ峰ひょうがみねこおりを推していた。


 私は、回想から現実に戻り、ドアを開ける。


 聞き捨てならないが聞こえたからだ。



「──────氷ヶ峰さんが引退宣言って本当ですか~?」



「ん、くるみか。まぁ可能性の話だ。確定ではない」


 立夏りっかが答え、犬飼竜太郎は私に道を空けるように横に移動した。

 私は、わざわざ、その犬飼竜太郎の方に身を寄せる。

 彼は何の用だと不思議そうに首を傾ける。


「……君、氷ヶ峰ひょうがみねさんが引退したら、


 彼の目が真ん丸になって、意外と可愛い顔してるじゃんと私は思った。










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