第3話 初めての講義

3.


 俺がダイダロスへと着任し、勇者候補たち、所長、直属の上官たちと顔を合わせた明くる日。


 朝早く起床して身支度を整え、食堂で朝食を取った俺は、早速子どもたちへ講義すべく教室に向かっていた。


 幾人かの職員や兵士とすれ違いながら廊下を歩き、昨日子どもたちと出会った談話室とはまた別の大部屋を目指す。


「――おや。おはようございます、少尉」


 道中、横合いから声を掛けられ視線を向ける。


「ヤリス大尉。おはようございます」


 俺が進行方向と直角に交わる廊下から出てきたのは、細い眼鏡をかけた白衣の男――ヤリス大尉だった。


 彼は昨日所長から紹介された俺の上官であり、子どもたちに魔法系の教科を中心に、その他いくつかの教科を教える兵士だった。


 兵士というより研究者然とした見た目のヤリス大尉は、立ち止まる俺の横に並び、歩みを再開させようと促す。二人揃って講義室に向かいながら言葉を交わす。


「どうです、今日はうまくやれそうですか? 昨日着任したばかりでは、まだ教本の確認も十全ではないでしょう」


「ええ、教本すべての確認はまだ……。ただ、昨日ヤリス大尉に助言いただいた通り、今日の学習範囲だけはきちんと読み込んでいますので、付け焼き刃ですが何とかなるかと」


「それはよかった。学習範囲全てを体系的に把握しての教導が効果的ではありますが、今回ばかりは仕方がないですからね。アイオス少尉に不安がないなら、私の助太刀も必要なさそうだ」


 冗談めいた口調ながら、ヤリス大尉の表情は会話の中で特に変化もない。まだそれほど会話したわけではないが、あまり感情の起伏を表に出さない人物のようである。


 俺は「お手間を取らせないように努めます」とだけ言って、講義室への道を進んだ。それからは特に会話が生まれることもなく、やがて目的地へと到着する。


「それでは、講義を始めてしばらくは後ろから見ていますので、アイオス少尉はどうぞ気にせず」


「はい、ありがとうございます」


 ヤリス大尉に向けて軽く頭を下げた俺は、続いて講義室の扉を開いて中へ歩みを進める。ヤリス大尉もいるからか、昨日のようにあからさまな魔力を向けられることはない。


 俺は黒板の前にある教卓まで進み、教本類をどさりと置くと、今から必要な一冊を手に取る。昨日ヤリス大尉から聞いた学習進度に該当するページの、その次を開くべくぺらりと紙を捲る。


 目当てのページの教本片手に、少女たちへと視線を向けた俺は言った。


「みんな、おはよう。昨日挨拶して早々だが、早速今日から教鞭を取らせてもらう。もし俺の講義形式に不満などあれば意見してくれ。改善を検討する。……それでは、防衛戦における戦術論の講義から始めるぞ――」


 教卓を中心にして同心円状に広がる少女たちからは、魔力をぶつけられることこそないものの、居心地の悪さを感じる視線を向けられている。しかしそれらすべてを無視して、俺は与えられた任務を遂行する。


 まずは、将来の勇者たちに帝国を守るための知識をつけるのだ。チョークを手に取った俺は、片手の教本に視線を走らせた俺は、カッと音を立てながら黒板に文字を書き込んでいく。


 ダイダロスへ来てからの初仕事として、俺は淡々と講義を進めていくのだった。




 そうして、朝の初講義開始からすでに三時間ほどが経過し、時間は昼へ差し掛かる。


 俺は腕に巻いた機械式時計で刻限を迎えたことを確認して、片手に持っていた教本をぱたりと閉じた。黒板から子どもたちの方へと向き直り、教卓に置いたケースにチョークをしまう。


「――時間がきたので、午前の講義はこれで終了とする。講義の中で分からない部分があった者は、自由時間で俺のところに質問に来ても構わない。……ああ、それとすでに把握しているだろうが、今日の午後一番はヤリス大尉による能力調整の処置とのことだから、時間には遅れないように」


 俺は子どもたちに向かって告げる。


「では、これより昼休憩に入ってくれ」


 その言葉を皮切りに、子どもたちはめいめいに腰を上げ、それぞれの荷物を持って講義室を出て行く。みな私語も少なく、どこか暗い表情をしているが、おそらく昼食をとりに食堂へと向かうのだろう。


 ときおり敵意の視線を投げかけながら前を横切っていく子どもたちを尻目に、俺も講義で使用した教材を片づけながら考える。


 ――それにしても、あれだけ反抗的な反応をしていたわりに、みな真面目に講義を受けていたな。


 特に印象に残っているのは、桃色の頭をしたアリーナか。昨日も人一倍俺に敵意を向けていたし、自由な態度から警戒もしていたのだが、講義中はただ品行方正に俺の話を聞いていた。


 まあ、真面目に講義を受けるのはいいことかと、俺はそう納得して荷物を手に講義室を出ようと足を動かしかけ、しかしその時。


 部屋を出て行かず、教卓の前で足を止めた少女を見て、俺はそちらに向きなおる。


「――俺になにか? アリーナ」


 そこにいたのは、昨日から何かと接点のある少女アリーナだった。その斜め後ろには、顔を伏せ気味にした金髪の少女アネモイもいる。


 他の者がすでに出て行った中、講義室に足を止めたアリーナは、これまでと違って感情のうかがえない顔をしている。短い付き合いではあるが、どうも彼女に似つかわしくないと思えた。


 そんな少し違和感のある様子で、アリーナは俺に言った。


「センセに、ちょっと聞きたいことがあって」



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