第3話

 どう見てもどこかのホラー映画の看板キャラクターを思わせるいで立ちだが、幽霊にはないはずの影が、しっかりとその子からは伸びていた。足だって普通にある。スリッパを履かずに裸足なのは気になるが。

 舘向さんは青陽館の名簿に名前こそ載っていたものの、ここで働きはじめてから一度もその姿を見たことがなかった。食事は全部琴吹さんが持って行っていたけれど。ここまでステルス決め込んでいた子が、どうしてこんな時間に歩いているのか。

 舘向さんはぼんやりとした顔でこちらに振り返る。日焼けしていないし顔色ははっきり言ってあまりよろしくないが、鼻のラインといい、くっきりとした眉といい、綺麗な顔立ちの子だ。


「……ああ、みつるが言っていた、新しい管理人さん。こんばんはー」


 抑揚がない口調というか、パンをちぎっているテンポというか、とにかく捉えどころのない口調でこちらに挨拶を投げかけてきた。

 みつる……ああ、琴吹さんの下の名前だと思い至った。


「こんばんは……ええっと、君はどうしてこんな時間に?」

「久しぶりに肝試しをしていたんです……皆不気味がって夜になったら部屋に籠もってしまってもったいない……誘ったんですけど、誰も付き合ってくれなかったので、あたしひとりでしていたんです」


 さっきよりもやけに饒舌なのは、好きなことになったら饒舌になるオタクと近しいものがあるなと思いつつ。俺も注意できる人間ではないけれど仕事だしなあと、ゴホンと咳払いする。


「ええっと、既に消灯時間は過ぎてるから、部屋に戻りなさい。しかも裸足でうろうろしてたら駄目でしょ」

「あら、ルームシューズやスリッパを使わないと寮内を歩いちゃ駄目って寮則はありましたっけ?」

「……ないけど、でも消灯時間はあるから」


 舘向さんはあからさまに嫌そーうな顔をした。この子、抑揚のない口調だけれど、意外とわかりやすいぞ。

 俺は呆気に取られていたら、「まあまあ」と素子さんが間に入ってきた。


「部屋にずっといた子が、こうして夜だったら外に出ていられるんです。いいじゃないですか。ずっと部屋にいるよりも健康的ですよ」

「そうかもしれませんが……」


 ふたり部屋にいるのと、寮内をうろうろしているじゃ、あまり変わらないような気もするけれど。そもそも、日の光のない夜にうろうろしているのは、健康的なのか。

 素子さんの取りなしに、舘向さんは目を輝かせている。


「じゃあ、肝試しに同行してもいいですか?」

「うーん……」


 そりゃ素子さんは別にいいとは言っているものの。管理人がお目こぼしできる寮則だったら黙認するけれど、そんな目の前で破られてもなあ。

 俺が渋っていたら、素子さんは再び取りなしてくる。


「亮太くん、亮太くん。いいじゃないですか。管理人たちの監督の元に同行しているなら、不問のはずですよ。私たち、一応そういう権限は与えられていますし」


 まあ……本当に舘向さんはこの辺りをうろうろしていただけで、なにかしら寮生とトラブルを起こしている訳でもなさそうだし、いいのかな?

 俺は困った顔で舘向さんに言った。


「ええっと……それじゃあ肝試しは付いてきてもいいけど、ひとりで勝手にうろうろしない。ただでさえ、このところ幽霊の目撃情報で怖がっている子たちもいるから、こちらも怖がっている子たちをむやみに刺激したくないから。幽霊が出るか出ないかはともなく、影や音の原因が見つかり次第、肝試しは終了とするから」

「はあい、わかりましたぁ……」


 彼女はにたぁ……と笑った。うーん、綺麗な子だけれど、いろいろと惜しい子だな。

 そういう訳で、俺たちは舘向さんを連れて、肝試しを続行することとなった次第だ。

 舘向さんは裸足な上に懐中電灯もなしに軽やかに歩くものだから、こちらとしてもどう反応するのかがわからずに迷う。素子さんは先を行く舘向さんに声をかける。


「春からちっとも姿を見せませんでしたけど、授業は大丈夫なんですか?」

「ああ……私が落とした授業は後期からなんで、前期の間は暇なんです」


 あれ、それどういう……。俺は一瞬意味がわからず、隣の素子さんの顔を眺めると、素子さんは難しい顔をしていた。


「ええっと、単位はそれで、足りるんですよね? あんまり落としたりすると……」

「さすがに二年連続で留年したら、ずっと心配してくれているみつるに悪いんで」


 あまりにも当然のように言う舘向さんに、俺たちはただ呆気に取られた。この子とことんマイペースだな。

 肝試しをしたがるっていう変わっているところはあれども、人見知りでもないし、人間嫌いって感じもしない。留年しているっていうのは気になるけれど、これは単純に単位が取れなかったという話でいいのかな。

 わからないと首を傾げつつも、俺たちは廊下を抜け、食堂に入った。電気を付けて確認したものの、特に物音はしない。一応管理人として衛生には気を配っているから、生ゴミもさっさとゴミ出ししているから、虫だって湧かない。

 そこを通って共有スペースも確認する。食堂のテーブルを通り抜けて、団らん室へと向かう。ソファにテレビ。ときどき皆でゲーム機を繋いで遊んでいたり、マガジンラックに立てかけている本を読んだりしているけれど、ここも特になにかが隠れていることはない。

 今日は外れかな。俺たちは息を吐いた。


「とりあえず、今日はなにもなかったから、もう舘向さんも部屋に帰りなさい」

「はあい。おやすみなさい。あ、肝試しってまだ続けますか?」


 そう尋ねられて、俺と素子さんは顔を見合わせる。

 ずっと続いているんだったら、苦情がなくなるまでは続けたほうがいいよなあ……。素子さんが俺に替わって答えた。


「一応続けるつもりですけど。あんまり夜にうろうろしているのはお勧めできないです」

「えー……」


 あからさまに不満げな顔をする舘向さん。この子もどれだけ頑固なんだ。素子さんは「んー……」と間延びした声を上げてから、俺のほうをちらっと見てきた。


「どうしますか?」

「まあ。俺たちの監督している場ってだけなら。ただ他の子たちは怖がっている子たちもいるから、怖がっている子をむやみに誘わないこと。終わったらさっさと部屋に戻ること。それが約束できるんだったら来てもいいけど、できないんだったら……」

「わかりました……! 明日もよろしくお願いしますね。それじゃあ、おやすみなさい」


 彼女はパンを千切ったような口調で挨拶をしてから、テンション高くスキップして、元気に部屋に戻っていった……。ハイなのかローなのかさっぱりわからん。本当に、最初から最後までペースの掴めない子だった。

 外では虫のジリジリと鳴く音が響き、空調を効かせていても、どことなく汗ばむ。

 俺たちは管理人室に戻って、眠ることにした。

 俺と素子さんは隣同士に布団を敷き、座卓を布団の間に置いて、それでもぞもぞと寝間着に着替えて寝ていた。

 ……本当の夫婦でもないんだから、布団を並べて寝るのだって抵抗があったけれど、互いに次の仕事が決まるまでは偽夫婦を辞める訳にもいかなかった。そもそも管理人が寝るスペースが管理人室にしかない。


「電気消しますよ」

「はあい」


 大分前の管理人も、学生たちの使うスペースの空調には気を遣ったものの、管理人室の空調には気を遣わなかったらしい。古臭いクーラーの音が響き、扇風機も引っ張り出してきて回さなかったら、涼しくなる気配がなかった。


「結局幽霊騒動って、ただのデマや勘違いだったんですかねえ……」


 涼しくなるまでは眠れそうもないと、薄手の布団を抱き枕のようにしながら、俺はぼそりと口にする。同じく汗ばんで眠れなかったらしい素子さんから、すぐに返事が来た。


「さすがにそれはないと思いますけど。目撃情報が多過ぎます」

「でも、何故か琴吹さんは見たことがないんですよね。あと舘向さんも一緒に肝試しに参加したものの、遭遇しなかった……」

「うーん……なにか共通項でもあるんでしょうか……」


 素子さんがそう疑問を呈した、そのときだった。

 カリカリ……カリカリ……。


「え」


 俺は天井を見た。たしかに音がした。


「今の音、聞こえました?」

「聞こえました」


 最初は青陽館も古いから、ねずみでも入り込んでいるのかなと思ったけれど、それにしては、音がおかしい。

 カリカリ……カリカリ……。

 まるで黒板に爪を立てたような音が細かく聞こえたあと、音が止んだ。これじゃラップ音だ。空調は未だにあまり効かず、湿気でむせ返りそうになっていたはずなのに、背中の冷や汗のおかげですっかりと体は冷えてしまった。

 布団を深く被った。


「ね、寝ましょう」

「そう……ですね。ひとりじゃ、眠れませんでした。おやすみなさい」


 素子さんの震える声に頷いて、俺もどうにか眠る努力をはじめた。

 ……素子さんに爆弾発言されたことに気付いたのは、次の日目が覚めてからだった。

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