第9話 個室デート
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私は、ボーカルレッスンが終わったあと、ほんの少しだけ……いや、もう強がるのはよそう────かなり大きな気合いを入れなければならなかった。
まず、今から、どんな顔をしたらいいのか分からない。
私のマネージャー、犬飼竜太郎にデートのお誘いをするからだ。
本当は、朝いちばんで言いたかった。
ボーカルレッスンも今日だけは休んでどこかに行かないかと言いたかった。
でも怖くて言えなかった。
私はこの約二年半、自分で言うのも何だけど、ストイックに突っ走りすぎた。
今さら何を、と思われるのが恐ろしかった。
それでも昨夜、思い切って髪を短くした。
本当に変わりたいと思ったから。
竜太郎が好きな髪型にできるのもちょうど良かった。
半年後、私はおそらくアイドルを引退するだろう。
それくらい祖父との契約は厳しい。夢の終わりは見えている。
だからこそ今は、これまで頑張ってくれた竜太郎に感謝したいし、後悔しないように過ごしたいと思うようになっていた。
「───ううん、こういうことも直接言わなきゃ」
目を瞑り、小声でそう呟きながらフラフラと歩く。
私にとって、本心を伝えるというのは中々に難しいことなのだ。
『何とかしてって言えよ。何とかしてやるからよ』
私と違い本心を伝えてくれた竜太郎の熱が、一日経っても私の中にしっかり残っている。
気持ちに応えたい。もう独りよがりな自分とはさよならしたい。
さしあたってまず、今日は竜太郎のための日にしよう。
昨日寝る前にそう決めたのだった。
「犬飼くん」
テキパキと働く竜太郎を見ながら心で思う。
───いつもありがとう。
「犬飼くん」
「ん?」
「……ひとつお願いしていい?」
そして私は、何とか竜太郎にデートしたいと告げることが出来たのであった。
ーーーーーー☆彡
「……それで、何で美容室なんだ?」
「髪伸びてるなと思って」
そう、まずはここ。
私が昨日カットしたヘアサロンに来ていた。
芸能人御用達の店内は真っ白な内装で、それを彩るきらびやかなスタッフが闊歩している。
正直言うとここで竜太郎は浮いていた。
今は髪も眉毛も整ってないからだ。
人の印象はそこで大きすぎるほど変わる。
でも私は、竜太郎がちゃんとしたら格好いいのを知っている。
今から出来上がりが楽しみだった。
私は、奥に進み、歩くのが早くて元気なところしか見たことがない彼女に声をかける。
いつも担当して貰っている美容師だ。
売れっ子だけど昨日に続き今日も無理やり空けてもらった。
「ミサコさん、こんにちは。無理聞いてもらってごめん」
「任せて~。二日連続で会えてうれしいわ~。この子の髪型の希望は?」
「目が見えるくらいに。ツーブロックとか威圧感があるのはやめて」
「おっけーい!」
竜太郎がミサコさんに座らせられながら(何で勝手に決めるんだ……?)と言いたげな目で見てくる。
でも椅子にちょこんとおさまった彼はこっちを見てくるだけで何も言わない。露骨に大人しい。
……んー?
今日初めて知った。
竜太郎ってカットクロスを被って座っていると静かになるの……?
なんか頭だけきょろきょろしてて可愛い。写真撮ろうかしら。
「……あ、そうか」
そこで初めて、思い出した。
高校時代、竜太郎はお金がないから自分で適当に切ってると言ってたこと。
そして、思い至った。
入社してお給料が入ってからも、私が頻繁に予定を変えるからちゃんとした美容室に行けなかったんじゃないかということ。
「もしかして犬飼くん美容室って初めて?」
「……千円カットなら行ったことあるけど」
気づいてあげられなくてごめん。最低だ私。
自分の浅はかさに凹んでいる間に、みるみるうちにミサコさんが髪にハサミを入れていく。
バサリバサリと不要な髪が落ちて、切れ長の目に、アイドルも羨む平行二重幅が見えてきた。
やっぱり格好いい。
でもミサコさんもしきりにイケメンイケメンと言い出したのが、仕事なのは分かってるけど、なんかイヤだった。
私はなんだか面白くなくて、その場を逃げるようにあとにした。
カットが終わり、髪を洗ってサッパリした竜太郎をロビーで迎える。
私が近づく前に、なんか受付のスタッフの子が話し出した。
背が低めの彼女は、頬を赤く染めて竜太郎に色目を使ってる気がした。
腹が立つ。
ずんずんとそばに行き、言う。
「何してるの?」
「……支払いだよ」
「私が払う。そのつもりだった。向こう行ってて」
竜太郎を押しやり、スタッフを威嚇するように見つめ、支払いを済ませた。
次の目的地は決まっていた。
ーーーーーー☆彡
「……それで、何で岩盤浴なんだ?」
「クマすごいなと思って」
そう、次はここ。
「うるせーよ」と言う竜太郎の背中を押しながら薄暗い廊下を進む。
私が週一ペースで通っている岩盤浴。
主に体力回復、肌保湿、仮眠のために使用している。
いつも竜太郎は私が寝てる間に仕事をしている。
だからと言ったらあれだけど、彼のクマが凄いのは本当。
二人で入れる個室があるので、一緒に横になりたかったのは内緒。
「おい、本当に二人で入るのか? お前だけで良いんじゃ……」
「言うこと聞きなさい。ろくに寝てないんでしょ」
言いながら私のせいか、と思う。でも素直に謝れない。うう。
自分の顔が曇るのが分かる。ごめんなさい。
「……せっかくだし行くか。本当にこのあとの予定全キャンセルで良いんだな?」
「うんっ」
思ってる以上に声が弾んでしまって少し恥ずかしかった。
ーーーーーー☆彡
「…………なんか薄いわねこのガウン」
私は竜太郎と分かれて更衣室にいた。
自分の身体を見下ろすと、胸の形が丸わかりなのが分かった。
いつもは一人だから気にならなかったけど、こんな感じだったっけ。
下着をつけるか迷って、竜太郎の顔を思い浮かべる。
今日は、竜太郎のための日なのだ。ええい。
意を決して個室に入ると、竜太郎はもう横になって目を閉じていた。
振り絞った勇気が行き場を失くして霧散してしまった気がした。
もう。
「犬飼くん」
反応がない。隣に寝転がり、顔を近づける。
寝息が聞こえてきた。疲れてたんだね。
「犬飼くん」
短くなった前髪を、少しかき分けるように触れる。
それほど暑くないからか、汗ばんでるわけではないが、しっとりした肌を感じた。
「……竜太郎」
長らく呼んでなかった呼び方は、私の胸を切なくさせた。
私は、変わりたいと思っていたが、自分が弱くなってしまったように感じた。
でも、それでいい。
気持ちを、小さな声で伝える。
「……竜太郎、いつもありがとう」
─────────
全話サブタイトル変更しています。
内容に変わりはありません。
夜も更新する意気込みアリマス。
やる鹿
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