偽夫婦、トラブルに対処します
第1話
風呂の準備を終え、あとは琴吹さんから事情聴取をして、早川さんが帰ってきたら今日の仕事はおしまい。
ようやく夕食が食べられると、今日の夕食当番の俺がガス台の前に立つ。ざくざくと残った野菜を細かく刻みはじめる。ひき肉と一緒に炒めてカレールーを入れればキーマカレーがつくれるから、楽なもんだ。
「早川さん帰ってきませんねえ、心配です。ブラックバイトに捕まってないか」
「ブラックバイトですか? ブラック企業は割と聞いたことあるんですけど」
この辺りの話はネットで噂は聞いたことあっても、いまいちピンと来なかった。素子さんはお茶を淹れながら言う。
「学生はフィールドワークと就職活動で、なにかとお金がかかりますから。その限られた時間の学生の足元を見てバイトをちらつかせるのが、今結構問題になっているんですよ」
「んー……俺にはそこがよくわからないんですけど。バイトが合わなかったら、すぐ抜けるとか辞めるとかってできないんですか?」
「そこなんですよね……最近はどこも余裕がなくて、バイトリーダーすらいない企業すらありますから、バイトにまともに教育を行ってないことが多いんです。つまり、長く働いて自力で覚えるしかない。その上、短期バイトとか、短大二年や大学四年みたいにすぐに辞めてしまうってわかっている学生を、企業が取りたがらないんです……そのせいで、どんなにブラックなバイトだってわかっていても、辞められない子が多いんですよ」
「それ……さすがにおかしくないですか? どこかに訴えたりとかは」
「皆が皆、そう頭が働けばいいんですけどねえ……追い詰められていると、なかなか助けを求められませんから」
そこまでかあ……。俺たちがここで働きはじめてから一週間、その間も早川さんにはブラックバイト疑惑がかかっていて、ずっと働き続けていたからなあ。
でもなあ……さすがに今まではどうにかこうにか誤魔化し続けていたけれど、早川さんが悪くないとはいえど、こうも門限破りを続けられていると、こちらも管理人として動かないといけなくなってくる……今のところは他の子たちからも苦情は出てないけど、それもいつまでかわからないしなあ。
そうこうしている間にキーマカレーができ、炊飯器のご飯をお皿にすくって、キーマカレーをかける。スプーンを持ってきて、ふたりでキーマカレーを食べはじめたところで、管理人室のドアが鳴った。
「どうぞー」
「失礼しまーす。あ、食事中ですか、すみません」
入ってきたのは琴吹さんだった。俺たちは「別にいいよ、呼び出したのはこっちだし。どうぞー」と彼女が靴を脱ぐ中、座布団を勧めた。琴吹さんは座布団の上でピンと背筋を伸ばして正座をすると尋ねる。
「それでええっと、自分に用事とは?」
「単刀直入で聞くけど、寮監として早川さんについてどう思う?」
俺が尋ねると、快活な彼女にしては珍しく、視線が宙に浮いている。
「……正直、まずいとはわかっていますけど、どう言ったものか測りかねてます。自分たち学生だと言いづらいみたいで。ただ、このまんまじゃ早川さん、単位は取れて大学卒業はできても、空いている時間を全部バイトにつぎ込んでますんで、体が壊れるんじゃと、そっちのほうが心配です……」
「あら、早川さん。大学にはちゃんと行っているんですね?」
素子さんは湯呑を三つ持ってきて、琴吹さんにお茶を出し、俺と自分の分の湯呑にも注いでいく。琴吹さんは「ありがとうございます」とお礼を言ってから、湯呑を手に取る。
「行ってますよ。大学の課題や小論文は全部図書館で済ませてからバイトに行ってますんで。自分も同じ授業取っているんで、なにかと話をしますし」
「んー……この辺りがよくわかんないんだけど。そこまでバイトしないと駄目なの? 実家に支援してもらうっていうのは……」
俺が口を挟んでみると、素子さんはやんわりと「亮太くん」とたしなめるような口調で黙らせてくる。今の、どこか地雷だったのか?
「さすがにこれ以上は、琴吹さんも聞きづらいかもしれないですね。わかりました、なら私たちから直接聞きに行きたいと思います。せめて早川さんのアルバイト先を教えてもらえないですか?」
「それはかまいませんけど。でもどうするんですか?」
「一度ちゃんと早川さん本人と話をしたほうがいいと思いますんで。琴吹さんもありがとうございます」
琴吹さんは困ったように眉を八の字にしたあと、スマホで検索して早川さんのバイト先を教えてくれた。日名大から自転車で十分くらい走った先にある、倉庫街だった。彼女のバイト先は、どうもその倉庫街にある配達センターのようだ。
琴吹さんが帰っていったあと、俺はキーマカレーをすくいながら尋ねる。
「どうするんですか? 向こうもお金に困っているんでしたら、乱暴に『ブラックバイトなんか辞めろ』と言っても駄目でしょう」
「ええ、わかっています。ただ、ブラック企業もなんですけれど、ブラックバイトで酷使され続けていたら、どんどん神経が擦り切れて、自分で逃げ出すって判断もできなくなりますから。せめてお金が必要な事情を聞き出して、他のバイトをできる道筋を用意したら、問題はなくないですか?」
「……管理人って、そこまでお節介する必要はあるんですか?」
俺がおずおず重ねて聞いてみると、素子さんは棚から仕事のファイルを取り出してきて、あるページをめくって座卓に置いた。
「【門限は午後十時までと定める。それに届け出がない場合が三回続いた場合、管理人権限を持って学生に退寮処分を迫らないといけない】……これって、絶対にしないといけないんですか!?」
「今入寮している子たちは、なにかと早川さんを庇ってくれていますから、こちらも琴吹さんの言動を持って不問にしていますけど、これ以上続くと他の子たちに示しが付きませんから……追い出すくらいでしたら、お節介を焼いたほうがずっと精神衛生上いいじゃないですか」
……それは、住むところを追われた者同士には、ものすっごくよく効く説得だ。たしかに住居がなくなるよりはずっといい。
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