第2話 聞いてくれクローサン 1

「あれ? お兄さん、どこかで見た顔だと思ったら勇者様じゃん。第四夫人に貰ってよ」


 オレから見れば娘かと思うほどの年の離れた給仕さんが声を掛けてくる。今風に魔術で髪を染めた、同じく今風に脚が長く腰の高い娘だった。


「ああ、わかったわかった」

「ホントに? 絶対だよ?」


 明るく返事をした給仕さんは仕事に戻っていった。


「おいおい、いいのかよロスタル。お前がそんなだから浮気されてるんじゃないのか?」

「あれが本気なワケないだろう、名前も告げて来ないんだぞ。もうこんな勇者ジョークばかりで嫌になる」


「どういうジョークだ、それは」

「貴族連中だよ」


「は?」

「貴族連中だ。やつら、時代錯誤の大昔の法律を復活させやがったんだ。勇者の血を残さねばならんと、オレに初夜権を与えやがったんだ」


「本気で言ってるのか!?」

「お前は恋人と隠遁生活を送っていたから知らないだろうが、オレが三人を娶った腹いせに、聖堂派、神殿派、ハイトリン派が結託して嫌がらせをしてきやがったんだ。三人を娶ったのもその流れで仕方なくという事にしたいらしい」


 呆れ顔のクローサンを尻目に蜂蜜酒を呷る。


「――おかげでオレはどこへ行っても目の敵だ。おまけにああいう冗談を言ってくる遊び人の女まで居る。あの手のはこれまで誰一人と屋敷へ来たことがないし、今では気にもしやがらない。」


「……ハイトリン派って初めて聞いたな」

「ここまで聞いて口に出てきたのがそれか!……ハイトリンの彫像だのイコンだのを勝手に作ったうえ、ありがたがって拝む連中がいるんだ。全く! オレの妻だぞ」


 声を荒げるオレの横で――はぁ――と深く溜息を吐き、背もたれに体を預け天井を仰ぎ見るクローサン。



「わかった。愚痴を聞くだけじゃない、力になってやる。だから話せ」

「ありがとう。聞いてくれ、クローサン」



 ◇◇◇◇◇



 背の高い彼女はディジエ・マリア・ローゼンと言った。

 初めての出会いは聖堂の奥の森――神々の寝所たる森の聖なる泉だった。


 主神あるじがみに導かれたオレはその森へと迷い込んた。そして、特別な聖別なしには近寄ることさえままならない泉で、その美しい肢体をさらけだした彼女に出会ったのだ。彼女は――この出会いに祝福を――と、オレの非を責めるでもなく膝を折り、語りかけた。その泉の性質からかんがみてか、突然現れたにも拘らずこのオレを信用し、さらには運命までをも感じたらしい。


 背が高いことを恥じらう彼女は過剰とも言える程に慎ましやかだった。常に薄い面布で鼻から上を隠し、オレの傍に控え、死に至るほどの負傷からも守ってくれた。オレがこの力を手に入れることを誰よりも望んでくれた。これ以上、オレが傷つくところを目にしたくないと言って……。


 その後、オレたちは魔王討伐を成し遂げ、夫婦となった。しかし、魔族どもは人々の生活を脅かし続けている。魔王の統制を失った魔族の中には、近寄るだけで、或いはその姿を目にしただけで死を齎すような存在までいる。オレは連日のように前線に赴き、魔族どもを掃討し、そして可能な限りオレたちの住む屋敷へと帰っていた。


「あン? もう帰ってきたのクソ勇者! 帰る余裕があんなら同じ森の――



 バン!――と机に両手を突く音にオレは我に返った。


「ちょ! ちょっと待てロスタル!」

「なんだよクローサン、回想語りに割り込んでくるな」


「その喋り方はディジエか!?」

「そうだが?」


「そうだが?――じゃねぇんだわ。俺の記憶にあるディジエとずいぶん齟齬があるんだが!?」

「ディジエは結婚後、しばらくしてからはずっとこんな感じだ」


「お前、本当に好かれて結婚したんだよな!?」

「ああ、それは間違いない」


 ハァ――と額に手をやり腰を落とすと、続きを促すクローサン。



「あン? もう帰ってきたのクソ勇者! 帰る余裕があんなら同じ森の恐慌の祖竜グロズイールってきてくんない?」


「ディジエ……そうは言うが森というものは得てして奥深く、起伏に富んでいるものなんだ。オレの探知でもそう簡単に見つけらるものではないんだよ」


「はぁ、つっかえ……。これじゃあいつまで経っても初夜は迎えらんねーわ。じゃ、討伐報酬を出しや――



 バン!――と再び机に手を突く音にオレは我に返る。


「……やってないのか?」

「ん?…………ああ、ディジエの聖女の力が失われてしまうからと言うのでな」


「そうだったのか……いや、それ結婚してるって言えるか?」

「魔族を滅ぼした暁には――と約束した。今は愛さえあればいいと思うんだ」


「いや、愛されてるようには見えないんだがな。あと討伐報酬って……」

「ああ、討伐報酬を貰ったら全て彼女に渡している。屋敷の財政面は任せてあるからな」


 クローサンは再び額に手をやって溜息を吐いた。


「じゃあなんだ、ディジエから小遣いでも貰ってるのか?」

「まあ、食事代くらいは」


「食費は小遣いじゃねぇよ。まさか俺の知らぬ間に、こんな事態になっていたとは……」

「まあ、とにかく屋敷ではこんな感じな訳だが、気になるのはオレが遠征している間の彼女の行動だ」


「その前に何だが……やはりロスタル単独で討伐遠征に出ているのか?」

「ああ。オレひとりなら移動時間を大幅に短縮できるのが大きい。それから……彼女たちを危険な目に合わせるわけにはいかない」


 ああ――とクローサンは頷いた。


 彼女らが同行しないのは何も魔族を恐れているからではない。いざという時にオレが全力を出せなくなる事態を避けているのだ。それをクローサンも理解したようだ。


「オレが予定通り帰る場合、ディジエは必ず屋敷に居るのに、予定よりも早く帰ってくるとほとんどが不在だ。おまけに早く帰ってくるとそのことを責められる。初めての出会いで裸を見られたことさえ責めなかった彼女がだ」

「しかしそれだけで浮気を疑うのは……」


「もうひとつある。彼女、もう長い事、聖女の祈りでオレを癒してくれてないんだ。昔なら小さな負傷でも化膿や毒を心配して、こまめに癒してくれた彼女がだぞ?」

「つまり…………聖女の力が失われたといいたいのか?」


「ああ。そうだよ、クローサン」







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 まだ慌てるような時間じゃありません。


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