第3話

 白菜はぶつ切り、白ネギは斜め切り、もやしは洗ってからザルにあげる。俺が野菜を切っている間に、素子さんはつみれをつくっていた。

 鶏ひき肉に卵を落として片栗粉、醤油、酒、生姜チューブを入れて捏ねる。

 鍋に入れた鍋の素を温めると、その中に出汁としてつみれを落として、白菜の茎を入れて、火が少し通ってから、食堂のテーブルにセットしたカセットコンロの上に持っていく。野菜もボウルに入れて持っていったら、皆めいめいそれを自主的に鍋に入れて煮はじめた。

 これだけ多い量の鍋の準備をしたことはないし、事務所から送られてくる食材は皆既に切ってあったから、こんなに野菜を切ったのも初めてだ。俺は腱鞘炎になりそうな手首に「うー……」と呻き声を上げると、素子さんは申し訳なさそうにこちらを覗き込んでくる。


「ごめんなさいね、野菜切るのを任せちゃって。私が切ったほうがよかったですかねえ」

「いやあ、素子さんにはつみれをつくってくれましたし。俺だったらつみれをつくるところまで気が回りませんでしたし」


 そう言いながら、食べはじめている寮生を眺める。

 皆元気そうだ。年末年始家に帰らずにここで過ごすということで不安だった子たちもいるだろうに、皆元気に鍋を食べている。


「みつる、アク取りはあたしがやるから、いい加減に食べたら?」

「うーん……出てたら気になっちゃうんだよね。アク……」

「はいはい」


 ずっと鍋のアクを取り続けていた琴吹さんは、舘向さんにお玉を取り上げられて、ようやく自分も鍋の中身をよそいはじめた。

 猫舌らしい早川さんは、鍋の具をよそってもなかなか食べはじめることができず、しきりにふうふうと息を吹きかけている。七原さんは自分のよそった分に七味を真っ赤になるまでかけていただいている。

 皆銘々食べはじめたのを見計らって、ようやく俺と素子さんも席に着いた。


「あー……アク取りは俺が交代するから、先に食べちゃってー」


 舘向さんからお玉を取り上げると、そのまま彼女を食事に戻してから、俺も適当にアクをすくってから、素子さんの分と俺の分をよそって差し出す。


「どうぞ、素子さん」

「ありがとうございます。すみません、私の分までよそってもらっちゃって」

「いや、俺のほうが鍋に近かったんで」


 そう言ってから、彼女がつくってくれたつみれを食べる。淡白な鶏ひき肉だけれど、出汁の旨味を充分に吸っているし、なにより食べるとふわふわに柔らかくて美味い。


「これ美味いです」

「あら、これ本当にひき肉を捏ねただけですよ? 味付けだってほとんど鍋の素任せですし」

「いや、それでも」


 俺がそう言って食べていたところで「そういえば」と琴吹さんが口を出す。


「おふたりって婚約してらっしゃいますけど、まだ籍は入れないんですか?」


 琴吹さんのひと言に、一斉の寮生の視線が俺と素子さんに集中する。それに俺と素子さんが顔を見合わせる。

 ……まだ保留中だからなあ。これは言い訳を並べたほうがいいのか、すぱっと話題を変えてしまうべきか。どっちのほうが嘘くさいんだろう。

 俺がひとり悶々と考えていたら、素子さんはにこにこと答える。


「私の奨学金の返済がまだ終わってませんから。奨学金返済が終わり次第、ですかねえ」

「えー……借金片付けないと駄目なんですかぁー?」


 七原さんが不満げに唇を尖らせると、周りも「ねえ」とブーブー文句を言ってくる。いやいや、もうそれで納得してくれよ。無茶苦茶それっぽいいい訳じゃないか。

 俺がそう思っているものの、素子さんは普通に鍋の汁をすすってから答える。


「だって借金を背負って結婚したら、その借金はふたりのものになっちゃうじゃないですか。結婚するってことは、財産を共有することです。それはお金だけじゃなくって借金もですよ。相手に取らなくていい責任を取らせることは、よくないです」

「素子さん……」


 これは口から出任せだってことは、俺がよく知っている。俺も素子さんも互いの素性も管理人になりたい理由も話し合った上で、事実婚ということになっているのだから。

 わかっているはずなのに、それでも言われたことにただ嬉しくなった。

 俺が素子さんを見ているのに、周りが勝手に肩を竦めた。


「あー……無茶苦茶骨抜きになってるんだったら、なんの問題もないですよねえ」

「ねー」


 何故か皆、示し合わせたように言い出す。なんなんだ、君らは。


「そこまで俺たちのことに関心があるとは思ってなかったけど」


 俺がそう言ってみると、またも寮生が顔を見合わせる。意を決して口にしたのは、早川さんだった。


「そ、そんなことないですよ。管理人さんたちには感謝していますし」

「そうそう。私たち、前は結構口やかましい管理人さんだったり、放置プレイ食らったりで、頼りにならないことが多かったから。今は割と居心地いいですよ」

「ええ、そうですね。単位が足りているから、行く必要もないのに大学に行けと部屋から追い出されかけたこともありますしね」


 皆が皆、次々と口に出してくれる。それに俺と素子さんは顔を見合わせた。

 本当に住むところ目当てではじめた仕事で、こんなに感謝されることになるとは思っていなかった。読者からはファンレターをもらうことだって滅多にないし、編集さんとは数か月に一度連絡があればいいほうで、そんな直接会って褒められたり感謝されるようなことはまずない。

 こういう風に感謝を口にされたことなんて、いつぶりだろうなあとしんみりしてしまった。

 俺はどうにかこの感動的な空気を壊したくて、パンパンと手を叩く。


「ほら、これ以上鍋の素に火をかけたら、汁が煮詰まるからさっさと食べ終わっちゃって。あ、〆におじやを食べたい人にはご飯出すから、欲しい鍋のところは手を挙げてー」

「あ、ごめんなさい。自分が場の空気を変えちゃって」


 琴吹さんが謝るのに、舘向さんは小突く。


「別にみつるは悪いことなんて言ってないでしょ」

「そうかもしれないけど」

「あーあー、喧嘩はやめなさい。とりあえずご飯欲しい人―」


 パラパラと手が上がったので、冷凍庫に入れているご飯を電子レンジでチンしに立ち上がる。

 来年のことを言ったら鬼が笑うとは言うけれど。実際この子たちはまだ卒業しない年の子たちばかりだから、来年もこの子たちを見守ることができればいいけど。

 期間限定の仕事のつもりだったのに、少しだけ名残惜しくなっている自分に、気付くことができた。

 俺がご飯を持ってきて「はい、欲しいとこ取りに来てー」と言って配っていたところで、七原さんが窓のカーテンを開けていた。鍋のおかげで比較的暖かくなっていた部屋がほんのりと冷える。


「あー、寒いと思ったら雪降ってるー」


 七原さんが窓の外の結露を指で拭き取って指差したのを、俺たちも眺めた。たしかに白いものがパラパラと降り注いでいた。

 今年は慌ただしかったけれど、来年はどうなっているのかなと少しだけ思った。

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