第3話

 管理人の仕事は、朝と夜に賄いを出して、風呂の準備さえしていれば楽勝だと思っていたのに。なかなか旨い話ってもんはないらしい。


「管理人さん部屋の電球切れた! 取り替えて!」

「えっ」


 高い棚に置いた物や電球の交換など、何故か俺が呼び出されては、台を持って右往左往とする。あと壊れたものを持ってきてはどうにかならないかと相談に来られたり、ネットが繋がらないからWiFiの様子を見てくれと呼ばれたり。

 思っている以上に細々とした呼び出しを受けて、最初の一週間は企画書をつくるどころか、ネタ出しのメモ書きすらままならない状態だった。


「管理人さんありがとう、本棚直してくれて」


 その日は寮生の部屋にお邪魔して、大工仕事をしていた。本棚の建付けが悪いとかで、修理をしていたのだ。アパートに住んでいたときから、本棚との格闘は慣れっこだったけれど、まさか全然違う業種で役に立つスキルとは思ってもみなかった。


「まあ、スマホ持っているんだったら、一部は電子書籍で読んだほうがよくない? 一応棚は直しておいたけど、重いもん並べたらまた壊れるかもよ」

「教科書とか参考書しか置いてないですよぉ。それにテストのときに電子書籍だったらカンニングを疑われて持ち込めないじゃないですかあ」

「あー、なるほど」


 大学のテストだったら、教科書や自分で書いたノートは持ち込みOKだけれど、パソコンやタブレットの持ち込みは未だに禁止らしい。難しい。

 大工道具を持って管理人室に戻ると、ちょうど共同スペースのものの洗濯を終えた素子さんが戻ってきた。

 彼女はというと、青陽館で働きはじめて一週間で、どんどんと元気になっていっているのがわかる。元々女子とほぼしゃべったことがないから、疲れてぐったりとしている俺とは違い、ここに住んでいる子たちとしゃべるたびに彼女の表情はどんどん明るくなり、初めて出会ったときに見せた暗い途方に暮れた顔は、俺の気のせいだったんじゃと思わせるくらいに、彼女は溌剌としてきていた。


「お疲れ様です、修理終わりました?」

「そんな俺が行くほど大したことでもなかったんで、ちょこちょこっとしただけなんですけどねえ」

「うふふ、本当にお疲れ様です。ところで、亮太くん食堂の食事ひとり分持っていきましたか?」

「ええ?」


 それに俺はきょとんとした。

 思えばここで働きはじめて一週間、ずっと妙なことが続いている。

 朝と夜、いつも必ずふたり分食事が余っているのだ。

 ひとつは琴吹さんが謝りながら持っていくから、なにかしら事情があるんだろうけど、そこまで俺たちが踏み込んでいいのかどうかがわからずに静観している。問題はもうひとつだけれど。

 一応寮の規約を確認してみたら、門限までに帰ってこられない、大学に泊まらないといけない場合は管理人に連絡を入れないといけないらしいが、そんなのを受けた記憶がない。一応裏道として寮監が管理人に口出しをしたら、届けを出したとみなしてこちらも処理をしているけれど、こう一週間も見ていないと、その子大丈夫なのかと心配になってくる。

 で、そのひとり分の食事がなくなっていたと。


「俺と素子さんが管理人室から離れている間に、全然帰ってきてない子が帰ってきたんですかねえ」

「だといいんですけど……でも心配ですよ、一週間も音沙汰なしって。そりゃ取っている授業やゼミによっては、一週間泊まり込みしないと終わらないものもあるんですけど、それにしても全然連絡が入らないのは……」

「単純に、彼氏や彼女のところに泊まっていたっていうのは?」


 大学生だったら、それこそコンパだってあるだろうしと、行ったこともないキャンパスライフを想像しながら言ってみると、素子さんは少しだけ眉間に皺を寄せて、ぷるぷると首を振った。


「琴吹さんも言っていましたけど、ここに住んでいる子たちはなにかしら持っているんだと思いますよ。そもそも彼氏彼女をつくるタイプの子は、寮生活には向いてないですよ。ここだったら大きな秘密はつくりにくいです。部屋も個人部屋の子はほとんどいないですしね」

「まあ、たしかに……」


 ほとんどの部屋はふたり部屋であり、角部屋だけ個人部屋だ。

 知り合いに聞かれたら困るような電話だったら、外でしない限りは筒抜けだし、ひとりになる時間が必要なタイプの人間にとっては生きにくい場所だろう。

 いくら家賃が安いとか、朝と夜の賄いが付いてくるとか言っても、共同生活に向いてない人間にはつらいんだろうな。俺も住居がなくなる危機に瀕さなかったら、共同生活ができたとはとてもじゃないが思えないし。

 でもそうなったら、なんでひとり全然帰ってこられないんだという話にもなる。

 まあ、考えてもしょうがないか。あれこれとやっていたら、既に昼になっていた。


「あー、そろそろ俺たちも食事にしましょうか。どうします? 今日は俺がつくりますか? 素子さんがつくりますか?」


 寮生に出す食事は朝と夜だけだから、昼間は基本的に食堂を開放し、自分たちで買ってきた材料でつくるなり、外で食べるなりを推奨している。

 俺たちは基本的に食事は管理人室でつくって食べているけれど、ときどき食堂の様子を見に行って、食事をつくる時間までに綺麗にしておかないといけない。もっとも、そこまで台所を汚くするような料理をつくっている子たちには会ったことがないけれど。

 素子さんは「ええっと」と言う。


「それじゃそろそろ卵食べてしまいましょうか。親子丼でいいですか?」

「あ、食べたいです」


 備え付けの冷蔵庫から鶏肉と玉ねぎを取り出し、玉ねぎの皮を剥き出した素子さんを眺めつつ、俺は食器棚から器を探そうとして、ここにはちょうどいい器がないことに気付く。


「ええっと、食堂の様子見がてら、向こうから器取ってきていいですか?」

「あら、ありませんでしたっけ」


 素子さんは少し小ぶりのボウルを指さした。……素子さんの腹にはちょうどいいかもしれないけど、俺には少し物足りない。


「じゃあ俺の分だけ取ってきますよ」

「ごめんなさいね、お願いします」

「いえいえ」


 素子さんに首を振りながら、俺は食堂へと足を運んだ。

 女子の気持ちがわかるようになったとは言わないけど、女子はこっちが思っている以上に力がないし、食事も食べない。最初はダイエットとか考えているのかなと思っていたけれど、単純に男よりも早くに成長期が来て終わっているせいで、十代の頃よりも食べないだけらしい。

 性別が違うとこうも違うのかと、ひとりで感心しながら食堂に入る。

 昼ご飯にパスタでも茹でていたらしく、ミートソースの匂いが漂っている。既に食器や鍋は洗ってシンクに立てかけてあったけれど、匂いだけはどことなく残っている。外で食べるよりも皆で割り勘で材料買って茹でたほうが安いのかなと、そう納得しながら食器棚からどんぶりを探して取り出していたとき。


「あ……」


 ちょうど俺がどんぶりを取ったとき、食堂の入口に女の子が立っていた。

 小柄で伸びた髪をひとつに縛っている子だった。トレーナーにスラックスと、ここの寮生だと珍しくない簡素な格好をしている。でもこの一週間で寮に住んでいる子とはあらかた会ったはずだけれど……そこで思いついたのは、今朝なくなっていた、ひとり分の食事。

 ずっといないと思っていた子か。


「ああ、こんにちは、ここの子? 俺は……」

「ふ、不審者ぁぁぁぁぁぁ……!」


 その子は声を裏返らせて、大声で悲鳴を上げた。

 って、なんで初めて会った子に不審者扱いをされているんだ!? 俺は慌てて「なんでさ!?」と叫んだものの、俺を不審者扱いした子は、パニックを起こして、持っていたトレイと一緒にしゃがみ込んでしまった。

 それにドタドタと寮に残っていた子たちや、素子さんが走ってきた。


「ちょっと、どうかした?」

「し、知らない人が……食器を漁っていて……」


 その子は小動物のようにプルプル震えていたら、走ってきた中に混ざっていた七原さんが俺とその子を交互に見比べて「あー」と言う。


「ああ……新しい管理人さん?」

「え……?」

「ほら、春先に新しい管理人さんに入れ替わるって言っていたでしょ。ことぶっちゃんからお菓子もらったよね?」

「えっと……本当に、管理人さ……?」


 座り込んでしまった子に、俺はどうしたものかと、見に来てくれた素子さんに助けを求める。素子さんは慌てて座り込んだ子と一緒の姿勢になって言う。


「ごめんなさいね、驚かせてしまって。私は白羽素子、あちらは黒林亮太くん。先週から管理人やっています。初めて会ったから、びっくりしちゃったんでしょう? 立てる?」

「あ……本当に、管理人さんたち……ご、ごめんなさ……私、本当に久しぶりに帰ってこられて、朝食ひとつ持って帰って食べてました……食器を返しに来て……」


 そこまで言い切ったあと、グゥー……と大きく腹の音が鳴った。途端に彼女は顔を真っ赤にさせた。


「すみません……帰ってきたばっかりなのに……あとでコンビニに……」


 帰ってこられなかったっていうのも気になるけど、こんなお腹空かせている子を放置っていうのもなあ……。他の子たちに任せようかとも考えたけど、七原さんは手を合わせている。


「ごめんねえ、はやかわちゃん。もうさっき食べ終わっちゃったんだよ。早めに言ってくれたら残してたのにぃ」

「わ、べ、別にいいよ。すぐコンビニに走って……」


 うん、こりゃ駄目だろ。俺は素子さんに振り返って聞いてみた。


「ええっと、素子さん。俺らこれから昼食ですけど、一緒に呼んでもいいです?」

「まあ、そうですね。よろしかったらいかがですか? ええっと……?」


 彼女は本当に縮こまっていた。

 しかし、まあ……一週間も帰ってこられなかったってどういうことなんだろう。素子さん曰くゼミでも一週間も連絡がないのはおかしいって言っていたし。

 俺がまじまじと眺めていたら、彼女はようやく口を開いた。

早川はやかわ……さちです」

「はい、早川さんね。それじゃ行きましょう。すみません亮太くん、器もうひとつ追加お願いします」

「あ、はい。君ら、もう問題ないから、帰っていいよー。解散解散」


 そのまま手をパンパン叩いて、集まった子たちを帰らせる。まあ納得したようで、バラバラと部屋に戻るなり、食堂を突っ切って団らん室に向かうなりして散っていった。

 俺はどんぶりをもうひとつ追加して、素子さんと早川さんと一緒に管理人室へと向かう。管理人室ではだし醤油で炊いた玉ねぎと鶏肉がいい匂いを放っていた。


「それじゃさっさとつくりましょうか。亮太くん、器にご飯入れてください」

「はい。あ、早川さん。ご飯はどんぶりで大丈夫だったかな?」

「えっと……どんぶりで、お願いします……すみません」

「いやいや」


 ずいぶんと腰が低いというか。寮に住んでいる子たちはよく言えば人懐っこく、悪く言えば比較的図々しい子が多かったから、彼女みたいに腰が引けた態度は妙に新鮮だった。

 炊飯器の中からご飯を盛って素子さんに渡すと、素子さんは卵で割った鶏肉と玉ねぎをだしごとたっぷりとかけてくれた。

 座卓に座布団を引っ張り出して、三人で手を合わせて食べはじめる。

 俺たちは細々とした仕事をした後だったけれど、早川さんは朝食を食べたばかりにも関わらず、ガツガツと食べはじめる。最近は食の細い子ばかり見ていたせいで、こうも気持ちよくたくさん食べる子を見るのは新鮮だった。


「あんまり早く食べ過ぎて、喉詰まらせないでね」


 心配した素子さんが電気ポットでお茶を淹れてくれたが、湯呑にお茶が入る前に、早川さんは親子丼を食べ終えてしまった。


「……ご馳走様です。本当に久し振りにいっぱいご飯が食べられました。あの、器洗って片付けます」

「いや、俺たちが食べ終えたら洗って持っていくから、流し台に水張ってくれたら」

「……ありがとうございます」


 しかしこれだけ腹減らしていたのに、ちゃんと食べてなかったってどういうことだ。一週間も音信不通だったのも気にかかるし。

 俺はどうしようと素子さんを見ると、素子さんは頷いて流し台に水を流す早川さんに尋ねる。


「でも一週間も音信不通なのは心配しますからね。琴吹さんが無事を保証してくれたから、一応問題なしということにしていましたけど。本当に一週間もどうしていたんですか?」

「あ……すみません、次からは、帰れないときはきちんと連絡して……」


 途端にみるみる目尻に涙を溜めはじめる。おいおい……。


「ああ、別に早川さんを怒っている訳では。でもちゃんと外出理由をなあ……!」


 一応仕事である以上は、話を聞く義務がある。あんまり無法地帯にしていても、他の寮生にも悪影響があるだろうし、寮生の問題を全部琴吹さんに丸投げする訳にもいかないから。

 俺と素子さんがあわあわしていたら、空気を読まずに電子音が響いた。俺のスマホの通信音ではないし、素子さんも驚いたようにきょろきょろとしたところからして、彼女のスマホの音でもないらしい。

 そのスマホは早川さんのものだった。


「あ……すみません。ちょっと出ますね……」


 慌てて早川さんがスマホに出ると、さっきまで真っ直ぐに伸びていた背が自然と丸まる……あれ?


「はい……はい……これから、ですか? ええっと……はい、大丈夫です。はい、わかりました」


 そのままスマホを切ると、早川さんは申し訳なさそうにこちらに振り返った。


「すみません……呼び出しを受けましたので、これから出ます……」

「呼び出しって。これからサークルとかゼミ?」

「いえ……その……アルバイト先です。本当はシフト外だったんですけど、人手不足みたいで。行ってきますね。ご飯ご馳走様です」

「あ、おい……!」


 そのまま早川さんは慌てて外を出て行ってしまった。窓の向こうを見ると、青陽館を急いで出ていく彼女が見える。

 バイトって、そこまで大切なもんかね。たしかに人生には金が必要だけれど、早川さんはまだ学生だろ。そこまでガツガツ金を稼ぐ必要ってあるのかな。

 俺が呆然と見ていると、素子さんが顔を曇らせて窓を見ている。


「あのう……早川さん行っちゃいましたけど、いいんですかねえ?」

「あんまりよくないと思います。一週間も家に帰ってこられないのは異常ですし……なにかバイト先でトラブルになってないといいんですけど」

「ええ……っ、あんな真面目そうな子が、トラブルですか……?」

「というより、真面目な子の勤勉な性格に漬け込んで、サービス残業を押し付ける企業は存在しますから。時給で考えても、早川さんは働き過ぎです」


 そうだ、素子さんは元々学生面接にも関わっていた人だった。

 そうだよなあ。いくらなんでも、一週間ぶっ通しで働くのはやり過ぎだ。

 俺たちは食事を終えると、早川さんの帰りを待つことにした。

 昼間に呼び出しを受けたのだから、シフトを埋めるにしても夕方には帰ってくるだろうと思っていたけれど、なかなか帰ってこない。

 とうとうこちらも夜の食事をつくる時間になってしまい、規定分の食事をつくって待っていても戻ってこない。

 たまりかねて、またトレイをひとつ分持っていく琴吹さんに声をかけた。


「あのさあ、琴吹さん。少し話をいいかな? 聞きたいことがあるんだけど」

「管理人さん? いいですけど。トレイを持って行ってからでも大丈夫ですか?」

「うん、それで大丈夫だから。管理人室で」


 俺たちは管理人室に戻って自分たちの夕飯をつくりがてら、琴吹さんを待つことにした。

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