偽夫婦、挨拶回りしました

第1話

 事務所であれこれと書類をもらい、仕事内容を教えてもらってから、いよいよ俺と白羽さんは寮に引っ越すこととなった。

 寮の名前は青陽館せいようかん。レンガ造りの大学を先に見ているから、てっきり似たような雰囲気のところなのかと思っていたら、意外なことに昔懐かし日本家屋であった。


「あのう……荷物、すごいですねえ?」


 青陽館を見上げている俺の隣で、白羽さんは意外なものを見る目で見てくる。

 俺の持ってきたカートには段ボールが三つほど積んである。段ボールにはギチギチに本が詰め込まれていた。中古書店だと安く買い叩かれそうだが、前にネットで値段を確認したらどれもこれも今だと一万円はくだらないほどに価値が高まってしまっている。ファンタジーの資料に年代別怪談集、都道府県別郷土料理の本まで、原稿では一ページしか使ってないようなところも確認のために必死で資料を探し回って言質を取ってから書いていた。


「あー……資料です。処分するにはあまりに惜しいものを厳選に厳選を重ねて持って来たんですけど、それでも多くって。あまりに部屋が狭くなる場合は、大人しく倉庫を借りますから」

「い、いえ! むしろ私はそこまで荷物ありませんから、お気になさらず!」


 更にリュックサックひとつ分に生活用品を持ってきた俺と比べれば、着の身着のままでカートひとつ分しかない白羽さんに荷物は、たしかに少ない。

 今日は引っ越しのためか、彼女は会うたびにずっと着ていたリクルートスーツではなく、細身のデニムにトレーナー、スニーカーというシンプルないで立ちに、髪はひとつに括っていた。正直そっちのほうが白羽さんには似合っているなと俺は思う。

 俺はどっちみち引っ越しで荷物を片付けないといけないからと、スポーツジャージで来ていた。


「それじゃ、管理人室に荷物を運びましょうか」

「そうですね」


 俺たちはそれぞれの荷物を携え、管理人室へと目指す。

 日名大の大学寮での仕事は、思っている以上に楽そうだった。賄いを出さないといけないからと、事務所から送られてくる材料での賄いづくり。青陽館の共用箇所の掃除に洗濯。あと細々とした仕事だと指示されていた。

 そこまでだったら、ひとり暮らし歴もそこそこ長いから大丈夫だろうと、そう高を括っていた。

 俺たちは管理人室にやってきて、思わず「わあ……」と声を上げる。

 普段はここで生活すると言われた部屋は、黄ばんで毛羽立った畳に、座卓、棚もかなり小さめで、俺が持ってきた資料や白羽さんが持ってきた生活用品一式を置いたら、もう手狭になってしまうようなスペースしかない。

 玄関を眺められる窓にはブラインド。多分玄関から帰ってきた学生と話をするときは、ここを開閉するんだろう。

 それにしても狭い。ひとりだったらともかく、これ本当にふたりで眠れるのかな。押入れを確認したら布団も一応ふたつあるものの、大丈夫なのかと心配になる。


「あの……白羽さん。部屋すっごく狭いですけど、大丈夫です?」


 おずおずと彼女に聞いてみると、白羽さんは意外なほどに目を輝かせていた。


「すごい……! 久しぶりです、布団があって、寝返りが打てるくらいの広さの場所は」


 ……そうだった、この人この間までネットカフェで生活していたから、布団が敷けて横になれるんだったら、ほとんどの家はそこよりはましなんだ。彼女の苦労を思うと、俺の文句がただのわがままに思えて情けなくなる。

 とりあえず、棚に銘々持ってきたものを片付ける。やがて白羽さんがなにかを持ってきていることに気付いた。

 彼女の持っていた生活用品ではなく、手提げの紙袋にお菓子が入っている。


「あのう、それは?」

「ええっと……私も社寮に住んでましたから、消え物を引っ越し祝いとして配るんだったら邪魔にならないかなと」

「ええ……学生にそこまでする必要って……」


 正直、これから学生の世話をするのはこっちのほうだし、寮の管理をするだけなんだから、わざわざコミュを取る必要があるのかなと思ったけれど。

 でもあっさりと白羽さんは言う。


「だって、それぞれの寮にどんな子が住んでいるのか知らないと、困りませんか? 今の子って割とデリケートですから、なにが地雷でなにが好きかは確認取ったほうがいいかなと。そうじゃなくっても、これから共同生活を送るんですから、知らない人と住むよりも、顔見知りと住んでいたほうが、まだましではないですか?」

「そういうもんなんですかねえ……?」


 正直、高卒で大学には行ったことがないから、白羽さんの持論がよくわからない。でも社寮に住んでいた白羽さんは大きく頷く。


「好き嫌いはあるかと思いますけど、自分は敵ではありませんってアピールすることは、悪いことではないと思うんです」

「あー……それだったら、ちょっとはわかります」


 そりゃ仕事関係でなにかとトラブルに巻き込まれたとしても、実際に会ったことのある人とメールや電話のやり取りしかしたことない人だったら、心証はがらっと変わってくる。その辺りは年齢や業界は変わらないらしい。

 白羽さんは持ってきていた首に引っ掛けるタイプのエプロンを付けると、俺と一緒に寮の廊下を歩きはじめた。

 廊下はつるつるしたフローリングで、思っている以上にきちんと掃除が行き届いているんだなと感心する。早速手前の部屋から挨拶しようと、戸を叩いて挨拶をした。


「こんにちは、今度からお世話になる管理人の黒林です」

「はあい」


 ハスキーな声が聞こえたかと思うと、出てきたのはショートカットの子だった。年齢はまだ二十歳を行っているか行ってないかかなとわかるけれど、すっきりとした顔立ちにダボダボとした体のラインの出ないトレーナーにパンツで、性別がいまいちわからない。


「こんにちは、青陽館の寮監を務めています琴吹ことぶきみつるです。話聞いていましたけど、あなた方が新しい管理人さんですか?」


 名前、性別までもがユニセックスで、どちらかよくわからなかったけれど、白羽さんはにっこりと笑って「はい、そうなんです。こちら皆にお菓子を配ろうと思っているんですけど」と言いながら紙袋を差し出すと、琴吹さんは「ありがとうございます!」と丁寧に礼をした。礼儀正しい子らしい。


「ええっと……自分たちもここに赴任してきたばかりなんですけれど、寮監って具体的にはなにをしているんですか?」


 我ながら素っ頓狂が過ぎるんじゃないかと思うことを尋ねてみたけれど、琴吹さんは特に馬鹿にすることもなく、快活に「そりゃわかりにくいですよね!」と言った。


「一応ここに住んでいる子たちのお悩み相談をしています。管理人さんたちに投げるほどでもないことは、こっちでちゃちゃって解決しちゃったほうが早いかなと」

「はあ……そんな俺たちに相談しないといけないようことって、ありますかねえ……?」


 こっちとしてみれば、青陽館の手入れさえしていればいいかなと思っていたから、学生のほうから相談が来るとは思ってもおらず、意外な声を上げる。

 それに琴吹さんは苦笑する。


「あー……さすがに自分も、保護者呼ばないといけないような問題にはなかなか関われませんし。ええっと、ここら辺一帯を歩いてみてどうでした?」

「ええっと……?」

「大学の近くですけど」


 そう尋ねられて、俺は白羽さんと顔を見合わせる。

 白羽さんは「ええっと……」と天井を見上げながら、指を数えはじめた。


「コンビニやお弁当屋さんが多い感じでしたよね。あと喫茶店も結構ありましたし、看板を見た限りだとスーパーもありましたから、生活するのに結構困らなそうです」


 そこまで見ていたのか。ここで働くぞと、それしか考えていなかったから、白羽さんほど道を見ていなかった。俺が「全然気付かなかった……」と声を上げると、琴吹さんは頷いた。


「はい、この辺り一帯、日名大の生徒の独り暮らし用に街並みが整えられているんですよ。ですから、今は寮に入っている子って少な目ですね」

「ええ……じゃあ、どうして琴吹さんは……?」

「うーんと、ひとつはここの家賃とか賄いとかが大きいって感じですかねえ。家賃さえきちんと払っておけば、お風呂と食事と寝床は確実にあるっていうのは、ありがたいです」


 それはわかる。住居を失くしかけた人間にはものすごく。隣の白羽さんも「それはかなり重要ですね」と頷いている。琴吹さんは続ける。


「でもここだったら、プライバシーはあってないようなもんですから、ひとりになる時間が必要な人にとっては困るかもしれないですね。そのせいもあって、今はうちの寮に住んでいるのは女子ばかりですし」


 うーん、たしかにひとりでいるのが好きってタイプには、誰かの気配を常に感じるっていうのはしんどいのか。でもここにいる子たちは、それでもここに住んでるんだなあ。

 俺はふんふんと頷きながら考え込んでいると、おずおずと白羽さんが尋ねる。


「だとしたらここにいる子たちに、いきなりお菓子を持って挨拶に行くのは難しいでしょうか?」


 あれ、そんな話をしてたっけ。俺は琴吹さんが言っていたことを思い返すものの、よくわからないでいると、琴吹さんは笑う。


「自分が皆に配っておきますよ。任せてください!」

「じゃあ、お願いしますね」

「もしここの寮生で困っていることがあったら相談してください! 自分も頼らせてもらいますから!」

「はあい」


 そうやり取りをして、琴吹さんに残りの引っ越し祝いの品を差し出すと、そのまま管理人室へと戻っていった。

 俺は管理人室に戻ってから尋ねる。


「ええっと……話を聞いてても、ちっともわからなかったんですけど。どうして琴吹さんにお菓子を全部任せる形になったんでしょう?」

「ああ。琴吹さんも言葉を濁していましたもんねえ」


 白羽さんは、事務所からもらってきた管理人の指導書ファイルを座卓に広げながら答える。


「ここの寮の家賃、かなり安いんですよね。格安の家賃で二食賄い付きお風呂付きって、少なくとも独居生活する上じゃ破格レベルです」

「でもここ、あんまり寮生いないみたいでしたけど……?」

「学生用アパートって、学生料金で割と安いところ多いんですよね。中には大学がアパート一棟借り上げてくれて、かなりお手頃な料金で借りれたりしますから。かなり安い値段で賄い付き共同生活を送るか、安い料金で自炊して好きなように独り暮らしを満喫するかで、どっちのほうが得かって話です」

「なるほど……」


 その辺りはちっとも考えが及ばなかった。あれ、でも。


「だったら、今住んでいる子たちは全員、お金がないからとか、勉強に集中したいから、とかですかねえ?」

「もちろん、それもあるかもしれませんけど」


 白羽さんはざっと指導書に目を通している。

 もうちょっとしたら、賄いのための材料が事務所から届けられる。それを受け取って、定時に料理をしておくのも仕事の内だ。


「訳アリなんだと思いますよ。皆年頃ですから、いろいろあるんだと思いますよ」

「はあ……あのう、俺。本当に大学生活とか送ったことないんでよくわからないんですけど、そういうのに管理人って、なにかしないと駄目なんですかねえ?」


 お悩み大学生にアドバイス! みたいなことができるほど、いい人生を送った覚えがなく、そういうのを求められてしまったらすごく困る。俺の疑問に、白羽さんは困った顔で笑う。


「今はそこまで考えなくってもいいんじゃないですか?」


 だといいよなあと、ひとまず置いておくことにした。

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