第21話① にぶちんの、分からんちん!
社会人と学生の違いは、いろいろとある。
しかし一番の違いは時間に対する感覚だと慎之介は思っている。社会人というものは、時間の連続性を重視する。一方で学生の場合は、そうではなく時間が小刻みに分断していても平気だ。
そういった感覚の違いこそが、社会人と学生の違いなのだろう。
「お兄、あのさ。それ言いにくいけど。老化じゃない?」
陽茉莉の情け容赦ない言葉で、慎之介の疑問に答えてくれた。
家に来ていた静奈のため車を出して、成瀬家のお屋敷まで送り届けた帰りだ。なお、お屋敷は敷地が広すぎたため塀と門しか見えなかった。しかも門は最上位の造りである四脚門で、門番までいた。
行きは静奈と後部座席だった陽茉莉も、今は普段通り助手席に来ている。
「老化ってな、まだ三十前なんだぞ」
「こっちは十代だもん。そんな気持ちなんて、分かるわけないよ」
「ふふん、油断してると直ぐだぞ」
「そんなことない、そんな日なんて来ないもん」
陽茉莉は車の中で足をばたばたして暴れた。確かに、まだまだ当分は子供だろうと思わせる仕草だった。
対向車のヘッドライトが眩しい時間帯だが、帰宅ラッシュは終わっている。主要幹線道路でも、さほどは混んでない。一方で速度超過の車が多くなるため、十分に注意せねばならない。
「それより、今度の日曜日に静奈の御手伝いするけど良かったの?」
「良かったとは?」
「だーかーらー。休みの日に出かけたくねーとか、いつも言ってるし」
「何をするかは知らんが問題ない」
「そかそか、ならいいね。取材の手伝いって話だけど、結構楽しみかなー。美味しいもの食べて、面白スポット巡って、可愛いお店を覗いたりとか」
「…………」
それは取材ではなく、普段の陽茉莉のお出かけコースに近い気がした。自分が一緒に巡る光景を想像すると、慎之介は早くも後悔した気分だ。
しかし、これは成瀬家老からの依頼を成し遂げるまたとない機会と言える。
ただそうなると問題は陽茉莉だ。勘が良いため、途中で気付かれる可能性は大きい。最初から言っておいた方が良いだろう。
前方の信号が赤になっての速度を落としていく。
「実を言えば日曜日の話をうけたのは、御家老の。つまり静奈の父上から頼まれた用件もあったからなんだ」
「は? 何それ」
「御家老はいろいろ心配して――」
静奈の浮かれ具合から妙な相手と関わっているのではという御家老の懸念と、それによる依頼について説明する。
「――と言うわけで、静奈が恋をしていそうな相手を探らねばならんのだ」
「…………」
「なあ、心当たりはあったりするか?」
信号待ちで停車した間に陽茉莉を見るが、何やら物憂げな態度で頭を傾けている。しかも物憂げとも呆れともつかぬ溜め息まで吐いているではないか。
「それは、心当たりあるのか?」
再度尋ねるとジロリと睨まれた。
「にぶちんの、分からんちん!」
「なんだよ、それは? さっきから酷くないか」
「あーもーいいです。とーにーかーく! そーいうの尋ねられて、あたしが言うと思う? お兄は、あたしが友達のことを裏でこそこそ言うような子であって欲しいの?」
「うっ、そんな事はないぞ」
「だったら、ちょっとは自分で考えようよ。本当にもう。あたしは何も言いたくないですー。分かった? ほら、信号変わってるよ」
アクセルを踏み込み、後続車からクラクションを鳴らされる前に車を加速させた。どうやら成瀬家老の依頼は自分で解決せねばならないらしい。
車内は沈黙に包まれ、エンジン音と車線変更のウインカーの音が大きく響く。すれ違う対向車のライトを眩しく思いながら、点々と続く街路灯の下を進む。
頬杖をつき外を眺めていた陽茉莉が、ふいに振り向き言った。
「ねえ、日曜日に何を着てくつもり?」
「そりゃまあ、これでいいだろ」
「これって……え?」
陽茉莉はまじまじと慎之介を見つめる。
ネクタイは外しているが、あとは仕事から帰ったときのままのワイシャツにスラックス姿。自分の身体を指で叩いてみせる慎之介に、陽茉莉は二度見して驚いている。
「それ本気で言ってるの?」
「いや、これが一番着慣れているし楽だから」
「あのね? 日曜日は休日なんだよ。そんな時にね、仕事行きますみたいな格好で歩いてたら変だよ、おかしいよ」
散々な言われようだ。
ビルが建ち並ぶ街中を抜け、少し閑散とした国道を進む。
「そうか? 分かった、こないだのお祭りに行った服で行こう」
「違ぁーうっ! お祭りに行くのとは違うし、食事したり歩いたりするし。つまり目的が全然違うの。それに誘ってくれた……じゃなくって頼んできた静奈の気持ちってもの考えてあげようよ、気持ちっていうのを」
さっぱり分からない。
何が間違って何が正解なのか、それすら分からない状況だ。
恐る恐ると陽茉莉様にお伺いを立てる。
「どうしろと?」
「まず服! お兄の年齢だったら、大人っぽく落ち着いてながら少し崩してラフ感を漂わせた感じがいいの。そういう感じの服、分かった?」
「ん、ああ。そうか、なるほど」
「うがー! それ、分かってない時の返事。と言うかだよ、よくよく考えたらお兄の服の中に、それっぽい服って無かったし」
全部お見通しである。
そもそも慎之介は、ファッションに気やお金を回せる生活ではなかった。設楽家を存続させ、陽茉莉を育てるため、自分自身のことは後回しにしてきた。
自分の服を買うぐらいなら、陽茉莉を優先させてきた。その結果がこれだ。
「まあ、そうだよね。仕方ないよね」
もちろん陽茉莉も、そんな事は分かっている。幼い頃ならさておき、今となれば自分がどれだけ負担をかけているかを理解していた。
「それなら予定変更! 今からお兄の服を買いに行く」
「はぁ? 今からだと? 服なんてものは別に――」
「うるさいの。あたしが行くって言ったら行くの、買うって言ったら買うの」
反論しかけた慎之介だが、暴君である陽茉莉には逆らえず黙り込む。
橋を渡って川を越え、名古屋を取り巻く衛星都市に差し掛かる。そこは自宅まで帰る道筋では、一番賑わった場所だ。服を買うには困らないだろう。
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