勇者の怒り

一〇ヒトマル! 新手の有翼の豹フラッターを押さえよ!」


 応!――怒号と共に我々、重装騎兵カタクラフト第十騎団は泥濘を跳ね上げながら右翼の魔族へ向かう。既に我々の主力は地を這う黒い触手、原初の深潭ブラックプディングとの戦闘で壊滅的な打撃を受けており、動けるのは我々だけだった。


 立て続けの激しい戦闘による興奮と疲労から、俺の愛馬は駆けながらも口から泡を飛ばしていた。鈍い足並みに、それでも弓兵を守るべく愛馬に鞭打っていた。


 プファァァァァア!――奇怪な音が響く。それはある種のラッパのようにも聞こえたが、俺達はそうではないことをよく知っていた。有翼の豹フラッターたちの持つ八枚の蝙蝠の翼が、急降下と共に振動する音だった。その死のラッパは、耳にした者の心を狂わせ、廃人にしてしまう。銀の鈴がお守りになると民には伝わっていたが、それはあくまで一時しのぎ。我々のように戦場で相対する者は間近でそれを聞くこととなる。


「みろ……なんともない! 我々には効かないぞ! あはははは! 嗚呼、主神様!」


 第十騎団の一人が嬉々として叫んだ。確かに我々は聖堂騎士のくれた加護とやらで守られていたが、男のそのはしゃぎ様は、既に半分、狂気に足を踏み入れているのではないかと錯覚するほどだった。団員の誰もが疲れ果て、その男の声に答えることはなかった。



盾よスキア!」


 弓兵の前に躍り出た我々は、騎士の祝福により空中に魔力のスキアを顕現させ、有翼の豹フラッターの群れの前に並べた。弧を描いて放たれる味方の矢は確かに何体かの有翼の豹フラッターを貫いていたが、奴らはものともせず急降下してきた。


 バンッ!――目の前で有翼の豹フラッターが複数のスキアに遮られ、止まった。全身が病的な紫色のそれに脚はなく、手には槍を持ち、長い首の上の豹の頭は金切り声を上げていた。赤い目は瞳が無く、冷たい柘榴石のようにも見えた。


 俺と周囲の団員はその有翼の豹フラッターを囲んで斬りつける。長剣が豹の体を裂くたびに、腐った肉の臭いが飛び散り、吐きそうになる。八枚の翼で浮遊するその怪物は、魔族の言葉で呪文を紡ぎ、いかづちを放った。翼は刃のようで、羽ばたきは味方の団員を斬り裂く。手にした槍は、重装騎兵カタクラフトの厚い12ゲージの胸当てをも易々と貫いていく。だが俺達は、手近の半数の団員を失いながらも目の前の魔族を撃退した。



 ようやく振り返ったそこには第十騎団は無かった。

 有翼の豹フラッターの急降下による突撃を止められたのは我々とあと僅かの隊だけだった。第十騎団は馬ごと蹴散らされ、穢れた豹たちには弓兵の間にまで入り込まれていた。さらには――


 カァァァァァァアン、カァァァァアアアン――と聖堂や街の鐘とも違う音色の、天空からの高い鐘の音が鳴り響いた。曇天の切れ間から陽光が漏れ、照らし出されたそこには巨大な――三千尺は離れているだろうに――巨大な、金と瑠璃で交互に彩られた球が見えた。球には隈取くまどりのついたひとつの瞳があった。


 死と破壊の神ラ=ナ=アウエ――頭にその名が響いた。魔族たちは自らの顕現をこうして周囲の憐れな犠牲者たちに告げると聞いたことがある。これから自分らがどういった存在に蹂躙されていくのかを、ご丁寧に知らしめてくれるのだ。


 俺の背後では有翼の豹フラッターたちが味方の兵を殺戮しているはず。――なのに俺には何も聞こえなかった。すでに目の前に顕現した、豹など笑ってしまう程の圧倒的な存在に意識を奪われていた。


 ただただ静かだった。







「おい」


 強引に腕を引かれなければその男の声も聞こえていなかったろう。


「――聞こえているのか? 重装騎兵カタクラフト第十騎団か?」


「あ……ああ」


 愛馬の傍には、やたら上背のある鎧姿が居た。その鎧は飾り気のない白銀で、所属を表すものは一切身に着けていなかった。


「そうか。お前の所の団長に話がある。探しておけ」


「だが騎団はもう……」


 振り返ると、そこにはのろのろと立ち上がる団員たちが居た。鎧を裂かれ兜を割られている者まで居たがいた。しかもおかしなことに、有翼の豹フラッターの姿がひとつもなかった。ついさっきまで弓兵を蹂躙していたはずが、一匹も見当たらない。おまけにその弓兵たちまで無事な様子。


「――これは一体……」


「いいか…………探しておけよ? 絶対にだ…………」


 面頬ヴァイザーを跳ね上げたその男は、憤怒の感情を抑えきれずにいた。


「バレッタ、負傷者を頼む。ハイトリン、行くぞ。障壁フォースフィールドで守ってやってくれ」

「わかったわ」

「あいあい」


 ハイトリン――その名をよく知っていた。そう、あれは確か団長が――


 そんなことを思い出しかけていると、不意にその鎧姿の男は暗い空へと舞い上がり、背の高い輝く髪の女も追って上空へ。見る見るうちに二人の姿は小さくなり、やがて目で追えなくなった。がしかし、ものの四半刻も経たないうちに――


 カッ!――と東の空が光に満たされた。金と瑠璃の魔族の姿も光に包まれた。


 そしてほぼ同時に激しい圧迫感と轟音!


 俺は暴れる愛馬から振り落とされたが、光から目を離せなかった。


 光は火の玉へと変わる。火球ファイアボールの魔法など火口ほくちについた火にも及ばぬと思わせるほどの巨大な火の玉は、死と破壊の神ラ=ナ=アウエの蹂躙にも見えた。しかしその火の玉は、我々第十騎団を含む王都の精鋭軍団に至る手前で見えない壁に阻まれた。火の玉はそのまま天へと昇り、曇天を突き抜け、やがて高い高い雲となった。雲はまるで巨大な城か塔のようにも見えた。雲の周辺は、低い雲が掻き消えて青い空が見えていた。







 俺を含めた団員たちが、ただただ呆けてその高い雲を見ていると、あの男が戻ってきた。


「それで? 団長は居たのか?」


「あえっ……」


「団長は居たのかと聞いている! これだ! このくだらない像を作った男だ! 型を作って大量に複製を作っただろう!? あ? 聞いているのか!?」


 男は像を……そう、ハイトリン様の像を手にしていた。それも団長が精魂込めて作った裸婦像を。あれは素晴らしい出来だった。俺たちは協力してそのハイトリン様の裸婦像を複製した。みんなで――


 ぐしゃり――男は裸婦像を握りつぶした。


「こんないかがわしい物を作りやがって! 団長を連れてこい! 今すぐ首を刎ねてやる!」


 死と破壊の神よりも恐ろしいものを見た俺と周囲の団員は、震える足で辺りを捜索し、有翼の豹フラッターの死体にうずもれた団長を引きずり出すのだった。







--

 今回は地形が変わってないからセーフ!

 ハイトリンはロスタルの横で「ぐえ~」とかふざけてそうです。


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