第26話② これ二人だけの秘密だから

 加増の話をなんとか断って、部屋を辞して静かな廊下を歩き出す。

「やれやれ」

 御家老と差し向かいで会話するなど、以前は想像さえしなかったことだ。最初の時は緊張したが、今では宥めたり反論したりもしており、恐縮や緊張といったものは殆んどなくなっている。

 ただ、ここで媚びて取り入ろうとは思っていない。

 御家老との関係は、陽茉莉と静奈の関係があってこそのものだ。二人が高校を卒業するなどして疎遠になれば、同時に慎之介と御家老との接点もそこまでである。

 ふと見れば、奥にある藩主の執務室から出てくる集団が見えた。

 賑やかしく冗談を交わし、笑いながらやって来るのは特務課の課長たちだった。今回の幻獣騒動の対応で奨励されたのかもしれない。楽しそうに笑っていた。

 その中心に居るのは柳生包利だ。

 肩で風をきりやってくる集団は、まさに藩の花形たちだ。そうなると卒族でしかない慎之介は廊下の端に身を寄せ道を譲る必要がある。

「あっ、慎之介だ。ちょうど良かった」

 その中には当然だが咲月がいた。立ち止まって声をあげたのだ。

 特務課の課長たちは、そこで初めて慎之介という人間に目を留め、存在を認識した様子だった。それぞれ驚きと訝しさ、更には探るようなものが入り交じった視線を向けてくる。

 だが咲月は一向にお構いなしだ。

「ちょっと向こうで話せる? いまなら時間があるから、いいよね」

 通路の向こうを指さし、それから手招きまでしている。どうやら慎之介が断るなど微塵も疑っていないようだ。慎之介は柳生包利や他の課長侍たちの視線を浴び恥ずかしい気分だった。

 なんとなく会釈をして、そそくさと追いかけた。


 藩庁舎には各階に休憩室が用意されている。どこも同じ造りで、手狭な部屋に自販機が置かれ、背もたれのないベンチ式の椅子が置かれていた。皆はそこで軽い息抜きをするのだが、このフロアの休憩所には誰も居ない。

 藩主や御家老などお偉方が居る階のため、誰も利用しないのだ。

「コーヒーどう? こないだのお礼よ」

「ああ、頂くよ」

「慎之介は濃いめのブラックだったよね」

 咲月は返事を待たず、カップ式自動販売機を操作した。その後ろ姿を見ながら、慎之介は自分の好みを咲月が覚えていてくれたことが嬉しかった。

「はい、どうぞ」

 ありがたく頂くが、咲月が新たに注文しているため飲まずに待つ。少しして二人で窓際に行く。そこから並んで名古屋城の勇姿を眺める。

「上手くいきました」

 咲月は得意そうに胸を張り、えっへんと言いさえした。

「それは何の話だ? よく分からんが」

「もぉっ、酷ーい。私頑張ったのに、ほらビルの件なんだから」

「分かってるさ、冗談だ。続けてくれ」

「またそういうこと言うんだから……もうっ、慎之介だからいいけど」

 少しむくれ顔をしたかと思うと、また直ぐ微笑。表情が次々変わって見ていて飽きない。慎之介は若干の呆れを持ちつつ静かにコーヒーをすすった。

「素直に報告したの。あの人たち相手に特務四課の皆が行動不能にされたこと。それから、あの人たちがラショウキを倒したってことを」

 軽くウインクしてみせるのは、ラショウキを倒したのは慎之介だからだ。

「だからね、ビルを壊したのは羅刹たちということになりました」

「なんだって?」

「だって、よく考えてみたら羅刹って反乱勢力だもの。だから、藩の誰も確認のしようがないよね」

「………」

 慎之介は目を瞬かせた。


 呆れる慎之介前で、咲月はコーヒーを口にした。少しだけ照れたような、バツが悪そうな顔をしている。

「それとの事は言ってないから」

 それは鬼夜叉のことだろう。

 さっぱり事情の分からぬ慎之介が困惑のあまり眉を寄せると、咲月は肩を竦めてみせた。

「五斗蒔家は御刀番頭だったの、知ってた?」

「いいや、そうだったのか」

 刀番とは藩主の刀を預かり、その身辺に控える役割を持つ集団だ。もちろん偉い。咲月の家が士族の中でも上士とは知っていたが、そこまで名家だったとは知らなかった。

「以前はなんだけどね」

 咲月はコーヒーを軽く口にしてから続けた。

「今は不手際を咎められて降格、御刀番頭は他家に譲ってる。私が侍になったのも、五斗蒔家の名誉回復の為もあるんだ」

 それで慎之介は納得した。

 ある時期から咲月があまり家に来なくなったが、五斗蒔家の降格で大変だったというわけだ。心の中に少しだけあった蟠りは全て消えた。

「でもね。調べると、本来なら問題にもならない程度の不手際なの。それだけでもおかしいけれど、五斗蒔家は大人しく降格を受け入れてる。これ、おかしいと思うでしょ?」

「まあ……普通は抗議ぐらいするかな」

「両親に尋ねても何も教えてくれない。ただ、聞くな調べるなって言うだけ。だから自分なりに調べてるけど。一つ思い当たる節があって、その降格の少し前に怪我をした侍が我が家に逗留してたの」

 その時に両親の両親は驚き、即座に中に運んで手当までした。

「もしかして、その侍というのが?」

「ええ、かつて尾張の侍と呼ばれた人。そして――」

 誰にも聞かれぬようにと、そっと咲月は距離を詰め上目遣いで囁いた。

「今は鬼夜叉公と呼ばれる人」

「なるほど」

 慎之介は肯くが、ただ視線は間近の咲月を見つめているばかりだ。

「あの人、私を知ってる素振りだったもの。間違いないって思う。だから報告しませんでした。うーん、私って凄いことしちゃったよね」

 そう言って咲月は、にっこり笑って見つめてきた。悪戯っぽさを含んだ瞳だ。まるで子供の頃から変わっていない。

「とにかく、これ二人だけの秘密だから。これからもアドバイザーとして、よろしくね。慎之介」

「扱き使われそうだな」

 慎之介は頭を掻いて溜め息を吐くと、飲み終わり空になったカップを自販機の脇に投入する。気分は晴れ晴れ、今ならラショウキすら余裕で倒せそうな気がする。もちろん現れて欲しくはないが。

「さて、仕事に戻らないと」

「そうだね。また後で」

 軽く微笑んで咲月も同じようにする。連れだって休憩室を出ると並んで廊下を歩き、それぞれの階に分かれる時に互いに手を挙げた。

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