この作品を一言でいうならば現代異能力バトル物とかになるのだろうか。
こう言ったジャンルは最近よく見かけるが、このジャンルを小説としてやるのはいささか無理があると思っていた。
それは、小説の特性として、画が無い、という問題があるからだ。書籍化されているライトノベルならいざ知らず、ネットにアップロードされている物や、小説、ライト文芸などと呼ばれている物には絵がついていない。
この特性を踏まえて現代異能力バトル物について考えると、やはり一番の華は戦闘描写にあるだろう。この華こそが小説でやるうえで障害になってしまっているのだ。
例えば、マンガや映画、ドラマ、劇に至っても観客はシーンを視覚情報によって消化することができる。つまり、見ただけで分かる、というやつだ。
しかし、小説ではそれが非常に難しい。文章を映像化するという能力はいくらかの人間にしか備わっていないからである。
その反面、小説には視覚情報では伝わりにくい部分の描写が得意という特性がある。
登場人物の感情や、思考、はたまた自然の美しさなどは小説だからこそ美しくできる部分があると思う。
さて、本作に注目してみたらどうだろうか。
地の文は一人称一元視点であり、その語り口調はキャラクターの性格によって明確に色分けされている。作者は視点が変わるときに◆◆◆◆を入れるという配慮しているが、もしなかったとしても、少し読めば誰の視点なのかはすぐにわかるだろう。
作品世界についても、現代の日本をベースとしているため想像をしやすくなっていて、「魔術師」や、「6匹の怪物」といった設定は読み手の想像力を掻き立て、世界観の広がりを感じさせてくれる。
キャラクターを見てみても、はっきりと色分けがされていてそれぞれに違った魅力を感じることができる。
そしてなんといっても描写という言葉をこの作品を語るうえで忘れてはならないだろう。
私は先ほど小説は画が無いことが欠点であるというような言い方をしたが、もしそこに絵があるかのような描写、表現ができている小説があるのだとしたら、それは間違いなく最高のエンタメであろう。
すなわち、この作品は最高のエンタメの一つなのである。
きっとこの作品を読んだ読者諸君ならわかってくれることだろう。
この作品の表現力は頭抜けていると。
ここ最近のウェブ小説で私の心に刺さるものはなく、どうにも満ち足りない思いをしていたが、この作品はそんな私の心の隙間を埋めてくれる名作だった。
ぜひ未読の方には読んでいただきたい。
人が人たる理由。
生物としての本能、人間としての理性。
では姿形が人間のまま「化け物」になったとしたら。
そして人間への同族親和性さえも消えて行くとしたら――
自分が自分でなくなったとき。
アイデンティティを問いかける間もなく生死を問う事態が迫って来て。
人はどれだけ正気を保てるのだろうか――
そして残された人間性への手綱が切れてしまったとしたら――
無駄のない文体で描かれる現代ダークファンタジー。
願わずして人間社会から外れる異能に目覚めた主人公。
人間でなくなったことを自覚し、殺人衝動を受け入れ。
それでも手元に残った人間性に縋りながら生き抜いていく。
猟奇的な異能バトルの中で、泥臭い人間らしさが描かれる。
削ぎ落されて最後まで残るものは一体、何だろうか。
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Xの企画で参りました。
第42話まで読みました。
完結まで頑張ってください!
日中に大手を振って歩けるのは、人間の大通り。
──なら、夜影に隠れる外れ道は、誰の道?
闇に紛れ、人外たちが跋扈するダークでスプラッタなバトル系ローファンタジー。
魔術師、外道者、殲滅部隊。これらの単語が大好きという方にオススメな一作です。
接触相手の未来を短期予知する少年、武藤圭介を主人公として進む本作。
様々な人外が登場しますが、彼らをどう定義するのかが気になる作品だと私は思います。
現行の人類から進化した種か、突然変異か、それとも亜種ですらない別種?。
辿っている外れ道をどう歩いているのか、登場人物ごとの差異が見られるのが面白いです。
一言でまとめるのなら、人外バトル。これが好きな方には、今すぐ読んで欲しいです。