第8話 お誘い

 <犬飼竜太郎>



「……君、氷ヶ峰ひょうがみねさんが辞めたら、私の専属になってよ」



 ……今、目の前の猫屋敷ねこやしきくるみはなんて言った?


 俺の専属になる……? 

 言葉の意味を理解しその先を想像した瞬間────この間、わずか一秒────俺は迷わず返答していた。


「ぜひよろしくお願いします!!」


 言って、頭を下げて床を見る。そこで初めて、少し後悔していた。

 クソ、なんで俺はこう、どこまでいっても動いてしまうんだ。

 俺は、瞬時に出来上がった脳内の未来図にイラついた。


「へぇ?」


 誘った癖に、なぜか俺の返事を聞いてきょとんとした顔をしている猫屋敷ねこやしきくるみに追撃する。

 下げていた面を上げ、目線を合わせる。


「────ですが、条件があります」


「……やっぱりね。いいよ」


 いいのか。へぇ。


 彼女はさっきと違いなぜか確信めいた顔をしていた。

 何がやっぱりなのか考えようとするが、どうせ答えは出ないと思考を切り捨てる。


「ありがとうございます。では条件は後ほど」

「はーい。オッケーしてくれてありがとね」


 猫屋敷くるみは、近づいていた身をさらに俺に寄せて、ウインクしてくる。

 さすが第一位、顔も可愛くて威力満点。

 そして俺の視点から見える豊満な谷間もやはり第一位だった。


 俺の視線に気づいた猫屋敷ねこやしきくるみは「えっちだね〜」と軽く言いながらサーッと事務所を出ていった。

 ふむ。今のは演技で色仕掛けされたのかな。

 まんまと視線誘導されてしまった。

 とりあえず眼福だったので去っていく第一位の金髪アイドルを拝んでおく。


「結局あの子は何しに来たんだ。というか犬飼、くるみと面識あったのか?」

「いえ全く。初めて喋りましたよ」

「それにしては向こうは何か思惑があったようだが」

「さぁ何でしょうね」


 立夏りっかさんには言わなかったが、俺には心当たりがあった。

 以前から何度か猫屋敷くるみのマネージャーを通して食事の誘いがあったからだ。

 何故俺みたいな只のマネージャーを、と疑問に思いつつ俺は氷ヶ峰に付きっ切りで時間を取れなかったので結局行けずじまいだった。


 しかし、あの感じ。俺個人に興味がありそうだっだな。

 突破口があるかもしれない。

 まぁ利用できることは利用する。


 ────人気商売は、やはりライバルがいないと盛り上がらない。

 業界最大手の恋々坂れんれんざかグループも、過去最高売り上げは、かつての強烈な二人の争いが生み出した。その記録は現在も破られていない。



「……犬飼、なんか覇気が戻ってきたな。最近ずっと死にそうな目をしてたのに」


「……そうですか?」


 言われてみて、確かに何で俺はこんなにやる気になってるんだと思った。

 昨日までは仕事を辞めることしか考えてなかったのに。


「氷ヶ峰が髪切ったから惚れ直したんじゃないか?」

「うーんそうかもしれないです」

「許嫁と結婚するって言われて惜しくなったか」

「はぁいそうかもしれないです」

「おい適当に喋るな。もっと私を敬え」


 まぁ実際深く考えていない。

 俺は昔からそうだ。

 本能に従う。たとえ後悔しても。

 結局それが一番良い。


「俺、難しいこと考えるの苦手なんで。全力で目の前の仕事やるだけです」


「フッ。どうだか」と立夏さんがクールに笑う。


「それで一つお願いがあるんですが、来週以降の猫屋敷のスケジュール教えてください」



 ーーーーーー☆彡



 俺は立夏さんとの話が終わってから、今はブースの中で歌う氷ヶ峰をチェックしにきていた。

 時計に目を向ける。もうじき終わるから……レッスン開始から約二時間か。

 俺が来てからもかなり強度の高い曲をこなし続けているが、音程揺れもなく表現力も維持してる。

 元から才能はあったとは思う。それでもこのレベルまで高めてきたのは努力の賜物だろう。

 俺も散々時間かけて付き合ったからという訳じゃないが、贔屓目無しでアイドルの枠を超えてると思う。


 いつも通り担当トレーナーと修正点や強みを確認し合い記録に残す。

 この作業も最初は嫌がられたものだが、今では慣れたもんだ。

 またご飯ご馳走して機嫌とらないといけないが。次は海鮮って言われてたな。



 少しして、やり切った顔の氷ヶ峰が出てくる。

 こいつのこだわりでボーカルレッスンの時は毎回高校時代のジャージを着ている。

 美少女はダサいジャージでもサマになるなといつも思う。

 俺はこの姿もSNSでアップしたら好意的に受け取られると思うのだが、本人には拒否されている。


 ……ん、なんか氷ヶ峰が頭をゆらゆら揺らしてる。

 髪を切ったから頭が軽くなってしっくりきてないのだろうか。


 あ、俺に気づいた。


「……犬飼くん、どうだった?」

「いい感じ。またフィードバック入れとくから」


 トレーナーさんに礼と挨拶をして、急いで移動の準備をする。

 ぼうっと立ったままの氷ヶ峰の周りを片付けていく。


「犬飼くん」


 えーと、この後はプライベートプールに行ってしばらく泳いで、岩盤浴で仮眠とって、今は晴れてるから景色の良い山間でランニングをして、こないだ神経質な講師をクビにした英会話教室に再チャレンジして、テレビ用のスゴ技チャレンジの練習は……会議室押さえてるな。よし。


「犬飼くん」


「ん?」


「……ひとつお願いしていい?」


 ……きた。なんだ? 今度は何を思いついた? 

 大丈夫。今日の予定はすべて自己研鑽。

 ドタキャンしても他のアイドルに迷惑がかかることはない。

 何を言い出す? ストレス発散か? 

 三か月前に試した体験ボクシングがやっぱり楽しかったのか? 名刺どこやったかな。

 ……いや、この顔は、喉が渇いたか? 

 水もお茶も紅茶もマミーも……入れたな。うん、リュックに入ってる。

 何でも来い。俺なら対応できる。


「…………………………なんだ?」


 俺の顔を見て、氷ヶ峰が拗ねたように少し笑った。


「そんなに身構えないでよ」


「自分の行動を省みてから言ってくれ」


「……ごめんなさい」


「は?」


 あやまっ……た……? 氷ヶ峰が……?

 俺の小言に伝家の宝刀『うるさい』や『黙って』を抜かない……?

 ふと、そういえば今朝もこいつに謝られたなと思い出していた。

 髪を切った衝撃でよく聞いて無かったんだ。


「反省してるの。だからおもてなししたい」


 待ってくれ。何を言い出す。


「──────ちょっとデートしようよ、昔みたいに」



 それは予想してなかった。マジかよ。










 ────────────

 いつも読んでくださりありがとうございます!

 何度もタイトル変更すみません。

 今のところこれでしっくり来てます。



 やる鹿

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る