終話  酔っぱらい五百足

 ※著者より。

 飲酒のシーンがありますが、奈良時代ゆえ、です。

 令和を生きる我々は、飲酒は二十歳になってから、です。




     *   *   *





 さかしみと  物言ものいふよりは


 酒飲みて


 ひ泣きするし  まさりたるらし




 賢跡さかしみと  物言従者ものいふよりは

 酒飲而さけのみて

 酔哭為師ゑひなきするし  益有良之まさりたるらし




 

 さかしらに、えらそうに、言葉を並べたてるより、酒を飲んで酔い泣きしてるほうが良い。





    万葉集    大宰帥だざいのそち大伴卿おおともきょう大伴旅人おおとものたびと)の「酒をむる歌十三首 」のうちの一首




    *   *   *






 真比登があたし達二人を優しく見守りながら、ゆらゆら手にとった酒杯を揺らした。

 あたしは報告を思い出した。


「そうそう、真比登、この浄酒が呑み終わったら、酒肆しゅし(酒店)を変えます。味が変わるでしょうから、今の浄酒きよさけは味わってくださいね。」

「え〜、そうなの……。」

「親父が倒れてから、味が落ちたそうで。他の酒肆しゅしにします。」

「うん、わかった……。」


 真比登は、しょぼん、とした。大男なのに、しょぼくれて肩を落とすさまは、可愛らしいものがある。

 五百足いおたりが、


「そんなにがっかりするものですか?」


 と声をかける。

 ぱちぱち、真比登はまばたきし、


「そうだ、これが飲み納めなんて、がっかりだ。美味いからな。

 どれ、五百足いおたりも呑んでみろ……。」


 とイタズラっぽく笑った。

 五百足いおたりは、いつものように、


「オレはいりません。酒は嫌いです。」


 と言って、断る。


「嫌いって言っても、呑んだこと無いだろ?

 鎮兵になったら、まず間違いなく、呑まされるぞ?」


 真比登にこう言われて、今日の五百足いおたりは、ここから、いつもと違う行動にでた。


「……わかりました。頂戴します。」

「うんうん。小鳥売。」


 真比登が、五百足いおたりにもつきを用意するよう、あたしに促す。


「はい。」


 あたしは、新しいつき五百足いおたりに渡した。

 真比登が、酒を注いでくれる。

 恐る恐る口をつけた五百足いおたりは、


「……美味しいですね。」


 と驚きの声をもらし、


「だっろぉ〜?」


 真比登は嬉しそうに破顔した。


「呑め呑め!」




 しばらくは、それで良かった。

 しかし、酒がすすむと、



「……えぐっ。」


 いきなり、ぼろぼろっと五百足いおたりが泣き出した。


「えっ?」

「どうしたの兄人せうと?」

「えぐっ、えぐ……、悲しい。とにかく、泣ける。」


 酒に酔った赤い顔を、くしゃりと悲しみにゆがめ、涙を流しながら、まだ、酒をあおる。


兄人せうと??」

「悲しいよぉぉぉぉ〜〜。」


 えぐえぐえぐ。五百足いおたりは泣き続ける。真比登が、


「うぇ、これ、泣き上戸じょうごだ!」


 と困った声をだした。


「泣き上戸って言うと……、酒を呑むと、酔っぱらいながら泣くという……?」

「そうだ小鳥売。ひどい奴は、泣き通しで、手がつけられなくなる。」

「うっ、うっ、うえええ……。」

「泣き止め! 五百足いおたり!」

「うええええええええん…………。」


 真比登の命令を無視し、果てなき号泣がはじまった。

 あたしは呆れ、真比登はため息をつき、あまりに終わりが見えないので、


「しょうがない、やるぞ。」


 と拳を握った。あたしは、


「ご随意に。」


 と目をつぶった。直後、ぼくっ! と打撃音が聞こえ、泣き続ける男は静かになった……。




 五百足いおたりは酒を呑ませすぎると、泣き上戸であり、その泣き方は殴って気絶させるまで終わりがない、と判明した日だった。



 庚戌かのえいぬの年(770年・神護景雲じんごけいうん四年)の事である。






 

 遠く上野国かみつけのくにでは、十四歳のおみなが、二十歳の無表情な男から、怪事件解決のご褒美に、山吹色の衣を贈られたのと同じ年であった。





   *   *   *




 さて、四年後。

 あたしは、念願の十六歳になった。


 そわそわ。

 そわそわ。


(あたし、大人の、つまを得るのにふさわしい年齢になったけど? 五百足?)


 もしかして、五百足が妻問つまどい(プロポーズ)してくれるなんてことは……?


 あたしは期待のこもった目で五百足を見る日々だったが、鎮兵として大怪我する事もなく、今や大毅たいき(団長)である真比登を支える小毅しょうき(副団長)となった五百足いおたりは、ただいつものようにあたしを微笑んで見てるだけだった。


(やっぱり万々妹ままいもとしか見られてないのー? うわーん……。)


 心で泣きながら、いつもの甘える大作戦で、五百足に、ぎゅっと抱きしめてもらう。

 それでも、五百足の態度は変わらない。


(郷のおのこは、あたしが良い身体つきだって、けっこううるさいのにな……。)


 歌垣うたがきに行ける年齢になったあたしは、わずらわしいほど、おのこたちから声をかけられるようになった。

 それでも、たった一人の恋いしいおのこに、なんとも思われないのなら、意味はない。


(あーあ……。)


 あたしはため息をつく事が多くなった。

 七月。

 真比登が、


桃生郡もむのふのこほりで、蝦夷えみしとの戰がおこった。

 多賀城たがじょうの鎮兵も、ごっそり応援に行くことになった。」


 と夕餉の時に言った。


「えええー! いつまで?」


 あたしは、あやうく、大事な、雑穀ましまし盛りのお椀を下に取り落とすところだった。

 真比登は困ったように首をかしげた。


「いつまでって言っても、戰が終結するまでだな。こればっかりは、わからないよ。」


(五百足に妻問いもしてもらってないのに! 会えないままになってたまるか! あたしのいない所で悪い虫でもついたらどうしてくれる!)


「あたしも行くっ!」

「ええ───!」


 真比登と五百足が驚いた。五百足が、


「戰場だぞ、危ない!」


 と反対し、真比登が、


「おそらく、兵舎にはおみなが寝泊まりする部屋はないぞ?」


 と言う。


「直接、戰場に立つわけではありません。

 真比登や五百足いおたりのほうが、よっぽど危ないでしょう?

 離れた場所で、二人の安否を心配しながら過ごすより、あたしにとってはよっぽど心の健康に良いです。

 兵舎に寝泊まりする必要はありません。

 戰場なら、避難したおみなはいるでしょう? 

 おみなたちと一緒に寝泊まりします。

 ワガママは言いません。」

「あはははっ!」


 真比登が爽快に大笑いした。


「さすがだな、小鳥売。」


 含みのある笑顔で、あたしを見た。

 あたしは、気持ちを見透かされて、頬に朱がさした。

 真比登は、あたしが五百足いおたりおのことして恋うている事を知っている。


「同行を許す。」

「ありがとうございます!」

「真比登っ!」


 五百足いおたりが抗議の声をだした。


五百足いおたり、上は、おそらく十日もしないうちに、戰は鎮火すると踏んでいた。

 まあ、もう、十日過ぎたがな。

 おそらく、一月……、そんなに長い戰にはなるまい。

 小鳥売のワガママを聞いてやれ。

 桃生柵もむのふのきに連れていっても安全だ。オレ達が守るんだからな。そうだろう?」

「…………はい。」


 そう言いつつも、まだ五百足いおたりは不満そうにあたしをにらんだ。


「あたし怖くなんてない! 真比登と五百足いおたりが守ってくれる!」


 あたしは堂々と言いきった。


「くっ……。」


 五百足いおたりは唇をかんだあと、


「わかった。必ず守る。小鳥売。」


 と言ってくれた。




 さて、ばたばたと荷造りをし。

 それから三日。

 真比登は、屋敷の留守を預かる、もと鎮兵ちんぺいおのこ二人に、気さくに笑いかけた。


「いつ帰ってくるかわからないが、教えた場所の財貨は好きに使ってくれて良いからな。」

「そこ以外の財貨に手を出したら殺す。あたしは全部、手布一つに至るまで、場所も、数も覚えてるからな。」


 あたしは真比登の後ろにたって、二人のおのこをにらみつける。

 真比登は気さくに、


蝋燭ろうそくの始末は気をつけて。

 人がいないってわからないように、雑草とかも抜いておいてくれよ。

 庭の果実は、食べごろになったら食べて良いから。」

「雑草の手入れをさぼって、畑をダメにしたら殺す。

 炊屋の教えた場所以外、触れたら殺す。あたしは鍋のフタ一つに至るまで、場所を把握してるからな。」

「小鳥売……。」


 とうとう、真比登が引きつった笑いを浮かべながら振り返った。


「小鳥売、勘弁してくださいよ!」

「昼間、いつも門番してるでしょ? 信用してくださいよ!」


 片腕のないおのこ、片足をひきずるおのこは、それぞれ、悲鳴をあげた。


「あはははは……。」


 五百足いおたりが笑い、皆も笑う。


「じゃあ、行ってくる!」

「留守を頼みます。」

「言った事は守れ。」


 それぞれ、旅立ちの言葉を残し。

 二人の門番は、


「行ってらっしゃい!」


 と門で手をふってくれた。あたしは気合も十分に、


「さあ、行きますか!」


 と、お尻をぱん、と叩いた。長時間、五百足いおたりの馬にゆられる事になる。

 真比登が、


「さすが小鳥売。頼もしい。」


 とおかしそうに言い、五百足いおたりが、


「ああ、行こう!」


 と、あたしの手をとった。





 物語の舞台は、桃生柵もむのふのきに移る事になる。








     ───完───









 挿絵&あとがき。

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818093080069138353

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守りつつをらむ  〜真比登とその雛たち〜 加須 千花 @moonpost18

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