超常現象 あるいは怪物 ⑬
「……仮校舎ってレベルじゃないですもんね、今の校舎も」
とりあえず二人の話を聞いて思ったことを言うことにした。十年で移転を決めたと言うより、元より奥多摩に建てるつもりが、何かしらの事情でできず今のところで開校することにしたのではないか、と。けれども言いながら、それにしては立派な建物だと思った。元々学校か何かがあって、流用したのだろうか。
「あれが仮校舎なら余程至極学園は金が余ってるらしい。うちに分けて欲しいくらいだ」
山内は鼻で笑い、皮肉っぽく吐き捨てた。紀乃が通う夜明学園も、数年前に建て替えたばかりである。資金難だという話は聞いたことはないが、建て替えで動く巨大な金額を思えば、欲しいといういい方になるのは当然といえた。
刑部は少し眉を寄せ、紀乃に言わないかんことがあると言い出した。
「紀乃の親父が来てた。なんか、薬が流行ってるんじゃと。世も末じゃ」
山内がそれを聞いて椅子から転げ落ちた。当然大きな音がしたので、店内にいた人のほとんどが山内に目線を向けた。当人は何事も無かったかのように椅子に座り直しレモンティーを啜る。それを見て一斉に向けられた目線は霧散した。
少しの間を置いて、大丈夫ですか?と小声で声をかけた。山内は頷き、紀乃に目線だけで続きをさせろ、と訴えた。それにこくりと頷き、小声で刑部に尋ねた。
「流行ってるって、学校で?」
紀乃も内心聞きながら、世も末であると思った。祖父も父も警察官という家系に育った紀乃は、「覚醒剤には手を出すな」と嫌になるほど聞かされてきている。特に、祖父と伯父による、覚醒剤の恐ろしさを渾身の演技を交えた紙芝居は強烈なインパクトを残している。今思えばあの時一緒に隣にいた刑部の顔は、凄まじく苦い顔だった。あれは己の過去を思い出していたのだ。薬で転落していった、かつての主家を。
「うん。ついでに売買の道筋を辿るのに、周りの学校にも聞き込みするんじゃと。……まさか子どもにまで手を出すとは思わなかった。怖さはよく知ってるのに、甘く見てた」
その声を聞いて、刑部の内でどれほどの怒りが爆ぜているのかと思うと、怯みそうになる。怨念はない、と言ったはずだが、今の顔はどう見たって恨みの感情に支配されていた。
空気を変えようにもどういったものか。とりあえず売買ルートのくだりで思ったことをそのままいうことにした。
「でも、道筋は乙宮姫子しかいないと思いますけど。おしろの会の在庫処分してたんじゃないですか」
警察がしらみ潰しで当たるのは仕方ないと分かっている。しかし、実際に麻薬を作っていたおしろの会の会長の娘がいるのだ。警察が押収しきれていない、精製した麻薬が保管されており、それを乙宮姫子が持ち出して売り捌いている――――――十分ありうる話だろう。
しかしそれを聞いて山内が再び、椅子が転がり落ちたことで、いったん会話は中断された。今度は紀乃たち以外、誰も注目しなかった。山内はそれをいいことに何事もないように座り直した。しかし山内が青い顔になっているのを見て、刑部は眉を吊り上げた。いつもの折檻の時の顔つきである。
「紀乃!お前どう言う言い回しかね!普通の売り物と違うんじゃ!見てみい、先生びっくりして、またひっくり返ってしもた!」
「だって!会長が逃げ回ってるなら、売れ残りみたいなものじゃないですか!麻薬の賞味期限知らないけど!」
山内がひっくり返ったのは絶対そこじゃない、と思いつつ刑部に言い返した。ちなみに顔を見る限り、彼自身そこではないと思っているらしい。長年の付き合いでわかる。少しだけ目が泳いでいたのだ。さすがに二回も山内が椅子から転がり落ちたので、刑部も狼狽えたのだろう。
「あー信じられん!ほんまにどういう言葉の使い方かね!不肖の弟子を持つと苦労する!」
「すいませんねえ!」
嫌味っぽく言ったところでお互いため息をついた。山内の方を見ると、お手本のような「ドン引き」顔だった。そんなに引かなくても、としおしおとうつむいていたら、指文字で文句を言われた。
『お前!人がさんざん祟りのことを教えたのに、なんだその舌戦は!』
『これが日常茶飯なのでいい加減慣れてください!』
本当にいい加減慣れてほしい。紀乃と刑部の言い争いは、今に始まったことではないのに。さすがに高速指文字は疲れた。手首をプラプラと軽く動かしていたところ、外の光景が目についた。泰政と赤座が二人並んで歩いている。随分親しげに話しているようで、赤座の方は笑顔が見えた。泰政の表情はうかがい知れなかった。
二人はカフェのある方とは逆のほうに歩いて行った。しばらく見守っていたが、やがて姿が見えなくなった。
果たしてあれはどうとるべきかと考えていたら、落ち着きを取り戻した山内が問い詰めてきた。
「……お前、おしろの会なんてよく知ってるな。事件があったのはもう十年は前のはずだが」
「伯父さんに乙宮姫子さんの名前聞いたら、おしろの会の名前が出まして……」
これは事実である。多分勝治に聞かなければたどり着かなかっただろう。おしろの会の会長の名前なんて、いくら珍しい名前とはいえ記憶にとどめている人はよほどいないと思う。
「……言われて、どうして気づかなかったのかと反省している。乙宮姫子の両親は多忙らしく、会ったことがない。来ていたのはおじいさんだ。別にそれ自体はよくあることだ。だが、今思えば、随分くたびれた顔をしていた。お前のおじいさんと比較すると余計な」
「おじじさまはなあ。大じじさまがあんなに元気じゃからねえ」
「ひいじいちゃんが健在ですからねえ。うちはそういう血筋なんだと思いますよ」
また黙っていると山内から文句が飛びそうなので、刑部が言い終わるくらいで意見を述べておく。
山内は乙宮姫子の祖父とは面識があるらしい。春先に担任だったなら、家庭訪問で会う機会があったのだろう。
「……お前のおじいさんいくつだ」
「七十……何歳だっけ」
「七十二じゃろ。おばば様の二歳上じゃなかったかしら」
刑部の方が早かった。七十二歳です、とそれを受けて答えた。山内はそれを受けてまた「ドン引き」顔になった。
「……ひいおじいさんは」
どうやら曽祖父が生きていると知って一体いくつなのかと想像したらしい。
「今年白寿のお祝いしたから……九十九歳?」
「そうか、いまは満でやるからの」
「随分長生きだな……」
「本人は世界記録更新するまで生きるって言ってますよ」
あの調子だと、本当に更新しそうである。刑部もずっと元気じゃねえ、と感嘆とした様子だ。
「話がそれた。今おしろの会のことを聞いて、腑に落ちたんだ。家庭訪問に行ったとき、おじいさんと家政婦に会った。二人ともおびえた様子だったからなぜかと思った。若い男が担任で不安がられるならともかくな。……あれは、ばれるのを恐れていたんだな」
「会長の居場所を、ですか?」
「自分たちがおしろの会の関係者だとばれるのが怖かったんだろう」
「でもおしろの会絡みって結構取り調べされるって聞きましたけど……」
これは勝治に聞いた。勝治自身、おしろの会の事件の時は警視庁に出向していたため、ある程度の事情を知っていた。佐月の件でいろいろ思い出したらしく、ネットには載っていない情報を教えてくれた。となりで刑部が聞きながら、「本当に教えて大丈夫なんか?」と不安そうにしていたが、人の身体に手を突っ込んで情報をとってくる幽霊が心配することではないと思う。
「実際、紀乃の親父が何度も乙宮姫子に聴取を頼んでる。大体体調崩したとかで断られとるから、成功はしとらんみたいだが」
山内が三度目の転倒をしそうになった。さすがに当人もまずいと思ったのか、何とか踏ん張った。これは刑部が悪いはずなので、じとっと睨んでおいた。刑部は気まずそうにしている。それにしても本当に無法すぎる。一体どこからそんなことを。
「……すまん、紀乃の親父からも取ってしもた。仏頂面じゃが、何回も袖にされてるから、内心はらわた煮えくりかえってるみたい……」
「お父さん、怒るとかあるんだ……」
冷静沈着な姿しか見ていないので想像がつきづらい。状況を考えれば、それだけ怒りを覚えても当然なのだが。
「うん。多分角生える」
刑部は両手の人差し指を立てて頭の脇に近づけ、鬼の角に見立てた。言い方がかなりおどけていたので思わずクスリと笑ってしまった。お互い笑いあったところで、刑部が俯いて小声で何か言った。しかしそれはほかのカフェの音に紛れてしまって紀乃の耳に届かなかった。なんですか?と聞き返したが、刑部は独り言、と笑うだけだった。
山内はお前の父親は仕事熱心だなと言った。顔つきからして嫌味としか思えず、うなだれるしかなかった。紀乃に非はないはずだが、文句の先が父親なのでいたたまれない。刑部の方が同情したのか、先生意地悪じゃね、と妙に優しいことを言ってくる。本当に、折檻の時の鬼のような形相との差が激しい。
山内は時計を見て、ちょうどいい時間だ、と言って店をようと言った。かなり長いこと話していたつもりだったが、そうでもなかったらしい。スマホの時計を見たら、九時を少し過ぎたくらいだった。
「……変に首を突っ込むなよ。捜査は警察の仕事だ」
山内は何かを察したのか、至極普通の、まっとうな説教を紀乃にして伝票を持った。レジに向かって会計をどうするか聞かれた。山内は一緒でいいです、と少しだけ愛想のいい声を出してカードを財布から出して機会にかざした。紀乃はとりあえずむき身で五百円玉を山内に差し出した。
「返事は!」
「はい……」
肩を竦めていると、分かったならよし、とまた来週、と言って山内はスーパーの方角へ向かっていった。先生はお見通しみたい、と刑部は苦笑いしてきた。言われるだろうな、とは予想していたものの、本当に言われると、予想通りすぎてかえって気が抜けた。ただ、実際捜査は警察の仕事である。それは、分かっている。分かっていても、どうしても自分で突き止めたいと思う。
山内の姿が小さくなった頃、ぶつぶつと刑部がまた何かを呟いた。
「……設楽、園田がまだいる。……野々村と崎森をどうにかするだけで、満足してはいけなかったのに」
「師匠、気になること言うならちゃんと言ってくださいよ」
「言うてじゃ、脳みそないから垂れ流しじゃと」
「それ、笑っていいやつです?」
この返しをされるのは二回目だが、果たしてジョークととっていいのか、判断がつかなかった。当人は紀乃がしたいようにすればいいと平然と言う。
「……乙宮姫子には近づかない方がいい。生きてる頃は遠目で見たくらいで、ほぼ噂でしか知らんかった。けど、今日乙宮姫子のことみたら……ほんまもんの化け物に見えた。身体無いのに、骨が震えるかと思った」
それを聞いた紀乃も、背筋がゾッとした。心地いいはずの秋風が、なおのこと寒気を誘った。
「どんな化け物ですか」
恐る恐る聞いてみた。……自分があの時見たような、あの姿なのか、それとも違うものなのか。
「……紀乃がちびの頃、妖怪の図鑑一緒にながめたじゃろ。あれにあった、雪男かね?黒くて毛むくじゃらなの……。それに似てた」
同じものを見たのだ。そのことに安堵するよりも、むしろ検知能力がなかったはずの刑部にすら、そんな姿を見せた乙宮姫子が空恐ろしかった。
「わたしが見たのと、多分同じです」
「そうか、あんな姿に見えて、おまけに臭いとは最悪じゃ。ちびの頃ならきっと火がついたように大泣きじゃったろうなあ」
一息ついて、なんで今は泣かんかねえ、と不思議そうに言われた。あれを見て怖いとは思ったが、涙は不思議と出なかった。もう子どもじゃないので、と言ってみたところ、生意気じゃ、と頬を軽く抓られた。
「……どうする?」
「わかってないことしかないので、まだ続けます……。けど、薬さばいてもいじめられるんですね」
覚醒剤や麻薬に手を出そうと思ったことはないし、今ならなおのこと出す気がない。しかし、覚醒剤というのは通常、反社会勢力の「シノギ」というやつだ、という認識はある。そしてそれらは枝分かれしていって一般人に広まる。たどりたどれば反社会勢力だから、そこへのアクセスが近い属性の人間がより触れやすい。それはたいてい、学校社会で言えば不良とカテゴリされる人たちだろう。
覚醒剤や麻薬の恐ろしさは、その中毒性だ。一回やってはまってしまえば、次が欲しくなる。その繰り返し。それを利用して金を吊り上げ、さらにさらに堕ちていく。もし乙宮姫子が薬をばらまいた張本人なら、それなりに厚遇されてもいいはずだ。むしろ中毒者にとっては恵みを与える神に等しい。なのにあの苛烈ないじめは何だろう。自分で言いながら矛盾していると考えた。
刑部はふっと笑った。
「わしの時も同じ。乙宮の巫女が薬を持ち込んだけど、鳳家の侍女からは嫌われていたよ。……多分薬さばいてるとして、その薬を
「でも普通、不良とつながってるってなると、怖くて手を出せないものじゃないですか?」
お金を払って彼氏になってもらうなら、麻薬を渡してボディーガードをしてもらう、というのも成立しうる気がする。
「そもそも薬言うたって、ほんまに乙宮がさばいたかはわからんでな。それこそ警察の仕事じゃろ」
もう帰ろう、考えるのはうち帰ってから、と刑部は笑った。
「……きっとそのうちわかるよ。あの子のことを、落とした犯人も。紀乃の親父は優秀みたいだし」
山内と違って、刑部の言い方は本心から言っているように聞こえた。正確には、そう信じたい、という気持ちが出ているというべきか。こくりとうなずいた。とんでもないことに巻き込まれた、とあの時は感じた。けれども実際には、紀乃が動くまでもなくいろんなことが変化していく。
改めて至極学園の校舎を見た。変哲のない学校に見えるが、その中では恐ろしいことが行われている。けれども見えなければ、何もないように見えてしまう。でも、だからと言って目をそらし続けていれば、取り返しがつかないことになる。
しかしここから先はお前が立ち入るところではない、と師匠と恩師に言われては、いまだ十五歳の紀乃は大人しく従うほかなかった。
因果の糸 早緑いろは @iroha_samidori
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