すこしふしぎ文学(短編集)
島崎町
翻訳の国
イヒッシュケルトナー。我々はその国を「イヒ」とだけ呼ぶが、直訳すると「翻訳」の意味だ。イヒは我々にとって重要かつ必要な国だ。
イヒがなぜ必要な国なのか。それは我々の国からは行けず、イヒにだけ面している国との交流に必要なのだ。その国の名は我々の言語では表現することができず、なにか別の音に置き換えることも不可能だ。なのでここでは「その国」としておく。
その国はとても豊かなようで、慈愛に満ちた国だと思われる。そして我々の国にとても関心を持ち、積極的に交流を望んでいるとのことだ。
なぜこんな迂遠な表現になるかというと、我々はその国と直接交流を持ったことがないし、そもそも交流を持つこと自体が不可能だからだ。その国は我々とはあまりにかけ離れていて、言語、文化、生態、その他あらゆる面で異なっており、我々がその国を知覚することは物理的に困難なのである。
見えもしない、聞こえもしない、そんな国のことを我々が知り、そして交流を行える唯一の理由がイヒなのである。
イヒの住民は流動的な知覚を持っており、相手の言語や文化、生態に合わせて知覚形態を変えられる特性を持つ。例えるなら、金庫のダイヤル状の鍵を回し、正解にたどり着く能力のようなものだ。カチカチと回しながら相手と繋がる位置を即座に見つけられるのだ。
その国が我々とコンタクトをとるときは常にイヒを通して行われ、両国が交流をつづけられているのはイヒの存在があってこそだ。実のところ我々の国は豊かではない。かつては豊かだったときもあったが、たびかさなる戦争で国は疲弊した。豊かさを求めて他国に攻め入り、そのせいでまた貧しくなる。だからまた戦争を行う。その繰り返しである。
いま我々の国がかろうじて存在できているのは、その国の慈愛に満ちた贈り物のおかげである。長年つづく支援によって、民はかろうじて食いつなぎ、つぎの戦争の準備もようやく整った。
多くの国との交戦を経験し、我々は学んだことがある。小国に勝ったところでなにになろう。豊かな国に勝ってこそ実りの多さを享受できるのだ。
我々の狙いはその国だった。いままでの贈り物の質、量からして、その国の豊かさははかりしれない。いま我々が必要としてるのはその国だった。
我々はイヒにそのことを伝えた。宣戦布告を行う旨だ。イヒは当然反対した。我々がその国を攻め滅ぼせば、イヒに価値はなくなる。もし我々の攻撃が失敗に終わったとしても、我々とその国との交流は途絶えることになり、やはりイヒは不要となる。
しかし動き出したものは止められない。邪魔をするならイヒも滅ぼす。そういう我々の考えが翻訳の国たるイヒに伝わったのだろう。イヒの行動は意外なものだった。
イヒは我々に攻撃を仕掛けてきた。まったく予想外ではあったが、我々は戦争には慣れている。慣れすぎたと言ってもいい。三日後、我々はイヒを滅ぼした。これは自衛の戦争だった。我々はイヒの国土を焼き払い、住民をすべて殺した。
我々を止めるものはもうない。ついに我々はその国へ攻め入った。が、イヒの向こうにはなにもなかった。その国は、なかった。ただただ不毛な荒野が広がるだけで、だれひとり住人はいなかった。
これは翻訳の国イヒを失った代償なのだろうか。そもそも知覚できない国と民の存在を、我々はどうやって認識すればいいのだろう。目の前に広がる無人の大地には、我々にはわからないが、豊かな営みがいまも行われているのだろうか。
それともその国などはじめから存在せず、我々はイヒの言葉に騙されてきたのだろうか。
いまでも議論はつづいている。さまざまな説があげられては消えていった。
あるものは言う、その国などなかったし、そもそもイヒすらかなったのだと。存在していたとすれば我々の意識、頭の中にあった。他者との交流、他国への敬意、相手を思いやる心、それこそがイヒだったのだ。そして我々はついにそれを失ったのだと。
イヒッシュケルトナー。我々はその国を「イヒ」とだけ呼ぶが、直訳すると「翻訳」の意味だ。イヒは我々にとって重要かつ必要な国だった。
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