凶器と狂気

 海野さんの口から発せられた言葉はにわかには信じがたかった。十億の財産をここにいる全員で均等に分けること。一階の倉庫と各自の部屋に。その時、僕は気づいた。あの厳重にロックされたトランクに凶器が詰まっているに違いない。



「まあ、みなさん落ち着いて。三日間、ここで三日間過ごせばいいんです。変な気は起こさないでくださいよ。そうだ、幸さん。東京に連絡する手段は何かありますか?」



 結城さんの問いかけに「無線機があるわ」と、幸さんは機械室に向かった。しかし、戻ってきた幸さんの顔には絶望が浮かんでいた。



「駄目だわ! 通じないわ!」



「あー、非常に言いづらいのですが……。我々が着いた時には壊れていたんです。おそらく劣化でしょう。ケーブルが切れているんです。つまり……」海野さんが口ごもる。



「私たちは外部との連絡手段を失った。そして、迎えのクルーザーが来るのは三日後。これはまずいことになりましたね」結城さんが言葉を引き取って続けた。



 その場から動く者はいなかった。





 最初に沈黙を破ったのは、渚だった。「これは、何かの冗談よね? タチが悪いわ」



「冗談? そいつはどうかな。一階の倉庫を見れば、はっきりすると思うぜ」リッカルドさんは倉庫の方を顎で指す。



「さっき、色んな部屋を見て回ったが、倉庫だけは鍵がかかっていた。弁護士さん、あんたが鍵を持ってるんじゃないか?」とリッカルドさん。



「ええ、確かに久嗣氏の遺言状に一つの鍵がありました。しかし、倉庫を開けるということは、我々はパンドラの箱を開けるようなものかと。賢明とは思えません」



 海野さんの言葉は力強かった。ようやく本調子に戻ったらしい。



「確かに、倉庫を開けるのは賢くないかもしれない。だがな、倉庫の鍵をあんたが持つのは賛成できないな。不平等ってやつだ。久嗣の爺さんの言葉通りなら、各自の部屋にも凶器はあるらしい。だが、あんただけが倉庫のものを独り占めするのはどうかな。俺はあんたに怯えながら三日間過ごすのはごめんだぜ」



 リッカルドさんはそう言うなり、海野さんの首根っこを掴む。うぐっ、という声が漏れる。



「そこまでだ。疑心暗鬼は久嗣さんの思う壺だ。私たちは久嗣さんに試されているんだよ。莫大な財産を前にした者がどう振る舞うかを楽しんでいるんだ。天国からな」



 結城さんは天井を指しつつ言う。



 そう、これは久嗣さんからのある種の挑戦状なのだ。理性を保って三日間を過ごせるか、あるいは野獣の如くお互いの命を奪い合うか。



「あの、一つ提案があります。こうしてはどうでしょうか。部屋にある凶器も倉庫の鍵も海に捨てる。これで、誰も怯えずに三日間を過ごせます」我ながらナイスアイデアだ。



「誠の言うことは正しいわ。でも、一つ欠点がある。例えば絞殺は凶器なしで可能よ。お金に目が眩んだ人が、あたしたちを襲わない保証はないわ」と渚。



 その発想はなかった。人体自体が凶器になり得るという考えは。そして、身の安全を確保するには、護身用にナイフなどが必要になる。久嗣さんはここまで計算していたに違いない。



「何はともあれ、三日間過ごすんだ。何も起きないことを願うよ」そう言い残すと、リッカルドさんは二階の自室に戻っていった。



「まいったな。倉庫の鍵は投げ捨てるとして、各部屋の凶器についてはどうしようもない。性善説を取るしかないな。そうでしょう、海野先生」結城さんが海野さんに問いかける。



「そうですな。しかし、この中に財産を狙って、人殺しをする輩が出ないとは限りません。不本意ではありますが、リッカルドさんのおっしゃる通り、自室の凶器を護身用に持つことは避けられないでしょう」



「まさか、こんなことになるとはね……。玲のせいで命懸けのデスゲームに巻き込まれるなんて、いい迷惑だわ」と渚。



「その言い方はないだろ! 玲だって、知らなかったんだ。玲を責めるのはお門違いだろ」



「あら、湊は玲の肩を持つのね。まあ、惚れた女だから、当然でしょうけど」渚がサラッと暴露する。



「渚、言っていいことと悪いことがあるぞ! 今、渚は一線を越えたんだ!」湊は今にも渚を殴らんばかりに手を握って拳を作っている。



「おお、怖いわ。ほら、言葉一つで誰だって他人を殺しかねないのよ。莫大な財産を前に理性を保てる人がいるのかしら」



「幸、君は変なことを考えてないだろ?」レオンさんは心配そうだ。



「それはどうかしら。でも、仮に人殺しをすれば、三日後に警察が来た時にバレるんじゃない? そのリスクを負ってまで、殺しはしないわよ」幸さんはあくまでも冷静だ。



 だが、どうやら幸さんは隙あらば誰かを殺そうとしているらしい。この険悪なムードをどうにかして変えなくては。



「じゃあ、これならどうですか。凶器を捨てた上で、グループ行動をする。そうすれば、変なことを考えることはないでしょう?」と僕。



「誠くんの言う通りだな。こういう時は団体行動するに限る。さて、組み合わせだが――」



 結城さんの声は湊の声に遮られた。



「俺たち四人は一緒にさせてくれ。知り合いの方が、安心して行動できる」



「それなら、君たち学生グループはそれでいこう。あとは私に海野先生。リッカルドさんに加賀美さん。あとは如月家三人だな。如月家でグループを組めばいい。残りの四人で三つ目のグループを作ろう。それで問題ないか?」



 海野さんと加賀美さんが首を縦に振る。



「そうと決まればリッカルドさんを連れ戻す必要があるな。日中は常にグループ行動をしてください。就寝中は――どうしようもなさそうですね」結城さんは半分諦めムードだった。



 こうして、僕たちの三日間は始まった。デスゲームという名の三日間が。

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