第17話 竜太郎、彼女ができる


 <猫屋敷ねこやしきくるみ>


 打ち上げが終わり、タクシーに乗って自宅に帰ってきた。


 鍵を開けて中に入り、薄暗い廊下を、あくびをしながら抜ける。

 ただいまも言わず、リビングに入る。

 すると、父がダイニングテーブルに座っていた。


 瞬間、苛立ちが募る。


「お父さん、何時だと思ってるの」


 もうとっくに日付も変わっている。


「……ん。おかえり。いや、だいぶ前に寝ようと思ったんだけどね、ちょっとここでうとうとしちゃって。ご飯は食べたか」


 ──嘘だ。この、背が低く、細くて折れてしまいそうな父は、私が帰ってくるのを待っていたのだ。


「打ち上げなんだから食べたに決まってるでしょ。それに明日も仕事なんでしょ。早くベッドで寝てよ」

「……ああ、そうするよ。おやすみ、くるみ」


 そう言ってのろのろと寝室に向かう父を見て思う。

 ────哀れな人だ、と。


 私は父子家庭で育った。

 一人娘の私は、小学生低学年の頃に、母が失踪したのを鮮明に憶えている。


 私が知る父は、ずっと変わらない。

 母が失踪した日も、私がアイドルデビューした日も、私が買ったこのタワマンに引っ越してきて、もう働かなくてもいいよって伝えた日も。


 ずっと変わらない目で私を見てくる。

 それが私は嫌で仕方なかった。


 気持ちを切り替えよう。

 シャワーを浴びて、一通り美容に必要なルーティンをこなす。

 顔面から全身、バストケアまで欠かさない。

 めんどくさくて仕方ないが、日々の積み重ねが、結局はコストパフォーマンスに優れている。


 はぁ。今日も一日長かった。

 やっと一人だ。


 精神的にも体力的にも疲れていて、今すぐ寝たい気持ちがあるのに、気づいたら私は防音室に入っていた。


 ギターを構えて、鳴らす。


 今日という日を回想する。

 あーあ。

 犬飼竜太郎にちょっかいかけられると思って楽しみにしてたのに。



『ううん、彼は私のもの。私が最初に見つけた』

 そう言った氷ヶ峰ひょうがみねこおり────どいつも。


『くるみさん、貴女は誰かを本当に好きになったことがありますか』

 そう言った春出水はるでみず桜子────こいつも。



 私の楽しみに水を差しやがって。



「ムカつく」



 仕事仲間も、父も、自分も、全員嫌いだった。

 感情のままコードをかき鳴らし、叫び、録音した。

 ほろ酔い歌唱でmixも何もせず、衝動のままにアップロードする。


 私はアイドル名を出さず、匿名でToutubeに曲を不定期に投稿していた。

 素人の真っ暗な画面に曲だけが流れる動画しかないチャンネルなので、

 ほとんど再生されず知名度もないが、この活動だけが私の証明だった。


 ソファに倒れ込み、横向きに丸くなる。

 はぁ。

 このまま繭になって、ドロドロになって、別の生き物に生まれ変わりたかった。


 落ちていきそうな意識の中、スマホに通知がくる。

 私はSNSの類の通知はすべて切っている。ウザいから。


 その中で唯一、この音楽Toutubeの通知だけONにしていた。


 タップする。


 DD【今回も最高でした。真名まなさんの怒りを感じます】


 …………嬉しい。私の音楽に乗せた感情が、理解されると本当に嬉しい。


 真名まなというのは私の苗字だ。苗字だけど名前みたいに使えるから気に入っている。

 もちろん猫屋敷は芸名。

 くるみは本名。


 私は特にコメントに反応は返さないけれど、このDDさんという方は、唯一と言っていい私の音楽活動のファンで、私の拠り所だった。


 DDさんのおかげか、少し落ち着いてきた。


 本来の私を取り戻す。


 ……よし。犬飼竜太郎でもいじめるか。

 起きてるか分からないけど通話をかける。



「もしもし、竜太郎くん」


「…………何ですか」


 声が枯れ気味だ。相当飲んでたもんね。


「起きててよかった。今なにしてるの?」


「気づいたら店内に一人で寝てました。さっき起きて頭痛で死にそうです。スマホ触りながら誰かが買ってきてくれたヘパリーゼと水を泣きながら飲んでます」


 かわいそう。でも追い打ちかけちゃう。


「ふーん、そういえば、私氷ヶ峰さんに言っちゃった」

「何をですか?」


「竜太郎くんが私の専属になってくれるって話」


 どうだ。焦ってみなさい。


「はぁ……まぁいいですよ」


 え。


「いいんだ」


退って話なので、事実です」


「氷ヶ峰さんはめっちゃ動揺してたよ。言い訳しておいた方がいいよ」


「別に言い訳しないですよ。この話も俺は聞かなかったことにしますので」


 ……ふーん。


 ────やっぱり私、こういうところが、どうしようもなく苛立った。


「……竜太郎くんってさ、彼女いるの?」

「いませんよ。ていうかこういうプライベートな通話ってやめませんか」

「どうして?」

「どうしてって、我々はアイドルとマネージャーという立場ですので」


 何で


 頭がカッとなって、視界が一瞬赤く染まった気がした。


「……じゃあ私と付き合って」


「はい? 何か用事ですか?」


「……私の彼氏になって」


 うわ、何言ってんだ私。やば。


「……………………」


「……黙られると困るんだけど」


「え、あの。マジですか……?」


「うん」


 うん、でいいのか。

 あれ、なんか私も頭回らなくなってきた。

 何でこんなこと言ってんだ私。


「う、うおお……」


「竜太郎くん、やっぱり私……」


「うおおおおおおおおおおおお!!! ついに人生の春きたああああああああああああ!!!!!!!!!!!!」


「え」


 びっくりした。犬飼竜太郎が叫んでるのが分かった。思わず耳をスマホから離す。


「猫屋敷さん……明日、俺オフなんで、デートしましょう」

「え、いや、あの」

「猫屋敷さんもオフなの俺知ってますんで」

「え、なんで、こわ」

「また追って連絡します。速攻二日酔い治すんで。待っててください。では」


 プツ。


「切れちゃった……」


 あれ、もしかして、なんか大変なことになってしまった……?






 ーーーーーー☆彡



 翌朝、起床。

 少しずきずきする頭を押さえながらスマホを開き、考える。


 なんか昨日酔って変な夢を見たなと思いながら。




 犬飼竜太郎【おはようございます。彼女がいる朝というものは、こんなにも世界が輝いて見えるのですね。これもすべて猫屋敷さんのおかげです。ありがとう。記念すべき初めてのデートは、思い出に残るようなものにしたいと思ってます。せっかくの一日オフ、日頃お疲れだと思いますので、少し遅めの夕方頃からのデートを提案したいのですがどうでしょう。返信待ってます】




 んんんんんんんん。


 夢じゃなかった。昨日の私は何をやってるんだ。


 まぁ、実際会ってちょっと話せば上手く無かったことにできるか、と軽い気持ちで私は考えていた。










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