第3話

 ファミレスでは、バイト上がりの子たちがだべっていたり、テレワークで働いている人たちがノートパソコンとカメラとマイクを駆使して仕事していたりと、すっかり日が暮れたあとでも賑わっていた。

 俺たちが通された奥の席で、困り果てた早川さんがメニューを見ている。一番安いメニューページを眺めると「サラダバー……」と言うので、即答で俺と素子さんは口を揃えて「駄目」と却下した。


「頼むから、ちゃんと働いた分のカロリー摂って。百歩譲って働き過ぎてかえって食事を受け付けないにしても、せめてリゾットとか胃に優しいものにして。サラダバーは安いけど全然胃に優しくないし、腹も溜まらないから」

「えっと食べやすいとかだったら、ここのチーズリゾットやトマトリゾットなら、腹持ちもいいですし、胃に優しいですよ。お勧めです」

「えっと……胃は別に大丈夫です。はい……えっとお肉……あるもの頼んで……あの、お金……」


 肉食べられるくらいには、まだ元気があるんだな。そうほっとしたら、俺はオーバーリアクションを取っていた。


「あーあーあーあー! じゃあ俺煮込みハンバーグ頼んじゃおうかな! ここのハンバーグ、ファミレスと侮れないくらいに美味いし!」

「わ、私ビーフシチューのセットにしましょうか! ほら、早川さんもどうですか?」


 俺のリアクション芸に素子さんも乗ってくれ、交互に説得して、彼女にボロネーゼとサラダのセットを食べさせることに成功し、俺たちはほっと胸を撫で下ろして、店員さんに頼んでそれぞれ注文する。

 待っている間、お冷で口を湿らせてから、早川さんに尋ねる。


「それで、早川さん。いったいどうしてここまでバイトを……?」

「……最初は、そこまでシフトもきつくなかったんです。テスト前になったらシフトに融通も利きましたから。店舗系のバイトは軒並み難しかったんで、大学からも寮からも通いやすい場所ってことで、宅配センターで働いてたんです……」

「そうなんですか?」


 バイトをしたことすらない俺が素子さんのほうに振り返ると、素子さんは「そうですねえ」と言う。


「店舗の店員バイトだったら、週単位でシフトを決められることが多いです。たとえば日曜日と水曜日はどうしても休みたいって言ったらそれ固定です。土日のどちらかが入れないと厳しいってところが多いんですよ」

「なるほど……じゃあ本当にテスト前でも融通利いていたんだな。あれ、でも今は……」


 早川さんのほうに再び視線を向けると、彼女は震えながらお冷の入ったコップを両手でぎゅっと握っていた。


「……私がバイトをはじめてから一年くらいで、通販需要が高まっちゃったんです。増員をかけてもかけても間に合わなくって、それに反比例してあまりにも大変になり過ぎて月イチでバイトが辞めていくって現象が続いたんです」

「それは……」

「……典型的なバイトのブラック化ですねえ」


 早川さんはコップに視線を落としたまま、小さく頷いた。


「……他のバイトに変わりたくっても、私もお金が必要で……私が学費も寮の家賃も払っているんで……それを支払えるくらいに稼げて、シフトに融通が利くとなったら、本当に限られていて……一度は大学を辞めて就職も考えたんですけど、家族に止められたんです。『大学は絶対に出ろ』って……もう、私もどうしたらいいのか……」


 そこまで吐き出して、とうとう早川さんの喉から嗚咽が漏れた。つるつるしたテーブルにはポタポタと涙の滴が落ちる。

 これは……。思っている以上に早川さんの環境がやばい。

 あまりにもブラック過ぎるからバイトを辞めろと言うのは簡単だ。でも彼女はお金が必要で、バイトを辞めたら大学に通えない。でもこのまんま働き続けたら、肝心の大学生活はどうなるんだ。

 素子さんは硬い表情で、できる限り優しい口調で尋ねる。


「琴吹さんから伺いましたよ。早川さん、授業も真面目に出て、課題も全部大学で終わらせていると。でもこれ以上は私個人としてはお勧めできません。今の生活を続けていたら、間違いなく早川さんの体が壊れてしまいます。今は若いから無理が利きますけど、今のためにあなたがどんどん消費されていくのは、私はつらいです」

「ですけど……そしたら、学費が……」

「念のために聞きますが、ご家族はあなたの現状をご存じですか?」


 それに早川さんは首を振る。


「……うちの親、リストラされたんです。これ以上負担をかけたくなくて、教えていません」

「なるほど、つまりはご家族には頼れないんですね。わかりました」


 そう言っている間に「お待たせしました」と店員さんが注文したメニューを運んできた。空きっ腹には暴力的なほどに、肉のいい匂いが漂ってくる。

 早川さんがボロネーゼとサラダのセットを食い入るように見るので、素子さんがにこやかに笑う。


「難しい話は一旦置いておいて、先に食べましょう。早川さん、お昼をいただいてから、休憩取れましたか?」

「いえ……」

「じゃあ余計に食事はいただかないと」

「あ、ありがとうございます……いただきます」


 彼女が必死にボロネーゼを食べはじめたのを見計らって、俺たちもめいめい注文したハンバーグとビーフシチューをいただく。うん、ファミレスって斜に構えるにはもったいないくらいに肉の味が濃くて美味い。

 俺がハンバーグを口にしている中、素子さんはビーフシチューをいただく。

 こうして俺たちは、早川さんを伴って青陽館に帰ってきた。

 寮の子たちは団らん室に集まって、誰かが寮に持ち込んだゲーム機をテレビに繋いで遊んでいるようだった。ゲームで運動する奴は、意外と女子にも人気だ。早川さんが帰ってきたのを見て、ぱっと顔を上げた。


「あっ、はやかわちゃん! お帰り、今日は帰ってこれたね!」


 そう言って寄ってきたのは、一緒にゲームをしていた七原さんだった。早川さんは「ただいま……」と挨拶をすると、他の子たちと一緒にゲームをはじめた。

 俺たちは風呂の準備を済ませると、そのまま管理人室へと戻る。


「早川さんの事情は聞き出せましたけど……でもこれどうしましょうか? 早川さんが切実にお金が必要な以上、体に悪いからと言ってバイトを辞めさせるのも、乱暴過ぎませんかね?」

「そうですね。まず先に新しいバイト先ですね」

「でも、そんな都合のいいバイトってあるんですかね……学生に融通してくれるバイト」


 元々のけちのつきはじめは、どう考えても早川さんが大学や寮に帰ってこられる場所にバイトが見つからなかったというのが問題だ。ついでにあの子が寮の家賃や学費も払っている以上、一定量の給料じゃなかったらそもそも大学すら続けられない。

 そこで素子さんが指摘する。


「というか、どうしてここが学生街なんですか?」

「えっ?」


 一瞬素子さんの言っていることの意味が、俺にはわからなかった。素子さんは人差し指を上げる。


「基本的にこの街の物価は全て学生基準です。社会人が買うようなブランドものの店をここで立てても、需要が足りなくてすぐに潰れてしまいます。もちろんお金を持っている子たちもいるんですけど、わざわざこの街で買うんじゃなく、売っている場所まで行くくらいのお金はありますから。それと同じで、ここでの働き先も本来ならば学業優先する学生のシフトに沿って行われないといけません……ときどきなにも考えていない経営者が、学生の足元を見て無茶苦茶なシフトを組みますけど、要領のいい子はちゃんと逃げているはずです」

「なるほど……つまり、ちゃんと探せばあるはずと……そういうことですね?」

「はい。もっとも……事務仕事が得意な子に営業しないと駄目な仕事をさせるのは酷ですし、しゃべるのが得意な子に黙ってパソコンを触らせるのもつらいので、早川さんの得意分野で空いている仕事があればいいんですけど」


 この辺りは、どこもかしこも適正があるのかないのかって話になるのかな。

 俺たちは話し合いの末、この辺り一帯のバイト募集を確認することとなった。一部は情報サイトに提示もされていないんだから、本当に自転車で走ってバイトの募集要項を確認するという作業だけれど、なにもしないよりはマシだろう。

 なによりも、早川さんに早めにあのバイトを辞めさせたほうがいいだろう。いくらお金が手に入っても、バイトと勉強以外ができる環境にならなかったら、いろんな意味でまずいんだから。

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