第12話 たった紙一枚で

 <氷ヶ峰ひょうがみねこおり>


 私は今、氷ヶ峰家本邸の、大広間に鎮座していた。


 白いクロスが敷かれた長すぎるテーブルの、一番奥の上座に祖父が座っている。

 そのサイドに海外出張から戻った母、姉、私、弟が向かい会うように並ぶ。

 それから直系の私達より下座に、父、姉の旦那と子供が着席し……そして、一番端っこに祖父の愛人が綺麗な姿勢で腰かけていた。


 つまり、このテーブルに合計九人がいる。

 そして、私たちの周りにはで親族や懇意の企業のお偉方がいくつもの席に分かれて座っていた。


 今日は数か月に一度の一族総出で執り行う、私の祖父────冷厳れいげんへの謝恩会だ。


 私は、この催しが子供のころから悪趣味で嫌いだった。

 湯水のように金をかけ、冷厳れいげんの権力を誇示する。

 祖父に媚びるような態度を取る大人たちも気持ち悪くて仕方なかった。


「──それでは、冷厳会長よりお言葉を頂きます」


 司会の女子アナみたいな、見るからに祖父が好きそうな女が喋り始める……というか、名前は思い出せないが、どう見ても最近フリーに転向した女子アナだった。

 祖父の成金ミーハー趣味には呆れて言葉が出なかった。


「ええ────諸君、本日は集まってくれてありがとう! 儂にとって……」


 祖父の長い挨拶が始まって、我慢できなくなった。

 意識を閉じ、なにか愉快なことを考えよう。


 愉快なこと愉快なこと愉快なこと……。


 ────まぁ、ここで私を助けてくれる思い出は、アレしかない。


 もう二年ほど前、まさしくこの謝恩会で、竜太郎と私が起こした事件だ。


 ふふ。あれは最高だった。


 竜太郎の手引きで、──今でもどうやったか分からないが──芸能関係の権力者を何人もこの場に引っ張り出し、祖父の前で私が高卒でアイドルになるというプレゼンテーションとパフォーマンスを同時に行った。


 最終的に、竜太郎の演出でスクリーンに映し出された見栄っ張りな祖父が、苦虫を噛み潰したような顔で「……認める」と言った時の爽快感は凄かった。

 舞台裏で竜太郎とハイタッチした時の手のひらの熱さは、まだ憶えてる。


「……ふふ」


 祖父からすれば私が大学進学せずアイドルに専念するなんて青天の霹靂だったはずだ。許可なんて絶対に出せない。

 でも、竜太郎のおかげでアイドルになれた。


 結局、そのあと、祖父から私の可愛い弟──れいという──の進路を盾に脅され、氷ヶ峰こおりのアイドル活動は二十歳になるまで、という契約を結んだ。


 竜太郎にはその契約を内緒にしたし今も経緯を話していない。

 迷惑がかかるし、当時は私が努力して祖父が出した条件───三百万枚を売ればいいと思っていたから。


 でも、無理だった。甘かった。

 私も頑張ったけど、それ以上に竜太郎を酷使しただけだった。

 はぁ涙が出てくる。


「竜太郎……ごめんね……」


 ひとり呟く。

 すると、隣に座る弟が反応してきた。


「こおり姉ちゃん、さっきから一人で笑ったり泣いたりこえーよ」


 まだ少年の弟をじっと見る。


「……れい。人はどこまでいっても一人なのよ」


「ワケ分かんねーよ……」


 何も知らない弟に、クロスの下で膝にデコピンする。

 はぁ。溜飲が二ミリメートルだけ下がった。

 あとはもう、やたらと豪華な食事を堪能することでこの場をやり過ごすことしか出来なかった。



 ーーーーーー☆彡



 謝恩会も佳境を迎え、そろそろお腹いっぱいだし眠たくなってきたなと思っていた時────。


 不意打ち的にはやってきた。


「おおー! 来たか。こっちに席用意せい!」


 祖父は、いつの間にか隣に陣取っている愛人を顎で使い、スペースを作った。


 やたらと派手なスーツを着た、線の細い若者が、祖父の下へ歩いていく。

 若手実業家か何かだろうか。祖父はそういう手合いが好きだからそう思った。


 だけど違った。


 突然だが私は耳がかなり良い。

 少し離れているが、祖父が愛人に「────どうだ?」と耳打ちし、

 愛人の───美琴みことさんが「このオーラ、間違いありません」と言ったのが聞こえた。


 嫌な予感がする。

 私は、母と姉から、最近祖父が愛人とオカルトにハマってるんじゃないかという話があったことを思い出していた。

そして───祖父、冷厳が言った。



「こおり、こっちに来なさい。お前の霧島きりしま凛空りくくんじゃ」



 ……は? ───そうきたか。


 こいつが許嫁? 私の、結婚相手?

 今までの人生で、想像したことはもちろんある。

 家に生まれた者として。


 しかし何というか……。


 実際目の当たりにすると────────────虫唾が走った。



「おじい様! その話はあと半年あるはずでしょう!」


 迫力のある祖父に向き合う。私はまだ負けてない。キッとした目で睨みつける。


「そんなに嫌がらなくてもいいじゃーん」


 祖父と対峙する私を見て、横から霧島凛空と呼ばれた男が私の方に寄ってきた。

 寄ってくるな。


「……」


「えー、無視? 僕って結構凄い人なんだけどなー」


 知らないわよ。

 でも確かに、姉が口を手で覆って感激してるように見える。

 有名人なの? どうでもいいけど。


「有名人とか、私そういうの興味ないから」


「……興味あるのはだけだって?」


 ───は? 何でこいつからその名前が出る。

 祖父の方を見てみるけど、ただ興味深そうに成り行きを見守っている。

 祖父ではない───?

 私が思考を巡らせてる間に、さらに霧島凛空は近づいてきていた。


 近づくな下衆が───。そう罵倒しようとして、詰まった。


 相手がこれ見よがしに持っているが気になったから。

 でも今思うと、聞かなければ良かった。


 私は、いつも短絡的で、選択を間違い続ける。


「……その紙、なに?」




「あ、これ!? ……じゃーん!! なんと! 退


 アンタ、捨てられちゃったねー! アハハ!!」



 退職届……?


 退職届って言った───!?


 信じられなくて、私は、紙を奪い取り、読んだ。

 そこに書いてあったのは。


 ───まぎれもなく、竜太郎の字だった。


 竜太郎が、辞める?

 私の傍から、いなくなる?


 

 想像した瞬間。

 

 視界が暗くなって、私はそのまま派手な音を立ててテーブルに倒れ込んだ。











 ────────────

 特に気にしなくていい設定


 祖父    冷厳れいげん  80歳

 母     冷気れいき 45歳

 父(婿養子)まさる 50歳

 長女    雪子ゆきこ 23歳

 次女    こおり 19歳

 長男    れい 15歳


 愛人    美琴みこと 50歳




 やる鹿

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