第19話 鋼の心臓

本日2話目の投稿です。




 <猫屋敷ねこやしきくるみ>



 夕方、私はタクシーに乗って指定された集合場所を目指していた。


 今、私の胸にある想いは────。


「大したことなかったな……」


 小声でつぶやいてみる。うん、本当にそれだけだな。

 犬飼竜太郎────犬だか竜だか分からない名前の変な奴。

 劇場の裏で彼が氷ヶ峰ひょうがみねこおりのために半裸になっていたのを見た時、と思ったのに。


 氷ヶ峰こおりも何やら信頼を寄せていたけど、私が一言『彼氏になって』って言っただけで、これ。


 はぁ。


 まぁ人間なんてこんなものか、と思う。


 なぜか、母のために尽くしていた父が簡単に捨てられたあの日が脳裏にちらついて、逃げるように目を強く閉じた────。



 ーーーーーー☆彡



 待ち合わせ場所に来た時、最初まだ相手がいないと思った。

 だから、声をかけられて驚いた。


「こんばんは、猫屋敷さん」


「え、竜太郎くん……?」


 普段スーツ姿しか見たことのなかった犬飼竜太郎が、オールブラックのパンクファッションに身を包んでいた。


「えぇ~ こんな服着るんだね、竜太郎くん。意外」


「…………はい」


 なんか神妙な顔をしている。

 緊張しているのだろうか。

 それにしても……不覚にも格好良くてときめきそうになった。

 可愛い顔してるとは思ったけど、似合うな。


 細身のパンツもセンスの良いTシャツも、大きめのブーツも決まっていた。

 アクセサリーも良い感じだけど……ネックレスのピック? だけ手作り感あってちょっとアレだね。でも全体的に良かった。正直好みだった。


 竜太郎くんも、私をじっと見ている。


 あー、こんなに気合入れてくれるなら私も頑張れば良かったかな。

 好きでもないのに告白した罪悪感からか、普段レッスンに行くときのような、白Tとフレアのデニムパンツを着てきていた。

 それでも? 蒼樹坂第一位の私は可愛くなっちゃうんですけど?


 ……はい。つまり、本気でオシャレをする勇気は私にはなかった。


「竜太郎君くん、今日はどこ行くのっ?」


 急にいたたまれなくなって、明るい声を出してしまう。


「あ、ああ。行きたいところは決めてるんですけど、最初にいいですか?」


「なーに?」


「か、彼氏になったので、くるみって呼んでいいですか。あと、タメ口でもいいですか」


 おおー。可愛いね。私にべた惚れかぁ?

 ……さすがにちょっと気分いいな。私って性格悪ぅ。


「もちろんいーよっ」


「あ、ありがとう。行こうか、く、くるみ。水族館のチケット用意してるんだ」


「はーいっ」


 竜太郎くんの腕に巻きつく。

 彼の身体が固まるのを感じる。

 ああ、そうか。こうやったら私の胸が当たるのか、と気づいた。

 なんか面白くて、そのまま押し付けながら歩く。


 私は、さっきまで、会ったら「一晩考えたらやっぱり立場的に付き合えない」とか何とか言おうと思っていた。

 通話やメッセージで済ませなかったのは、せめてもの謝罪の気持ちがあったから。


 でも、水族館か。いいね。


 意外にも、今夜くらいデートを楽しんでもいいかと思い始めている自分がいた。



 ーーーーーー☆彡



 水族館をぐるぐる回って、今はちょっとしたテラスで休憩している。


 うーん楽しかったな。素直にそう思う。

 竜太郎くんも生き物が好きらしく、私と同じくらいはしゃいでいて嬉しかった。

 最初あった硬さは、吹っ切れたようにすぐに打ち溶けた。

 竜太郎くんが女の子だったらこれからも友達でいられるのに、とか意味のない仮定を考えたりした。


 それにしても────やっぱりペンギンはいいね。

 写真だとアデリーペンギンが可愛いけれど、実物はケープペンギンの方がいいと思った。新たな発見だ。

 もう一周したい。ていうかスケッチしたい。あの可愛さを絵で表現したい。

 あのお腹のもちもち。夢が詰まってる。


 そんなとりとめのないことをぼーっと考えながら満足している私に、彼が声をかける。


「楽しんでくれたみたいで良かったよ」


 笑いかけてくれる竜太郎くんを見ながら、急に現実に戻る。


 ……そろそろ言わないとなー。

 とかを期待してたらさすがに可哀想すぎるし。


「うん、楽しかった。本当にありがとう。感謝してる、それでね……」


「待った。くるみ、先に俺が言いたいことがある。いいか?」


「……うん、いいよ」


 ……やだ、真剣な顔して。愛の告白だったらどうしよう。


 たっぷり間を空けて、竜太郎くんが話し出す。




「────まず、今日は俺に付き合ってくれてありがとう。俺は、恋愛に疎くてな。分からなかったんだ」



「え……」


 気づいてたんだ。

 そして、薄く微笑むような竜太郎くんを見て、びっくりする。

 こんな優しい笑い方するんだ……。


「なのに、俺は勝手に舞い上がって。言い出し辛かっただろう、ごめんな」


「う、ううん。私の方こそ……ごめ」


「でもな、俺だって理由があるんだ。まさか俺みたいな一般人が大人気アイドルと心が通じてたんじゃないかって勘違いする理由が」


 私の謝罪を遮って、少し怒ったような顔で言う。


「な、なに? 理由って」


 本当になに? 

 たしかに竜太郎くんが私の告白をすぐ了承したのは……今になって思うとおかしい気がしてきた。

 めちゃくちゃ仕事ができる敏腕と噂の彼が、現実が見えてないことがあるのだろうか?


「俺は、氷ヶ峰のために働いている。氷ヶ峰を日本一にするため、そして今は半年以内にCD三百万枚売り上げるために」


「う、うん……」


 氷ヶ峰さんはドラマで見るような財閥みたいな家の出で、目標を達成できなければアイドルを辞めさせられて、結婚させられるという。

 噂は私も聞いていた。本当だったのか。


「そこで俺は考えた。氷ヶ峰にはライバルが必要だと。そこでくるみ、お前がタイミングよく現れた。しかも、何を考えてるか分からないが、俺の頼みを聞いてくれると言ってきた」


「……うん、そーだね」


 確かに言った。氷ヶ峰さんと同じ番組にも出演することになった。

 でも、この話が何にどう繋がるんだろう。


「そこで俺は、お前のことを徹底的に調べた。くるみの性格、過去の発言、歌唱力。その過程で、俺はある重大なことに気づいた」


「……何に気づいたの?」


「……くるみは気づかないか?」


「だから、本当に分からない」


 ここにきて私に聞くのか。

 私は、なぜかゆるふわな演技を止めていた。


「俺の名前、犬飼竜太郎って変な名前だと思わないか」


「……思う。犬か竜かどっちって思う」


 失礼かもしれないけど、思ってることをそのまま言った。


「英語にしてみろ」


 は?


「何を?」


「犬か竜」


「……dog or dragon?」


 ああ。マジ?


 声に出してピンときた。


 鳥肌が立ってきた。


 え、うそ。つまり……え?





「俺が、だ。俺はお前────くるみの大ファンなんだよ」





「嘘………でしょ」


 DDさん、私の音楽活動を支えてくれてる唯一の人。

 私の音楽に、才能があるって言い続けてくれる人。

 何年続けてもまったく芽が出ない私────才能のない私に。


 あなたがいたから私は歌い続けられた────。


「俺だって信じられなかったよ。でも、何度聞いてもブレス、母音の発音、発声のゆらぎ。真名まなさんとお前は完全に一致していた」


 そんなので分かるくらい、聴き込んでくれたのか。

 そりゃそうか。

 だって初めてコメントをくれた日から、二年ほど経ってるはずだ。

 DDさんは、何十曲とアップロードした自作曲をほぼすべて聴いてくれているのだ。


「はは……こんなことってあるんだ」


 人間、本当に驚いたときって、視界が狭まるんだね。

 今は、竜太郎くんしか見えてなかった。


「俺が最初お前の歌を聴いたのは、公園だ。蒼樹坂のビルから近い。今思うとそれはヒントだったんだ」


「公園……」


 たしかに何度か歌いに行ったことがある。

 でも、それだけでToutubeチャンネルに辿り着けないはずだ。

 私はオリジナルしか歌っていない。


「初めて聴いた曲の歌詞、今でも俺に力をくれるんだ。結果的にその歌詞を検索し続けてくるみの動画を見つけることができた」


「その歌詞って……?」




「────




「……私が、はじめて作った曲だ」


「くるみが、この曲を歌ってるのを聴いたとき、俺は……恥ずかしい話だけど、公園の土管の中で泣いてたんだ。仕事が辛くてさ」


 竜太郎くんが笑いながら語ってくるけど、私は笑えなかった。


「私がその曲を歌う時は、もう立てないとか、動けないとか、頑張れないと思った時に歌う」


「だからか。歌ってる人も泣いてるように聞こえたんだ。それで俺は、響いたんだ、心に。涙がさらに止まらなくなって、すぐに土管から出られなかった。おかげで歌ってる人の正体が分からなかった。笑えるだろ?」


 だから、笑えないって。


「なんとかくるみの曲に辿り着いて、それから何度も聴いたよ。苦しい時、胸を叩いて、叩いて、俺の心臓は鋼だ。動け、動けって。そうすると力が湧くんだ」


「……やめて」




「俺が、お前の歌にどれだけ救われたか────」




「もうやめてよっ……」


 私は気づいたら両目から溢れる涙を止められなかった。

 い、息ができないっ。私の歌は。ひぐっ。


 私の歌は、才能がないと思ってるけど、誰かを救ってたんだ────。


 ひ、ひぐ。嬉しい。嬉しいけど涙が止まらない。

 公園で私が泣いてたとき、彼も泣いていた。

 それは、この世の奇跡のように思えた。


 ハンカチを差し出しながら、竜太郎くんが言う。


「だからな、くるみに告白されて俺は運命を感じたんだよ。仕方なくないか? 二年間毎日聴いてた歌手からの告白だぜ? 舞い上がっちまうよ」


「……ひぐ。ぐす」


 ……今になって事の重大さに気づいてきた。

 私は、本当になんてことを……。


「くるみが去年アップロードしてた『デート』って曲あったろ」


「……ぐす。うん」


「それの歌詞に『好きな人ができたらお揃いのパンクファッションで水族館に行きたい』ってあったから。今日は再現したかったんだけどな」


 ……たしかに書いた。でも今思い出した。ていうかどんだけ聴き込んでんの。


「……ごめん」


「まぁ、今日会ってすぐ、本気じゃないんだって分かったよ。俺は馬鹿じゃない」


 うん。馬鹿は私だ。

 ……ここから挽回できるだろうか。


「……私、でも……」


 でも……なんだ? 何を言おうとしてる?

 私にそんな資格はない。


「とりあえず、今まで俺に力をくれて本当にありがとう。それが言いたかった。俺に聴かれてるって分かっても歌うのやめんなよ?」


 何でそんなに優しく笑えるの。


「……うぇーん。ひぐっ……」


 また涙が出てきた。感謝するのは私だ。


「……ほら、見てくれよ。あのとき拾ったピック。くるみのだろ? 俺ずっとお守りにしてんだ」


 使い込まれて少し丸くなったピックが。

 その無邪気な一途さが。私の胸を締め付ける。

 もうだめだ。


 完敗だ。


 軽々しく手を出していい相手じゃなかった。


 氷ヶ峰こおりが執着する理由が今は分かる。



 竜太郎くん、ライバルが必要だって?

 ああ、そう。


 なってあげるわよ。


 氷ヶ峰こおりの、────










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