46 脆弱な関係:「特別」な君だから

「新汰くんのお家、初めてだなぁ」

「そうだね。僕も女の子を家に上げるのは、初めてだな」

「緊張する?」

「まあ、少しは」

「襲わないから安心していいよ?」

「君から言われるとは思ってなかったよ。ご親切にどうもありがとう」

「チュウくらいなら許してあげる」

「友だちにキスなんてしないから、そっちも安心していいよ」

「むぅ。なら、年越しテンションに期待するしか……」

「僕は、そんなふうにムードに流されてどうこうするのは嫌だな。なんというか、ちゃんとしたい」

「そういう真面目なとこ、わたしは好きだよ」

「……どうも」


 友だち以上恋人未満。この関係性は、たまに崩れてしまいそうになる。脆いもの。一度でもキスなんてしてしまえば、もう僕は彼女をただの「友だち」として見ることはできないと思う。


 一線を越えないよう、そういった行為をしないようにとセーブして、どうにか平和をとりつくろっている。言葉にすることはなくても、お互いの想いはわかっていた。たぶん。暗黙の了解。


 自宅前に着き、僕は「白鷺」の表札を指差した。「ここが僕の家だよ」と、彼女にわかりやすいように教えてあげる。彼女は顔を上げて、家の外観をざっと眺めて「……わぁ」とタイムラグをもって呟いた。


「どうぞ、お入りください」

「お邪魔します!」


 彼女はぺこりとお辞儀して、白鷺家の中へと入ってきた。丁寧な所作で靴を脱いで揃える彼女に、僕は来客用のスリッパを差し出す。


「ん、ありがとう」

「どういたしまして。――ここ、トイレね。それで……ここ、洗面所とお風呂場。君はお風呂には入らないと思うけど、僕が入るときは覗かないでね」

「……うん、わかったー」

「なに、その間。本当に覗くなよ」

「覗かない覗かない。手、洗うね」

「ああ、洗おう」


 順番に手洗いうがいをして、僕は彼女をリビングに案内する。「ひろーいね」と彼女は感心したような声をあげた。


「たしかに、ひとりで過ごすには広すぎるリビングだね」

「うぅ、そっか。新汰くんってひとりの時間が長いんだもんね……。今日は一緒にいたげるね!」

「そんな可哀想みたいな扱いしないでよ。でもありがと。父さんと母さんは、明日の午前中に帰ってくる予定だよ」

「ってことは、首尾よく寝落ちしたら、新汰くんのご両親にお会いできるのでは!?」

「初詣どうすんだよ。それに、君のご両親が心配するでしょ」

「それもそっか。あっ、そーだ。冷蔵庫どっか空いてる? 食材しまいたいの」

「食材……?」


 首を傾げる僕をよそに、彼女は大きなリュックの中をガサゴソと漁った。なんと発泡スチロールの箱が出てくる。パカッと開くと、中身は野菜や海老だった。


「年越しそば。わたしの家、いつも天ぷらそばにするの。生そばと、天ぷらの材料。持ってきたから、あとで作るね」

「え」

「あ、ちゃんと家で練習もしてきたよ! 今日のお昼ごはんね、天ぷらそばにしたの。ママと一緒ならうまく作れたから、ひとりでもそこそこできると思う」

「え」

「おそば好きでしょ? 一緒に食べようね」

「……うん」


 口先では納得したふりをして、僕は頷いた。頭はわりと混乱している。


 わざわざ材料を持ってきて、彼女が年越しそばを用意しようとしてくれている。しかも家で練習までして。


 昼も夜も天ぷらそばなんて……たとえ味は美味しくとも、あまり連続で食べようとは思わないだろう。僕だけのために、彼女がしてくれている。衝撃だった。


「新汰くん、今のうちにお風呂入ってきたら? 年末の夜のテレビ、面白いよ。あとで一緒に見よ?」

「う、ん。わかった」

「わたし、お勉強してるね。数学とルーズリーフは持ってきたの。どこなら使っても大丈夫?」

「あ、そう。僕の部屋、使っていいよ。案内する」

「ありがとー。ちょっと待っててね。冷蔵庫、入れていい?」

「ああ。手伝う」


 彼女が持ってきた食材を、ふたりで協力して冷蔵庫の中にしまった。心臓をドキドキとさせながら、僕は彼女を自室に案内する。


「ここ、僕の部屋。パソコンはいじらないで。ノートとかも触らないで」

「うん、わかった」


 彼女は素直に返事しながら、チラチラッと僕のベッドのほうを見た。


「……勝手に寝ないでね。そういうの、やめてね。温厚な僕でも怒っちゃうから」

「じゃあ、許可を取ればいいのかなぁ」

「我慢しようって気はないの?」

「ワガママ娘ですから」


 にっこーと笑う彼女に、僕は頭を抱えた。どうしようと数秒間悩んだ末、「しばらく椅子に座って、おとなしく勉強してて。振り向かないでね」と指示する。


「はーい」という返事を聞きながら、僕は着替えの準備をした。箪笥から下着などを取り出し、一階におりる。風呂自動ボタンを押して、自室に戻った。


「はい、いい子にしてたかな」

「うん! すっごくいい子。もうハグしに行っていい?」

「……どうぞ」

「やったー!」


 彼女はキャスター付きの椅子から立ち上がり、僕にぎゅっと抱きついた。このニットワンピ、からだのラインがわかりやすいな……なんて、変な感想が思い浮かんだ。


「どうせ君のことだから、『新汰くんのベッドで寝てみたい!』とか思ってるんでしょ」

「えへへ、正解」

「変態さんだね」

「好きだからだよ」

「お風呂が沸くまでの間……僕の監視の下でなら、ベッドを使うことを許可します」

「えっ、ホント?!」

「本当だから、寝たいならさっさと寝てください」

「わーーい!!」


 彼女は嬉しそうな顔で僕から離れた。ちょっと気に入らない。彼女はくるっとターンする。ワンピースがタイトなデザインなので、今日はスカートがあまり広がらない。


 ぼすっと、彼女はベッドにダイブした。ガタッと音をたて、僕は、彼女のぬくもりが残る椅子に腰掛ける。


「えへへ~ん。新汰くんの匂いがするー」

「感想言うのやめて。恥ずかしい」

「はぁぁ……。うふふ。……はぁ……へへっ」

「待って。やっぱ何も言われないのも困る。……呼吸音が、生々しい」

「ふふ、そりゃあ生きてますからね。呼吸くらいします」


 彼女は仰向けになって、悪戯っぽい瞳で僕を見る。匂いを思い切り嗅がれることはなくなったが、彼女の呼吸に合わせて胸が上下するのが、よく見えるようになってしまった。……困った。とても、困ったことになってきた。


「君は、恥ずかしくないの。同じクラスの男のベッドの上に寝転んで。どうとも思わないの」

「んんー……恥ずかしいより、幸せって思うかなぁ。大好きなひとの生活空間を知れて。ドキドキする」

「僕は、君相手じゃなければ、こういうことはしない。こんな……こんな、中途半端な関係でいるのは、君だからなんだよ。わかってる?」

「うん。よーく、わかってる。君にしか見せないよ、こんな姿。わたし、本当は慎重なタイプなの。こんなに欲深くなるのも、君に対してだけ」

「……葉波さん」


 ギシッと、金属の軋む音がした。僕はベッドの上に座って、彼女の左手を貝殻つなぎにする。


「新汰くん……」

「こういうの、僕だけだから」

「うん」

「僕だけにして。約束」

「……約束」


 曖昧な言葉で、彼女を縛る。彼女の望みなら何でも叶えてやりたくて、でもこのままでいたくて、心配で、好きで、甘やかしたくて、可愛くて、もうどうしようもない。


 彼女の瞳が、僕だけを真っ直ぐに捉える。この睫毛が長くて量があるのは、彼女はツケマをしているから。僕はそう知っている。


 シーツの上で扇情的に広がる髪は偽物で、彼女の本当の髪はもっと短い。それも、僕だから知っている。


 この厄介な毛糸の塊を剥ぎ取ってしまえば、手術の痕が見えるだろうことも。見えない中身に臓器が一個足りないことも。この双丘の奥が、彼女の心臓が、見かけに釣り合う強さを持っていないことも。


「新汰くん、わたし――」


 彼女が何かを言いかけ、僕の手がどこかに動こうとした頃。階下から、陽気なメロディと『お風呂が沸きました』の音声が聞こえた。


 僕はベッドから飛び退き、フローリングの上で尻餅をつく。さきほどまで彼女と握り合っていた手で、無意識に自分の胸元を押さえた。心臓が暴れまくっていた。ああ――やらかした。

 

「ご、ごめん。なんか……変な空気にした。ごめん。マジでごめん」

「わたしも……ごめんね。勉強の続き、するね」

「うん。僕は、お風呂、入ってくる」


 気持ち悪いほど、僕らはぎこちなかった。


 彼女はベッドから起き上がり、スリッパを履いて、椅子に座って机と向き合う。僕は彼女の後ろ姿を見てから、走るように階段をおりていった。


 ……まずい。まずい。まずい!


 彼女が寝転んでいただけ。僕は手を繋いだだけ。あの繋ぎ方だって、もう何度もやっている。そう、僕らはいつもどおりだった。いつもどおりなはずだ。


「……っ、最悪だ」


 いや、やっぱり……どう言い訳しても、この心の問題は誤魔化せない。


 僕は、明確に「友だち」でない彼女のことを想像してしまった。彼女との「その先」を、許されるかもわからないことを妄想した。


 わかっている。どうしたって、僕の心の中で、彼女はもう「友だち」ではない。そもそも約束したときから、おかしかった。修学旅行のときから、もしかするとそれ以前から、僕にとって彼女は「特別」なのだ。まだそうとしか表現できない。はっきりと認める勇気がない。


 シャワーを全身に浴びても、シャンプーをしても、からだを洗っても、湯船に浸かっても、この想いは水に流れてくれなかった。きっと水溶性じゃなかった。もっとしつこいものだった。


 唇を噛む。傷つけばいい。誤っても、彼女にキスなんてできないように。痛くなればいい。自制できる僕になってほしい。


 大好きなひとのことを、傷つけてしまいたくないから。

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