第7話 クローサン回想 1

「ごきげんよう。あなた、こちらで会うのは初めてかしら?」


 聖堂の広間で、面布で鼻から上を隠した背の高い女はそう声をかけてきた。ロスタルほどじゃないが、女にしてはかなり高い。俺とは頭ひとつ分くらいは差があるのではなかろうか。


「はい、トメリルから参りましたマリエと申します。初めまして」


「マリエさん? とのですね。面白い方。ちょっと付き合ってくださるかしら?」


「はい……」


 笑顔を張り付けたまま俺は答えたが、女の意味ありげな言葉に、長い隠遁生活で腕がなまってしまったことを実感していた。



 ◇◇◇◇◇



「何も入ってませんよ、どうぞ」


 お茶と茶菓子を勧められて女の前に座っていたが、こちらの正体を見破られているのは明白だったため、彼女の出方を伺っていた。


「あっはは、いただきま――」

「それにしても――」


 食い気味に話し始めた女だったが、そこまで言うと口元に指を当て、言葉を止める。


「――変装は相変わらずお上手ですね。わたくしも覚えれば背の低い女の子になれるかしら?」

「それはさすがに魔術でもないと…………」


「ロスタルから何か聞きました?」

「はえ……」


 唐突に踏み込んできた女。


「まぁ、かわいらしいこと。わたくしもとっさにそういう反応をしてみたいものですね」

「……三人の妻が寝取られたと」


「そう…………」


 女はいくらか声を落として顔を伏せる。ロスタルから聞いていた印象とは違う。俺には昔の儘の……いや、以前ほど歓びには満ちていない彼女に見えた。


「ロスタルとは初夜も迎えていないって本当なのか?」

「ええ、聖女の力が失われますから」


「じゃあどうして結婚した。関係が近い分、綻びは生じやすくなるだけ――」

そばに…………」


「――傍に置いて欲しかったのです。だって……ひとりだけ仲間外れは悔しいじゃないですか。三人とも求婚されたのに」


 女の口元は笑っていたが、面布の奥からひと筋の雫が頬を伝ってきた。


「どうしてそこまで聖女の力に固執する! ロスタルを愛しているなら聖堂との関係など捨ててしまえ!」

「聖堂との関係の修復は必要です。神殿も……」


「魔族の脅威が無くなるまでずっとこのままのつもりか? 聖堂側の要求なのか!?」

「聖堂とはおそらく、もうほとんど確執は残っていません。神殿も」


「何をした?」

「内緒です。ロスタルに大目玉をもらいます」


「――でも……それもいいかもしれませんね」


 錫と鉛の合金で仕切られた複雑な模様を描く玻璃の窓に目をやると、一拍置いて女はそう言った。


「聖堂との確執が無いならなおさらだ。聖女の力はもう主神あるじがみにお返ししてもいいだろう」

「そうは参りませんよ」


「何故だ、ロスタルを大事にできないのか」

「ロスタルが大事だからこそです。彼に何かあったら生きていけません……」


「あいつはもう無敵だ。魔族との戦いで死ぬことは無い」

「…………そんなことは誰にもわかりません」


「実際にやつの力を見ただろう」

「…………わかりませんよ」


「俺が保証する。やつが死ぬことは無い」

「そんなもの……彼の帰りをただ待つだけの妻には何の支えにもならないのですよ」


「お前……」

「彼と並び立ち、供に居られないわたくしは常に神へと彼の身の無事を問いかけ続け、蘇生の奇跡をいつでも使えるように身を清めて待つくらいしかできません。そのためにも聖女の祝福は必要なのです」


 コトリ――と女はごく小さなリングをテーブルに置いた。


「これは?」

性格欺瞞カウンターフェイトアラインメントの指輪です」


「指輪にしてはえらく小さいが……これはピアスか?」

「まさか。主神あるじがみの聖女が身体に穴を開けるなど許されません」


「これを身に着けて性格を偽っていたというのか?」

「ええ、かなり力の強い特注品です。魔王の右腕の魔石から作らせました」


「こんなもの身に着けていたらすぐロスタルにもバレるだろ」

「ふふっ、女には夫にも明かせない秘密のひとつやふたつ、あるのですよ」


「どうしてそこまでして……」

「わたくしにだって肉欲はあります。彼との安らぎのひと時を、ただそれだけで終わらせたくない感情が溢れてしまいそうだったのです……だから――」



「――だからわたくしは、このまま寝取られたということにしておいてください」







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