偽夫婦、肝試しを行います
第1話
蝉時雨が続いている。
ここで働きはじめてわたわたしている間に、気付けば季節は春から夏へと切り替わっていた。
最初はここに住んでいる寮生たちに振り回されて、あわあわとしていたけれど、ここに住んでいる子たちの性格や環境にも慣れ、そのおかげで仕事にも余裕ができてきた。
細かい仕事の合間を縫って企画書を書いた俺は、ようやく佐々木さんに送ることができ、連絡をもらった。
今はちょうど朝の仕事が終わったところだから、こうして管理人室でスマホで電話をしている。
『くろばやし先生、お引越しされたんですね……』
「あはは……ちょっと前住んでたアパートが区画整理に巻き込まれたんで引っ越しました!」
『それは大変でしたね』
相変わらずクールな佐々木さんと世間話をしてから、いよいよ本題へと入る。
『ところで今回の企画書、またラブコメなんですねえ』
「あっ、はい。駄目だったでしょうか……?」
前に佐々木さんにさんざん駄目出しされた、女子の登場人物があまりにも薄っぺらいという問題。この数か月、素子さんや寮生と交流したおかげで、比較的前よりも結構女子が書けるようになったと自画自賛しているけれど。
佐々木さんの反応に緊張していたら、意外な言葉が返ってきた。
『なんだか不思議な話ですよね。寮の管理人になった主人公が、寮で起こるトラブルに対処するドタバタものっていうのは、一時期手垢がつくほどありましたけど。ここで管理人の相手役になるのは偽装結婚することになった女性なんですね。たしかに最近は大人と子供の年の差恋愛を書くのはなにかと問題あると止められるようになりましたけど』
「あ、はい……どうでしょうか……? さすがに寮生たちは全員高校生なんですけれど」
『……そこなんですよね、問題は。キャラクターも前はあまりにも舞台装置みたいな女の子ばかりだったのが一転、全員キャラが立っていますし、話自体も面白いんです。ですけど、登場人物の年齢層が、うちのレーベル層にしては高めなんですよね。これが女性向けレーベルでしたら問題ないんですけど、うちのレーベルは男性中心ですから……どうにかして、主人公とヒロインの年齢を若返らせられませんか?』
その言葉に、俺は天井を仰いだ。
今までの佐々木さんからの塩対応に、耳が痛くなるほどのドストレートな苦言から比べると、大分感触はいい。でもここに来て、キャラの年齢問題が来たか。たしかに主役が十代なレーベルで、二十代三十代の主人公は倦厭されがちだしなあ。
「わかりました……ちょっと考えさせてください」
『お願いします。ただ、本当にキャラクターの年齢問題さえクリアすれば、どうにか周りを説得して企画会議にかけますから。頑張ってください』
この佐々木さんの言葉、いったいいつぶりだろう。俺は少しだけジィーンと胸が熱くなるのを感じながら「頑張ります……」と言って、打ち合わせは終わった。
どうしたもんかと考えていたところで、「ただいまー」と素子さんが帰ってきた。
素子さんは素子さんで、管理人の仕事で入ってくるお金で少しずつ貯金をしながら、仕事の傍らで、通信教育で資格勉強をはじめていた。今は課題をポストに入れに出かけていたのだ。
Tシャツに八分丈のデニムと、比較的涼しげな格好だ。俺は俺で、シャツにジャージのパンツといういで立ちだから、似たようなもんだけれど。
「お帰りなさい。俺も仕事の打ち合わせが今終わったところです」
「あはは……お疲れ様です。亮太くん、新作は書けそうですか?」
「あー……あと一歩だったんですけどね。もうちょっとだけ企画書を直して欲しいと」
「そうなんですねえ。でも没ではなく修正でしたら、あと一歩ですよね。頑張ってください!」
そう元気に励ましてくれるのに、こちらも自然と口が緩む。
もし完全に調子に乗っていた頃の俺だったら「うるさいわ、口でだったらいくらでも頑張ってと言えるわ」くらいには逆ギレしていただろうけど、今の俺はそんな気は全くない。
素子さんはライトノベルに対して全く触れたことがなかった人だけれど、俺が管理人室に持ってきていた前に出した本を読んでくれたのだ。最初は物珍し気に読んでいたものの、最終的には目を腫らすくらいにベチャベチャに泣いて「面白かったです!」と言ってくれたのを聞いたら、決してお世辞や励ましで言った言葉じゃないってわかる。
俺が小説家になったのを知っている友達とも、首が回らないほど原稿で忙しかった頃と大学進学が重なったせいで疎遠になったし、今は本当に新刊が出てない関係で出版社のパーティーにも参加していないから、作家仲間とも会ってないしなあ。こうやって読者の声を生で聞けることのありがたさってすごい。
俺たちふたりが偽装結婚していることはなんとなくバレないまま、ここまで過ごせてしまった。素子さんが貯金がある程度貯まって再就職が決まり、俺の新作が軌道に乗って新シリーズがスタートしたら、偽装夫婦も解散予定だけれど。
社会経験がほぼない俺にとって、素子さんの社会人的な常識をひとつひとつ教えてもらえるのは心地がいいし、本を読んでくれるのは気分がいい。素子さんは素子さんで、俺が普通にしたこと……家事の分担だったり、重い荷物を運んだりすること……をひとつひとつを大袈裟なくらいに喜んでくれている。それがなんだか気持ちよくなってしまいつつある。
この偽物の関係がだんだん居心地よくなっているのは、まずいよなあ……。
俺がひとりでそうぼんやりと考えていたところで。
「キャァァァァァァァァ……!」
廊下から衣を裂いたような悲鳴が聞こえた。この声は七原さんだ。
「ちょっと……どうしたんでしょ?」
「またなんかあったのかな? 行きますよ」
俺はおっとり刀で廊下に出たら、廊下で七原さんは顔を蒼褪めさせて、腰を抜かして座り込んでいた。ええっと……。
相変わらずラフな格好が定番の寮生の中でもおしゃれな七原さんは、カットソーにロングスカートと、涼し気ながらも可愛らしい格好をしながらへたり込んでしまっていた。
俺はおそるおそる早川さんの近くに立った。
「どうかしたかー? なんか虫が出たとか」
「ゆ、ゆ……」
「ゆ?」
ゆの付く虫なんていたかなと、ぼんやりと考えていたら、ガタガタ震えていた七原さんが、ようやく口を動かした。
「ゆう、れい……!」
「ゆうれい……幽霊?」
もう一度聞いてみると、早川さんは首をこくこくと縦に振った。
既に夕食が終わった時間だけれど。青陽館で幽霊が出るなんて話、聞いたことがない。そもそも春先にはそんな話なかっただろうに。
俺は七原さんが指差した方角を見るけれど、なにも見つからない。
「気のせいじゃないか?」
「そんなこと、ないしっ……! 最近ずっと、出るって話聞くからぁー!」
「ええ……それ本当に?」
七原さんはまたも無言で首を縦に振る。
おしゃべりで派手好きな子だけども、中途半端な嘘はつかないだろうし。
俺はもう一度天井を見たけれど、結局はなにも見えなかったし聞こえなかった。とりあえずこんなところで腰を抜かしていも駄目だろうと、七原さんを部屋に送っていった。
なんだろうな、女子のほうが幽霊のことを信じやすいのかな。でももし不審者だとしたら、今の青陽館は女子が多いから、問題大有りだろう。あんまりそういうのが続いたら、事務所にも相談したほうがいいよなあ。
俺は一旦その話を持ち帰ることにした。
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