3 一度目の告白:「病気」「余命宣告」
おどけたように言った彼女の声は、若干震えていたように聞こえた。
彼女が勝手に明かしただけなのに、「見破る」なんておかしな表現だなと思う。僕は、ただ見せられ、聞かされただけだ。
彼女の言葉選びに、そのさきも僕は幾度となく引っかかった。
「あんなの見破るって言うことでもないし、君の秘密なんて知りたくないよ。名前を知っただけで十分だ」
「まあまあ、そんなこと言わないでさ~。君って頭いいんでしょ? 名前以外のことも覚えられるでしょ?」
甘えるような色で彼女は言う。やっぱり、微かに震えた声だった。
「ま、覚えることはできるけど」
「じゃ、スリーサイズ聞く? えっとね」
「超どうでもいい。もう帰る」
「待って待って、冗談だってば~」
「ああもう、なんだよ」
こうして軽口を叩き合っていると、僕は、彼女が女優であったことを一瞬忘れた。
もちろん容姿の良さは抜群で、転入前の私立中学の制服も、ここでは浮いてしまうような可愛らしいものなのだけれど……僕の前では「普通の女の子」になってくれる、みたいな錯覚をした。
いま思えば、あれも彼女の演技だったのかもしれない。
さぁあっと風が吹いて、若葉や雑草の匂いを僕らに運ぶ。青臭い。彼女の髪がふわっと揺れた。
櫻野さんは、春の香を吸い込むように大きく息をする。
「わたしね、実は映画の中だけじゃなくて、本当に病気なんだ」
はにかむ彼女の姿は、非現実的なくらいに可愛かった。
今ここに存在することさえ嘘ではないかと思うほど、童話のお姫さまや小説のヒロインが飛び出してきたみたいだと思うほど。
言葉の中身より何より、まずは「彼女」に圧倒された。意味はあとから追いついた。ほんの数瞬の出来事だ。
「へえ。それは……面白い冗談だね。それじゃ」
いきなりの告白への返事に、僕は逃避の選択をする。それは事実なら重すぎる内容だったし、嘘なら不謹慎なものだった。
なんにせよ、これ以上踏み込みたくない。踏み込んだら、危ない。直感した。
僕は彼女の話に付き合う気を消失し、このまま家に帰ろうとする。しかし学ランの袖をつままれ、仕方なく足を止めた。彼女は綺麗な声で告ぐ。
「本当にね、余命宣告、されたんだ」
「……そういうの、あんまり他の人には言わないほうがいいと思うよ。正直なところ面白くないし、不謹慎だ」
僕は、彼女の言葉にまともに取り合わなかった。何の心構えもできていない状態で「病気」「余命宣告」なんて言われて、はいそうですかと信じられる人間はそう多くないだろう。
こんなふうに普通に学校に通えていて、にこにこと笑っている彼女を見たら、余命が本当にわずかだとはとても思えなかった。
こんなに活き活きしている彼女が、若くして死ぬ? 映画やドラマのワンシーンみたいに? いやいや、ありえないだろう。
ただ、たちの悪い冗談だと思った。彼女が「余命わずか系女優」だからと、ふざけて言っているだけだと。
変なことを言って脅かしたいだけだ。ただのお遊びだ。そうでないなら、失礼ながら頭がおかしい。
彼女は僕の袖から指先を離し、背負った水色のリュックサックの肩紐を両手でぎゅっと握って、へらっと笑った。
「うん、そうだよね。ごめんね、突然。えへへ。明日、学校休んじゃうけど、ごめんね。たぶん、これからもいっぱい休んじゃうけど、ごめんね」
「ああ、仕事?」
僕は、彼女の言葉を受け入れられていなかった。治療や通院といった可能性を口にできなかった。
病気らしい様子がまったく見られないのだから、普通に無理だ。
芸能人の欠席理由なら、仕事のほうが相応しいと思い込んで、当てはめた。彼女は頷く。
「うん、そんなとこ。人気女優だからさ、忙しいんだ。でも、クラス委員としては頑張るよ。よろしくね」
「うん、よろしく。じゃ、またね」
「うん、またね」
社交辞令で言った僕の「またね」に、彼女は元気よくブンブンと片手を振ってくれた。僕は彼女に背を向けて歩きだす。
しばらくしてから振り返ると、チェックのスカートと艶やかな髪の毛を揺らして走っている後ろ姿が見えた。
あんなふうに走れるんだ、深刻な病気なわけがない。僕は身勝手に安堵する。
あの彼女なら、これからもずっと生きていてくれる。そう信じていた。
翌日、彼女は本当に学校に来なかった。
朝の会にて。櫻野さんがクラス委員に決まった旨を先生が告げると、教室がちょっとざわめいた。「白鷺ずりー」「立候補しときゃ良かったー!」「え、じゃあ決め直そうぜ」
しかし先生は「みなさん、白鷺くんに承認の拍手をしたでしょ? 女子の委員についても、『先生に申告した希望者に任せる』って事前承認したわよね?」と言って、うるさいやつらを黙らせる。
この台詞も、おそらく櫻野さんの差し金だろう。本人はここにいなくても、あの得意げな笑みは目に浮かぶようだった。
そうして三年二組のクラス委員は、「白鷺新汰」と「桜野はなみ」のふたりだということで落ち着いた。
翌週の月曜日。「おっはよー」と元気そうに登校してきた彼女は、ありきたりな紺色のセーラー服を着て、同色の膝下丈のプリーツスカートを穿き、学校指定のダサいボックス型リュックを背負っていた。遅れていた制服類が届いたらしい。
みんなと同じ制服を
彼女はみんなを明るく引っ張っていく、よきクラス委員でもあった。
「白鷺くん、おはよー」
「おはよう、櫻野さん」
これから僕と二度の夏を過ごして、彼女はこの世からいなくなる。
彼女はフィクションの中でなく、リアルで死んだ。
そのとき僕は数学のテストを解いていたので、彼女の絶命する瞬間を見ていない。だから、今も嘘か勘違いなんじゃないかと願う。
僕が初めて恋したひとは、複数の臓器を悪性新生物に侵されて、十六歳と一ヶ月で亡くなった。
彼女がもういない世界で、僕は今日もこの小説を書いている。彼女との約束を、果たすために。
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