第7話 雷霆のフィウレ

7.


「――午前の講義は、ここまでとする」


 講義室の教壇の上から、真面目に講義を受けていた子どもたちへと告げる。ぱたりと教本を閉じ、風の魔法で黒板の文字を散らして清めた。


 子どもたちはそれぞれが己の教本や筆記用具をしまうと、さっさと出て行こうと互いにおしゃべりしながら立ち上がる。


 しかし、まだ伝達事項があった俺は、皆が去ってしまわないうちにもう一度注目を集めた。


「すまん、昼休憩に入る前に一応少しだけ。――今朝も言った通り、今日はあの勇者部隊から現役勇者の一人が視察に訪れる。第一教練場まで、遅刻せず集合するように」


 それだけ言って解散と伝えると、子どもたちは昼食へ向かうべく動き出す。その様子は明らかにいつもより浮ついていて、子ども同士の雑談も多かった。講義終わり、いつもは俺へ邪魔そうな視線を向けるか無視をするか、だいたいどちらかの彼女たちだが、今日は全員無視である。


 ――いいことなのか悪いことなのか。……いや、まだ信頼を受けられていないのは、悪いことか。


 はあ、とため息を吐いて、講義用の荷物を軍用の鞄に入れる。


 ――俺がダイダロスへと着任して、早くも二週間。


 子どもたちがより健全に成長できる環境を作るべく、悩み事を聞いてカウンセリングするなり、まずは俺にできることをやろうと努力しているが、成果はいまだ見えない。そもそも、第一段階である子どもたちからの信頼を勝ち取ることがまだできていなかった。


 もちろん、彼女たちにとって最も直接的な苦痛である能力調整についても、どうにかしようと動いてはいる。勉強の名目でヤリス大尉に付き添い、各処置の目的や内容を聞き、折をみて素人ながら苦痛の軽減策を提案などしているが、しかし受け入れられるものはなく、いまだ効果はない。


 さすがにヤリス大尉から睨まれ始めているので、最近はまず勇者とは何か、どうやって造り出すのかということを、アクセス可能な文書から自主学習し始めたところだった。


 ちなみに、初日所長から伝えられた飴役の話は、正直とくに意識していない。大人としての常識的な倫理観から彼女たちの待遇改善を試み、それが叶うときがくれば、それすなわち彼女たちにとっての飴になるであろう。


 ただ、なかなか成果の出ないダイダロスでの任務に、俺は早くも頭を悩ませ始めているような状態であるが。


 腕を組んで顔を伏せていた俺は、ここ最近を振り返った結果にもう一度ため息を吐きそうになる。しかしちょうどその時、教壇へと近づいくる人影を視界の端に認め、顔を上げた。


「――先生。なにを落ち込んでるの?」


「アネモイ」


 そこにいたのは、金糸の髪と薄紫の瞳をもつ小柄な少女、アネモイだ。可愛らしい顔には、どこか俺をからかうような笑みを浮かべている。


「わたしは無理だと思うけどね。みんな、あんまり大人を信用していないもの」


「そうだな……この環境では、なかなか俺を信用するというのは難しいだろう。だが、俺の立場だからこそ皆に貢献できることもある。……講義や教練以外でもな」


「ふうん。ならまずは、その実例を見せてほしいものね! ……じゃ、わたしはもう行くから!」


 邪気のない笑みを俺に向け、アネモイは去っていく。先に行って講義室の外で待っていたらしいアリーナが、「またセンセに話しかけてたの?」なんて言葉をかけているのが微かに聞こえた。


 ――教え子に励まされているようではダメだな。もっと、うまくやらなければ。


 唯一友好的に接してくれるアネモイに感謝しながら、俺は今度こそ荷物を持って講義室を出る。そろそろやってくるはずの現役勇者を迎える準備をしなくては。


 あまり時間がないため、今朝食堂でもらっていたサンドイッチを食べながら廊下を移動する。俺が初めてダイダロスへ迎えられた時のように、門のところまで出迎えに行った。


 そして、しばし歩いて施設を出た俺は、門衛のもとで二人の軍人が手続しているところを発見する。聞いていた時間はまだのはずだが、すでに到着していたらしい。


 すぐにそちらへ駆け寄った俺は、ちょうど手続きが終わったらしい男女二人の兵士へ向かって敬礼した。


「――出迎えが遅れ申し訳ありません。ここダイダロスで、勇者候補を教導する任に就いているアイオス少尉です」


「おお、これはご丁寧に。約束の時間より早く来てもらっているんだから問題はないよ。――シズル大尉だ、よろしく」


 男の方の兵士は俺に何の含みもないようで、爽やかに敬礼を返してくれる。そして、もう片方の勇者であろう女兵士もそれに続き、にこやかに敬礼する。


「私はフィウレ中尉です。今日はここで後輩たちに会えることを楽しみにしてきました。よろしくお願いしますね」


 軍服の上で長い黒髪を風に揺らしながら、彼女はそう告げる。


 そして、その自己紹介を聞いた俺は、声に出さずに驚いていた。


 ――雷霆のフィウレ。勇者部隊の中でも中核の勇者じゃないか。それほどの実力者がやってきてくれるとは。


 ダイダロス出身で、世間でも特に英雄と名高い勇者の中の勇者。雷魔法を自在に操り魔物たちを蹴散らすという彼女は、しかし実際に近くで見ると細身の女兵士という風にしか見えない。


 しかし、過去一度戦場で微かに見えた彼女の雷は、広範囲に凄まじい魔力と衝撃を広げるほど強力なものだった。かなり距離があった俺のところまで魔力の余波が届き、勇者の力に改めて驚愕した記憶がある。


 これほど有名で実力もある勇者が来てくれるとは、子どもたちもずいぶん喜んでくれることだろう。


 ダイダロス出身で大きな成功を収めている先輩の訪問に、俺は心から歓迎の意を示し、施設の中へと案内を開始するのであった。



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