超常現象 あるいは怪物 ⑫

 山内は霊感が強い体質で、初めて出会った時から刑部のことを認知している。しかしそれを当人に知られたくないという。山内曰く、刑部のような何百年ものの幽霊とは祟り神と同義であり、そういう霊に迂闊に近づいたらろくな事にならない、と。迂闊に十年前に近づいて憑かれた紀乃にとっては微妙な話である。


 山内は本当に祟りを恐れているらしい。祟り神になった年数が長ければ長いほど力が膨大なのだとか。それならとっくにわたしは祟られている、と紀乃は文句を言ったが山内は頑なに接触を拒んだ。


 挙句刑部に知られず紀乃とコンタクトを取りたいという無茶な要望まで出た。結果、提案した結果手話と指文字を覚えることになった。用途が違うと思ったが、立場上文句は言えなかった。しかし結局、変な指の動きを刑部当人に咎められ、紀乃は白状する羽目になった。


 刑部は紀乃からの説明を受けて、気を悪くすることは無かった。しかし「お前の先生、男前じゃけど怖がりじゃねえ。幽霊見えてそれとは最悪じゃ」と半ば呆れた顔だった。紀乃としてもその点においてはかばいきれず、本当にそう思う、と師匠に同意した。


 その結果、山内だけが真実を知らないという状況である。刑部に先生に話してもいいかと聞いたが、「面白いからしばらくそのままにしとく」と言われた。


 嫌いな先生なら滑稽に踊らされていると笑えるが、山内は仮にも一年生の時から世話になっている恩師である。せめてこの師匠にイタズラ心が芽ばえる前に何とか通達したかった。なんせ最近は面白くなってきたのか、「先生の首に手をこうひやーってやったら先生の目ん玉飛び出すかねえ」と言い出したのである。


 生前はいたずら小僧だったらしく、他にも山内へのいたずらを思いついては紀乃に提案してくる。紀乃はそれを聞いて微妙そうな顔をすることで抵抗を試みているが、それもいつまで持つか。


 カフェの場所はさほど至極学園から離れていない。それゆえか、刑部は「先生わしがいると話してくれんことがあるかも。もう一度学校行ってみる」と離れていった。気遣いついでに、監督者がいるので自分が離れても問題ない、という判断をしたようだ。いたずら心より敵陣での情報収集に興味を持ってくれたことに内心安堵した。


 二人掛けの席を案内された。とりあえず刑部のことを見送るつもりで眺める。門は閉ざされたが彼には関係ない。するりと中に入っていき、やがて見えなくなった。


 カフェに来たが、山内はレモンティー、紀乃は迷ってメロンフロートにした。先日ホテルで頼んだものの、佐月の件で半分くらいしか飲めなかった。味は違うだろうが、リベンジのつもりである。


 果たして何の話だろう。身構えていると、夜明の生徒はああいうことはしないから大変助かる、とと呟いた。どういうことだろう、と首をかしげていると、気づかなかったか、と苦笑いされた。


 「一人、上履きのまま外に出ていた。靴を隠すなんて子供じみた真似だし、そもそもいじめ自体が幼稚だ。さらに言うなら、人のものを盗るのは窃盗だし、傷つけるのは器物損壊。立派な犯罪だ」


 話しているうちに山内の語気が少し荒くなった。誰のことだろうと記憶を巻き戻し、乙宮姫子のことだと思いいたった。苛烈ないじめを受けているから、あんな風に自信なさげに俯いているのだ。


 「先生も止めないんですね、あの学校」


 「まあ、下手に関わって俺みたいになるやつが出たのかもしれないが……」


 ボソッと山内が言った言葉を紀乃は聞き逃さなかった。なんですか?と詰め寄ると、山内は観念したようにため息をついた。


 「そういえばあの時、お前に聞かれていたということを忘れていた。さっき、校門の前に立っていた女子がいただろう。長いお下げの。あの女子が石田が言っていた乙宮姫子だ」


 実はそれは知っている、ということは飲み込んでそうなんですね、と返事をしつつ切り込んだ。


 「先生はどうして知ってるんですか」


 「短期間だが、教え子だ」


 嘆息して、夏休み前に俺が学校を辞めたから、本当に短期間だ、と付け加えてきた。言われた内容は、今思えばそれ以外の答えは無いと思える。山内の年齢も、早生まれと考えれば矛盾はない。とりあえずここはストレートに聞いていこうと思った。


 「なんで辞めたんですか?」


 「退職届では一身上の都合。表向きは体調不良。実際は、乙宮姫子の憑き物にやられた」


 「その憑き物って、黒いイエティみたいな見た目です?」


 「なんだそれは……。お前には何が見えてるんだ」


 思い切り顔をしかめられてしまった。反応から見て、乙宮姫子の憑き物はそんな見た目はしていないらしい。そうなると土曜日に見たあれは何なのだろう。


 「とはいえお前に憑いてる幽霊はなかなか強力そうだ。いっそぶつかり合ってくれたらいいが」


 それを聞いた瞬間。刑部を一発で呼び戻す方法を決めていなかったことを後悔した。師匠、思う存分いたずらしてください。今なら許可します。山内も恩師だが、さすがにその発言は聞き捨てならない。わたしの師匠を何だと思ってるのだ、と抗議した。


 「霊的なもの同士でやりあってくれたら意趣返しができるかと。化け物には化け物、だ」


 言いたいことはわかったが、残念ながら山内の当ては外れる。刑部に霊的なものの検知は当てにできない。なにせ以前、隆志の家に行った際に、恥ずかしながらと「実は幽霊を見たことがない」と言い出たのである。紀乃は幽霊なのに!?と思わず叫んだ。隆志も「普通は同類を呼び寄せるんだが」と昔ながらの梅干を三つくらいまとめて食べたような顔をした。そして今日、手を突っ込んで情報まで取ったのに、乙宮姫子に何かが憑いてるということはついぞ言わなかった。チート性能の代わりに同類を検知する能力を失ったとしか思えない。


 山内の意趣返し、という言い回しが気になるが、とりあえず人の師匠を化け物呼ばわりしたことに対する抗議の姿勢は続けた。


 「そんな、ゴジラVSガメラみたいなこと言わないでくださいよ」


 「ゴジラと戦ったのはモスラだし、ガメラは新作はもうやってないだろう。なんで知ってるんだ」


 「伯父さんが好きなので……。先生も特撮オタクですか?」


 「それはお前だろうが!なんだ、何とかピンクのお姉さんとかいう幼稚園児からの感謝状は!お前は保育体験で何をしたんだ!」


 「そんなあ、ウケ良かったんですよ。わたしの身体を張ったアクション」


 シャドーボクシングをしてみた所、山内から明らかに嫌そうな顔をされた。とりあえず思い切り話が脱線しているので軌道修正の必要がある。修正ついでに、先に聞いておきたいことがあった。乙宮姫子のことよりも。


 「あのー、先生。ご存じだったらでいいんですけど……」


 「石田の件なら俺たちも知らん。お前が知らないなら、誰に聞いても無駄だぞ」


 ものの見事に切り捨てられた。さすがにもう少し思いやってくれてもいいのにと恨めしくなった。


 佐月はあの後、夏休みに入った辺りで、突然転院した。ついでに佐月の家族も引っ越したらしく、家に行ったらもぬけの殻だった。一切の挨拶がなかったことはどうでもいいが、せめてどこに行くのかだけは伝えてほしかった。付き合いが長い紀乃とその家族に通告しなかったあたり、よほどの事情があるのだと思うことにしている。そうでなければいろんなものが崩れそうで怖かった。


 「ただ、とりあえず転校とか、退学するという話は聞いていない。単に病院が変わったから、看病のことを考えて近くに引っ越したんじゃないか」


 最初の一言に少しだけ安堵した。退学するわけではない、と聞けただけでも聞いた価値がある。少し目頭が熱くなった。誤魔化すために瞬きを数回して、よかったー、さっちゃん戻る気あるんですね、と務めて明るい声で返事をした。


 「……まあ、戻ったら変わらず仲良くしてやれ。あの性格じゃ、一歳下とつるむのは無理だろうし」


 とりあえず佐月が留年することは確定事項らしい。その上山内から見ても、年下相手に溶け込む佐月は想像できないようだ。多分拗ねるよなあ、とその顔を思い浮かべた。想像した佐月の顔が少しおかしくて、フフッと自然と声が漏れた。


 「ちゃんと様子見に行きますね」


 「石田は恵まれている。そうやって気遣ってくれる友達がいるからな」


 山内のその言い方は、そうでない生徒を思い浮かべている。話の流れで、乙宮姫子さんにはそういう人がいなかったんですね、となるだけ穏やかに聞こえるよう心がけた。


 「……乙宮姫子はいじめられっ子だった。俺はその対処を誤った。憑いてる何かによる霊障に悩まされて、とてもじゃないが仕事が出来なかった。それで辞めた」


 山内の顔は、後悔する顔だった。もっと上手く対処出来ていたら、と。しかし助けようとしたのに霊障にあったなら、多分誰も救えない気がする。


 むしろそんなことがあったのに、教師を続けようと思ったことに感心する。そのおかげで紀乃は山内に巡り合った。本当に人との出会いというのは、どこかのスイッチや分岐点で変わってくるのだと思う。


 「でも先生、その後よく夜明に来ましたね」


 「霊障に悩んだ時、有名な除霊師がいる寺に行ってきた。その時に、夜明が教員募集してると聞いて、その足で面接行ってきた。本当に人員不足らしく、来ただけで合格って言われた。それですぐ家に帰ったあと、荷物まとめてこっちに来た。来れる日からすぐ来てくれと言われたのでな」


 あの教師陣ならいいかねないと思いつつ、山内のフットワークの軽さに驚いた。関西と刑部は言っていたが、山にある神社と言うなら、大阪のような都会ということはあるまい。そうなれば、トンボ帰りならぬトンボ行き(という言葉があるかは知らないが)である。


 「先生ってそういえば出身どこでしたっけ……」


 しかし乙宮姫子が関西人だと知ってることを漏らしたら、間違いなく叱られる。とりあえずとぼけたふりで出身地を聞いてみた。実際知らない。てっきり東京出身だと今まで思ってきたから。自己紹介でも特に言わなかったはずだ。


 「生まれは四国だが、乙宮姫子の担任をしていたのは兵庫だ。六甲山の麓にある公立中学だった」


 「えっ……神戸ガールなんですか?」


 口にしてこれは大変な暴言であると反省した。これでは刑部のことを言えない。なんなら偏見に基づく発言なのでより最悪である。山内は苦笑いし、お冷を一口含んで六甲山でよくわかったな、と言った。


 「美化しすぎだ。せいぜい神戸のイメージであってることは、あの子供服ブランドのバッグを七割くらいの女子が下げてたくらいで、さして目立つような美人ばかりでもない。やっぱり東京のほうが垢抜けてる。ついでに性格なら夜明の生徒の方が余程いい。……癖が強いが」


 最後に付け足された癖が強い、は紀乃にも当てはまるだろうか。そんなにわたし癖あるかなあ、と考え、幽霊を連れてるからだと思い至った。


 「だからまさかこんなところで会うとは思わなかった。東京の学校に出てくるとは。普通に地元の学校に行くものだと」


 「いじめられてたなら、環境を変えるために来たのかもですよ?」


 そもそもいじめている人間が悪いのに、被害者が逃げるように環境を変える必要があるのはおかしいとは思う。刑部ほど悪辣に罵れないのは、いじめ被害者であるという一点が大きいかもしれない。最もそれも、佐月の件の次第によっては掌返しを免れないが。


 「だがそれならもっと早くするべきだろう。神戸ならそれこそ受験という手段がある」


 山内がそう言ったタイミングで、注文したものが運ばれてきた。どうやらこの店、名古屋式らしく、豆菓子がついてきた。小皿に豆菓子を開け、一口含む。程よい塩味が広がった。サクッとした食感も香ばしい。


 一口メロンフロートを飲んだ。甘味が脳を突き抜けていく。


 「そういえば、さっきのイエティとかっていうのは何だ。本当に何を見てるんだ」


 「そういう姿が見えたんです。……ついでに、すごい臭かったんですよ。シュールストレミングとくさやの臭いを混ぜたみたいな」


 カフェであること、飲食中であることを考慮し後半のドブと生ごみを省いたうえで小声で言った。強烈な臭いなのはそれだけでも通じるだろう。


 「おまっ……お前ー!」


 しかし山内が想像以上に悶絶してしまい、しまったと思った。想像するだけでも臭かったらしく、おえっという声まで聞こえてくる。さすがに申し訳なくてすいません、と謝った。レモンティーを一口飲んで少し落ち着きを取り戻したのか、嘆息してそんな見た目じゃないが怪物なのは間違いない、と言い出した。


 「多分、単なる霊ではない。おそらくあれも祟り神だろう」


 「祟り神ってそんなにポコポコいていいものですか?」


 「……この国には昔から、御霊信仰というのがある。祟り神にならないようにその魂を鎮め、神として信仰する。流行り病で死んだ民だとか、戦争で死んだ若い兵とかな。無念の死を迎えた魂が安らかになるように、各地で社が作られた。けれどもそういう祈りよりも怨念のほうが強いままの霊というのがいる。それが乙宮姫子に憑いたものであり、お前に憑いてる霊だ」


 一番最後だけは納得がいかなかったが、おおむね理解はできた。隆志からも似たようなことを聞いている。未練などの強い感情を抱いたまま死んだ人間の鎮魂のために、時の権力者は大仏や神社を立てたのだと。政教分離が原則となった現代では、個々の霊能力者が鎮めているらしい。なお隆志曰く、「俺のような優秀な僧の念仏ならともかく、その辺の素人に毛が生えたやつらのじゃ追っつかねえ」らしい。


 「怨念なんて、そんなにないけどなあ……」


 いつの間にか、学校の探索をしていたはずの刑部が後ろから声をかけてきた。紀乃は驚かせないでください師匠!と小声で咄嗟に文句を言った。なお山内は悲鳴をあげれず口から何かが飛び出したかのような顔のまま固まっている。刑部はすまんすまん、と笑いながら謝ってきた。


 「収穫といえるかわからんが、あの偽女記者がいた。なんかの取材みたい」


 「え、あの人が?でも東都新聞の人じゃないんですよね?」


 「さすがになんて名乗ってたかまではわからんけど、学校の先生が案内してた。じゃから正規の記者として取材しとるみたい」


 「偽記者なのに?」


 思わぬ人物が訪れているらしい。その人偽者ですよ、と教えたほうがいいのだろうか。


 山内は会話に入りたいだろうに、刑部と関わりたくないがために見守るだけだ。もうとっくにばれてるから入ってきて来たらいいのに、と紀乃はこっそり思った。


 「なんかな、来年からたま?のほうに移るから、その宣伝の記事じゃと」


 「……そういえば至極は奥多摩に移るらしい。そのついでに全寮制になると。しかしこっちの方が都心だから、在校生からは不満の声が出てるそうだが」


 我慢しきれなくなったのか、口を挟んできた。刑部の話に乗らず、あくまで伝え聞いた話をする体で話しかけてきたあたり、本当に関わりたくないらしい。


 「今どきはわがままじゃ。電車があるんだから別に好きに出れよう。わしの頃なんか馬も輿もなきゃ、歩くしかないもの」


 山内は刑部のいかにも「昔の人」の感想は無視して、新たな情報を投げた。


 「しかし創立十年でもう移転というのは解せないな」


 「十年ぽっちでよそに移すのか。よっぽど金があるんじゃねえ」


 『大谷!お前黙ってないでなんか言え!なんで俺がお前の憑きものと会話してる状態になってるんだ!』


 山内が指文字で文句を言ってきた。しかしそれは、紀乃が口をはさむ前に刑部がものを言っているだけなのに。唇を突き出してむくれた顔をしたら、「じゃからその不細工な顔はやめえいうたじゃろうが!なんでまたやるか!」と今度は刑部から叱られた。踏んだり蹴ったりである。


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