第4話 沈む少女、見え始めた不審


「聞きたいこと? 講義で分からなかったところか?」


「ううん、そうじゃなくて……午後からの予定のことなんだけど」


 その言葉に、俺はかすかに首を傾げて見せる。


「能力調整のことか。なんだ?」


「うん……その、今日の調整だけどさ。いつも通り、全員が受けなきゃいけないよね?」


 どこか歯切れの悪いアリーナの言葉に、俺は頷きを返す。


「ああ、そのはずだが。ヤリス大尉からは全員に対して集合を掛けたと聞いている。何か気になることでも?」


「あー……気になるって言うか……その、この子がさ。今日けっこう調子悪いみたいで、調整をスキップできないかなってさあ」


「なに? アネモイが?」


 俺はアリーナの後ろに隠れるようにしている少女へ視線を向ける。アリーナよりも小柄な彼女は、確かに顔色が悪く、昨日と全く違う弱々しい様子でうつむきがちに立っている。体調が悪いと言うのも嘘ではなさそうに見えるが、しかし……。


 俺は顔を伏せて少しの間だけ考えたのち、再び彼女たちに視線を向けた。


「――俺には判断ができないな。その能力調整というのがどういった処置か把握できていないし、体調が悪いならむしろすぐ調整を実施すべきである可能性だってある。午後、俺でなくヤリス大尉に伝えてみればどうだ」


 俺は特に悪意もなく、合理的に考えたことをそのまま二人に伝える。しかし、それを受けての反応は予想だにしないものだった。


 俺の言葉の後、アリーナは小さくギリッと歯を鳴らし、後ろのアネモイはかすかに震え始めたのである。


 二人の様子を見て、何かおかしいと俺はいぶかしむ。アリーナはアネモイをかばっているように見えるが、当のアネモイが見せる反応は、体調の問題というより――まるで何かに恐怖しているようにも見える。


 俺は彼女たちに何と言っていいか迷う。過去幾度も受けているだろう能力調整とやらについて、いったい何を気にしているのか。将来護国を担う勇者候補たる者、帝国のことを第一に考え自らの能力をメンテナンスすることを優先しろと、そう言うことは簡単だが、しかし……。


 俺の返答を受けて、アリーナは表情を固くしている。ともすれば昨日以上の敵意すら感じる。明らかに何かある反応だが、今さら申し出の背景を聞いたところで、感情的になってまともな答えは返ってきそうにない。


 ――さて、どうするか。


 俺は次の行動を決めかね、口をつぐんだままアリーナたちの様子をもう一度観察する。俺を睨みつけるアリーナと、小さく縮こまったアネモイを。


 そして、はたと気づいた。


 彼女たちの幼さの残る顔を、そしてその華奢な体を見て思う。まだまだ子どもの彼女たちに、俺たち軍人と同じだけの心構えを求めるのはいささか酷ではないだろうか。帝都の中を見渡せば、無邪気に学校に通い、親の庇護のもと暮らしている子どもが大半なのだ。


 たしかに立場が違うと言えばそれまでだが、しかし、少しくらい彼女たちを気に掛ける者がいたって、特に問題はないのではないか。


 ――別に、軍規違反をするわけでもなし……。


 俺はこの時、所長に言われた飴役がどうなどという話を意識することもなく、素で、しかし結果としてはその通りの行動をした。


 ふう、と息を出すと、少し腰をかがめて俺より低い位置にある彼女たちと目線を合わせ、言った。


「まあ――アネモイのことは、俺からもヤリス大尉に伝えてみよう。体調が悪いようなので、できれば彼女の処置は後日に回せないか、と。彼は俺の上官だし、調整のことも詳しく把握していないから、君たちの要望を最優先させることはどうしても難しいかもしれないが……しかし、できる限りの配慮はすると約束しよう」


 「それで……どうだろうか?」と、俺は自分にできる限りの提案をした。権限的に俺には大したこともできないので、すこし困った気持ちが出てしまったかもしれないが、それでも最大限少女たちを気遣ったつもりの言葉だった。


 反応はどうかと少女たちを見れば、アリーナは少し意外そうにしつつ、どこか猜疑心がうかがえる目つきをしている。


 一方アネモイはといえば、露骨に顔を明るくし、大きな瞳で俺を見つめ返してきた。そして、その小さな口を開いた。


「あ、あなた、良い心がけじゃない!? そう、それでいいわ……! 前のひとは何かしてくれたりとかなくて、今回もそうかと思ったけど、あなたはなかなか使えるみたいじゃないっ」


 ふんす、と鼻を鳴らしながら、アネモイはこちらに身を乗り出して言った。


 先ほどまでとは違う意味で、昨日とはすごい変わりようである。多少俺に対する印象も好転したようで、なんとも簡単な少女だ。


 しかし、体調が悪いという話はいったいどこにいったのか。


 俺はまぶたを半分ほど閉じ、アネモイにじとりと呆れの視線を向けた。


 ――それにしても、俺の前任者か……。


 俺は目の前の少々単純な少女から意識を離し、見も知らぬ前任者に思いをはせる。なにも情報は聞いていないが、彼女たちからはうまく信頼を得られていなかったのかもしれない。


 この任務は、将来国防の要となるだろう勇者候補たちを立派に育てるものだ。効率の良い成長を促すためには、当然教導役との信頼関係が重要になってくる。


 とはいえ、別に俺の方針が何か変わるわけではない。俺はただ、護国のため、勇者候補の教導役として誠実に対応していくだけだ。


 ――そういえば、『飴と鞭』の飴になれという話もあったな。今のところ特別に意識するつもりもないが、相手はまだ子どもだし、ときおりご褒美でも上げることを考えるとしようか。


 俺はそんなことを思いながら、昼休憩がなくなるぞと少女たちに退室を促す。素直に去っていく彼女らの背中を見ながら、着実に、一歩ずつ彼女たちと信頼関係を築いていこうと、そんなことを考えていた。




 ――そうして、そんな俺の認識がどれほど甘ったれたものだったか、この日、俺は知ることになるのだ。


 勇者になるための過程を、そしてこの勇者養成施設という場所の、本当の姿を。



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