血染めの遺言状
雨宮 徹@クロユリの花束を君に💐
遺言
呼吸さえも憚られるほどの静寂。重々しい空気の中、
「えー、おほん。故人である
「『私、
読み上げた海野さんさえ、その内容に驚いたのか、額に汗がびっしょりと流れている。海野さんはハンカチで汗を拭いつつ、深呼吸をする。
「これが、故人である如月氏の意思であります。これは……非常に不可解なものではありますが、法律的に有効なものであります。しかし……みなさんが変な気を起こさないことをお願いいたします」
「それは、おかしい話だわ! 娘である私、
「つまり、こういうことです。如月氏の遺言状にはこうありました。『家族である如月家および私が考案した暗号を解いた者を、館に集めよ。なお、暗号を解いた者が複数いた場合は、先着三名までとする』。そして、こう続いていました。『別で保管している封筒については、館において、弁護士の海野氏が開封すること』と」海野さんは幸さんから距離をとるように後ずさる。
「なるほどな。確かに、親父さんの遺言状に従えば、ここにいる全員に相続の権利があるわけだ。しかし、親父さんはこうも書いている。生き残った者で分配せよと。これは、幸、君の親父さんがこう言っているんだよ。『殺しあって、自分の取り分を多くしろ』って。なんとクレイジーな一家に婿入りしちまったんだ! オレは資産がたくさんあるというから、結婚したというのに。なんて、ザマだ」
「レオン、まさか、あなたは遺産目当てで私と結婚したとでも?」と幸。
「まあまあ、お二人とも、そうヒートアップすることはないでしょう。幸さん、そう睨まないでください。娘さんたちが困っていますよ」
「こうすればいいのです。つまり、如月氏の遺言状通りにするのです。私たちはここで三日間を過ごす。そして、無事東京に帰ったら赤の他人である私たちは相続権を放棄する。そうすれば、あとは如月家の方たちで配分を決めればいい。違いますか?」結城さんが冷静に言うが、僕の意見は違った。
いや、意見が違うのではない。結城さんの言い分は正しい。しかし、それは理想論だ。莫大な財産を前に、理性を保てる人間がどれほど少ないか。すでに、隣に座っているミステリアスな女性、
如月家の血を引く
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ある日の夕方だった。夕日が部室を赤く染める中、ガラッと音を立てて扉が開く。僕が読書を中断して目をやると、そこには瞳を輝かせた玲の姿があった。ショートカットの金髪が夕日に照らされ、きれいに光っている。
「
「玲、どんな話だい?」僕は思った。「どうせ、部室のポストに事件解決の依頼が入っていたのだろう」と。それも、悪質なイタズラに違いない。ここはミステリー研究会だが、まともな謎解きの依頼が来た試しはない。
「あ、その顔は『またか……』という感じね! でも、今回は今までとは全然違うわ。ほら、この前お爺様が亡くなったって話したわね?」
確かに、この間は玲が「葬式がある」と言って珍しく部室に来なかった。ミステリー研究会に入り浸っているというのに。いや、正確には違う。彼女はミステリーが好きなわけではない。この人の少ない部室で静かに読書したい、ただそれだけなのだから。
「それでね、この前、お爺様の遺言状を開けたの。そうしたらね、うちが所有するある島で、別の封筒を開封することになったの!」
「それで? 面白い話ってどこが……?」僕は玲の話のどこにも面白さを感じなかった。遺言状で指定された別の封筒を開けるのなら、僕には関係ない話だ。
「なによ、冷たいじゃない。誠、あなたは横溝正史が好きだったはずよ。遺言状の開封なんて、ミステリー小説みたいでワクワクするじゃない!」
一向に話の着地点が見えない。
「誠、その遺言状を開けるのは、うちが所有する孤島よ。私の一言で、誠が遺言状の続きを聞けるかが決まるわ。もし、誠がミステリー小説好きなら、これは千載一遇のチャンスよ! 如月家の財産分けについては、遺言状には書いてなかったわ! つまり、今度開ける封筒に遺産の話があるわけ。莫大な財産を巡って、一家で殺し合いが起きるかもしれないわ!」
玲はとんでもないことを言っている自覚がないらしい。もし、財産を巡って殺人事件が起きるのなら、玲もそれに巻き込まれるというのに。
しかし、興味がないと言えば嘘になる。如月家は貿易で莫大な財産を築きあげた。その創業者である如月久嗣氏の遺言状だ。確かにミステリー小説のようで、不謹慎だが面白そうではある。
「さあ、誠。返事はイエス? それともノー?」
答えは決まった。僕は返事をした。「イエスだよ」と。
「ところで、この話は
僕と同じくらいミステリー好きな二人のことだ、抜け駆けしては後からなんと言われるか、分かったもんじゃない。
「当たり前じゃない! すでに二人には話したわよ。誠と同じ返事だったわ!」
なんだ、僕が一番最後だったのか。将来、作家を目指すくらいミステリーに心酔しているというのに、危うく仲間はずれにされるところだった。
「それで、いつ出発するんだい? 日程は決まってるんでしょ?」
僕の言葉に「明日よ!」と玲が返事をする。明日って、いくらなんでも急じゃないか。
「お母様の話では三日間島に滞在するらしいわ。今は夏休みよ。せっかくだから、サマーバケーションも楽しみましょ。それじゃ、ここに集合よ、ミステリーオタクさん」
そう言って玲が差し出されたのは、どこかの港の地図だった。赤い丸がある。ここに集合なのだろう。
「明日、八月七日に朝の八時に現地集合よ! 遠足前の子どもみたいに、ワクワクしすぎて寝不足なんて、やめてよ。それで、寝坊しても、待ってあげないから」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「誠も玲から誘われたわけだ。まあ、誠がどう答えるかは分かりきっていたけどな」電話越しに湊の快活な笑い声が聞こえる。
「それで、誠は荷造りに大忙しなわけか。玲が誠を誘い忘れていたのを思い出して、良かったな。しかし、前日とはねぇ。荷造りに集中したいなら、電話切ってもいいぞ。これ、スピーカーモードだろ? さっきから、ガサガサと音が聞こえるぜ」
「いや、これでいいんだ。荷造りを終える前に寝ちゃあ、困るからね。湊には話相手になってもらわないと」僕はボストンバッグに着替えをねじこみながら答える。
「なるほど、いいように使われているわけか
。それで、誠も当然海パンは持っていくよな? 夏休みにビーチを独り占めなんて、そうできないぜ!」と湊。
「それは思いつかなかった! プライベートビーチなんて、一生に一回くらいだし、持ってくよ!」着替えの隙間に海パンを入れる。あとは……。
「そうそう、あとは寝る前の読書用の本だな。今から入れるんだろう?」湊がニヤついているのが目に浮かぶようだ。
図星だった。せっかくだから、持っていくのは『犬神家の一族』にしよう。まあ、こんな風になるわけないけど。
「二泊三日なんだ、三冊は持ってけよ! 誠のことだ、『読む本がなくて、退屈だ』なんてなっても、本屋なんてないからな。俺も荷物チェックするから、この辺で終わりだ。明日は絶対に遅刻するなよ! じゃあな」
プープーと音がして、通話が切れる。今は二十一時。待ち合わせ場所の港まではそこそこ距離がある。とっとと仕上げて、早く寝ないと、玲の言った通りになってしまう。
結局、僕が荷造りを終えたのは、二十四時を過ぎた時だった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
朝六時。一睡もできずに朝を迎えてしまった。これは行きの船の中で仮眠をとるしかなさそうだ。
予定より早く待ち合わせ場所に着くと、クルーザーが止まっていた。玲から聞いた通り、全体的に白い。それだけだと見分けがつかないが、青い色で如月家の家紋が描かれている。間違いない、これだ。
船の前では、小麦肌でサングラスをかけた女性が、船長と思われる人と喋っている。如月家にこんな人物はいなかったはずだ。首を捻っていると、こちらに気づいたらしい。船長との話を切り上げ、こちらに向かってくる。
「あら、あなたも暗号の解読に成功した一人ってことね」
「暗号? 何ですか、それ」
「あら。じゃあ、如月家の人かしら? でも、あの家族は日本人の母親に、フランス人の父親、それからハーフの双子しかいないはずよ。あなた、どうやってここに?」
「どうやってと言われても……。玲に誘われたんですが」
「あら、如月家の双子姉妹ね。確かお姉さんの方だったかしら。誘われるなんて、ラッキーね。あなたは知らないようだけど、このクルーザーに乗って島に行けるのは、如月久嗣さんの作った暗号を解いた人だけなの。それも、先着三名」
どうやら、普通なら、暗号を解かねば駄目だったらしい。ありがたいことだが、どうせなら暗号を解いてみたかった。
「その顔は、暗号が解けなくて残念って感じね。安心しなさい。ここにあるわ」
差し出されたのは、一枚の紙だった。
「ありがとうございます!」そう言うと、僕は暗号解きに取りかかる。しかし、それを制止するかのように、女性が紙を手で覆う。
「ちょっと、挨拶ぐらいしなさい。私は
「すみません。僕は
その時だった。
「おーい、誠! 遅くなったー」遠くから湊がやって来るのが見える。
「あら、お友達ね。じゃあ、またあとで」そう言うと、加賀美さんはクルーザーに乗り込んだ。「まさか、ライバルが増えるなんてね」と呟いて。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。