Pride
渚のお腹に突き刺さったナイフからは鮮血が流れでていた。
「渚! くそ、やられたか! まだ、間に合うかもしれない。誠、手伝ってくれ! 急いで止血すれば――」
僕は目の前の光景に吐き気がして、湊の手伝いをするどころではない。
僕たちの悲鳴を聞きつけたのか、結城さんたちがドアからこちらを覗き込んでいる。状況を把握したらしい結城さんは、素早くドアを開けると渚に近づくと手首に触った。そして、頭を横に振る。
「湊君、残念だが、もう間に合わない。彼女の脈は止まっている。失血死だろう」
結城さんが淡々と話す。人の死を目の前にして、ここまで冷静でいられるのが不思議でしょうがない。そうか、結城さんは検視官だった。良くも悪くも、人の死には慣れているに違いない。結城さんは引き続き渚の状態を確認している。
「失血死なのは間違いない。死亡推定時刻は……死斑は薄い。下顎には多少の硬直。一時間以内ってところか」結城さんはぶつぶつと独り言を呟いている。
「まさか、本当に人殺しが起きるなんてね」加賀美さんは扉にもたれかかって、傍観している。「誰か知らないけれど、これで私の取り分は増えたわけね」と、不謹慎な発言をして。
海野さんは落ち着きがなく、その場で円を描くようにぐるぐると回っている。「とんでもないことになってしまった!」「私が封筒を開けなければ……」加賀美さんとは真逆で責任を感じているらしい。
「なんにせよ、この状況をみんなに知らせる必要がある。君たちが如月家とリッカルドさんをリビングに呼んでくれ」そう言って、僕たちを指名する。
リビングに全員が揃うと、お互いを疑いあって、険悪なムードが漂う。
「さて、簡潔に状況を言いましょう。渚さんの死因は失血死。腹部のナイフが致命傷です。ナイフは彼女の部屋にあったもの。そして、争った痕跡がありました。つまり、彼女を殺した人物がこの中にいることになります」
結城さんの報告にあたりがざわつく。「こんな奴の言葉を信じられるか!」とリッカルドさん。
「リッカルドさん、あなたの考えはごもっともです。しかし、誰かがまとめなければ、犯人の思う壺です。ここは検視官である私がリードするのが適切でしょう。自身で言うのもあれですが、プロですから」
リッカルドはんはまだ不満らしい。「こいつが犯人だったら、どうするんだ」とぶつぶつ言っている。
「結城君の言う通りなら、死後一時間経っていないことになる。そうとなれば、アリバイを確認するのが筋だろう」海野さんも冷静さを取り戻したらしい。
アリバイか。ミステリー小説で読んだり、ドラマで見たことはあるけれど、まさか僕自身がアリバイを立証する立場になるなんて、予想もしていなかった。
「それなら、俺たちには犯行は無理だな。誠と玲とはずっと一緒にいたからな」と湊。
「それはどうかしら。三人が共犯ってこともありえるわ」加賀美さんが鋭く指摘する。
「では、私たちにもアリバイは成立しなさそうですね。海野さんと加賀美さんとで口裏を合わせている可能性がありますから」
結城さんの言葉に加賀美さんが舌打ちをする。どうやら、自身にも当てはまることを指摘されないように願っていたようだった。
「そうなると、如月一家もリッカルドさんも同じだな。つまり、誰にもアリバイはないわけだ」湊が指摘する。
アリバイから犯人候補を絞るのは失敗に終わった。他に方法はないのか?
「そうだ、一つ忘れていた。これを見て欲しい」結城さんはスマホを取り出すと、海野さんに渡す。そして、時計回りにスマホが手渡される。
湊からスマホを受け取ると、そこには一枚の写真が表示されていた。渚の手首の近くに血文字で英語が書かれている。「Pride」、すなわち誇りと。渚の指には血が付いていない。つまり、この血文字は犯人が書いたものだ。何かのメッセージとして。
「あの、結城さん。ナイフで人を刺したら、返り血を浴びると思うんです。だから――」
「玲さんの言いたいことは分かる。だが、そうはいかない。凶器のナイフは突き刺さったままだった。現場を見て分かっただろうが、ナイフを引き抜かない限り、返り血はほとんど浴びないんだ。ドラマでは脚色されているが」
それは初めて知った。そうなると、返り血を浴びたくなくて、あえて抜かなかったのか、たまたま抜かなかったのかで大きな違いがでる。返り血を避ける方法があることを知っていたのなら、それなりに知識のある人物の犯行になる。結城さんも海野さんも知っているに違いない。
「それで、今後はどうするんだい?」レオンさんが結城さんに問いかける。
「このままでは、次の犯行が起きてもおかしくありません。やはり、全員がこのリビングで過ごすのが良いかと」
「そんなこと、真っ平ごめんだわ! 殺人犯と一緒にいたら、皆殺しにされかねないわ。私は部屋で篭らせてもらうわ」
「幸、待ってくれ!」幸さんを追うように、レオンさんの姿が扉の向こうに消える。
「こりゃあ、次の殺人が起きるなら、二人のどちらかが被害者だな」湊が呟く。
「そうとも限らないみたいよ。愛さんもいつの間にかいなくなっているから」加賀美さんの指摘を受けてあたりを見回すが、確かに愛さんの姿はなかった。
玲以外の如月一族は自分が殺さなかねないという考えはないらしい。
しばらく沈黙が続き、耐えられなくなった僕は加賀美さんに話を振る。
「そういえば、幸さんが『暗号は如月家に縁のある人にしか配ってない』と言ってました。暗号を解いたということは、加賀美さんもなにかしらの形で、縁があるんですか?」
加賀美さんの顔が曇る。どうやら、地雷を踏んだらしい。
「いいでしょう。話してあげるわ。隠しておいたら、犯人扱いされるから。簡単な話よ。如月久嗣さんの遺言状を作る時に、立ち会ったのよ。公正証書立会人として」
公証立会人。それは遺言状が誰かが偽装したものではないことを証明する人物だ。
「じゃあ、久嗣さんと知り合いだったんですね」
「ええ、まあね。久嗣さんは生前、サーフィンが趣味だったのよ。私はライフセーバーだったから、たまにお呼ばれしていたわけ。プライベートビーチだって、事故は起こり得るから」
なるほど。加賀美さんの日焼けはそれが理由か。あれ、そうなると検視官である結城さんはどうしてここに呼ばれたのだろうか。おそらく顔に出ていたのだろう。結城さんがこちらを振り返る。
「検視官がなんで久嗣さんと縁があるのか? って顔をしてるな。海野先生は如月家の顧問弁護士だ。海野さんとは友人でね。それも理由の一つだが、以前に如月家で起きた殺人事件に立ち会ったことがあるんだ。幸さんの母親殺人の現場にね」
そういえば、過去にこんな記事を見た記憶がある。「如月久嗣氏の妻、惨殺される」というタイトルの記事を。確か、あれもナイフによる刺殺だった。警察の見解としては、強盗によるものだったはずだ。
「まあ、そういうことだ。さて、晩御飯といこうじゃないか。腹が減っては戦はできぬ、と言うし」と結城さん。
「ちょっと待って! 仮に部屋にあった凶器
を捨てても、さすがに包丁とかは捨てられないわ。つまり、犯行が続くのは間違いないわ。やっぱり、ナイフは護身用に必要そうね」
加賀美さんの指摘によって、再び沈黙が訪れた。まるで、世界から音が消え去ったかのように。
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