電車の傘 ~わすれもの保管所1~

旅の資金がなくなって、降りた駅で仕事をすることになった。


見知らぬ町で地図にも載ってない。


「わすれものの町」というのが名前らしいが、由来を聞いてもみんなわすれてしまっている。


「わすれもの保管所」で求人が出ていると教えてもらい、行ってみた。


平屋の建物で長方形に長いから、きっと倉庫なんだろう。横にある事務所には気さくな男がいて、僕と同じくらいなのかそれとも年上なのかわからなかった。


わすれものは多いよ。男は言った。この町ではたくさんのものがわすれられる。だから保管してる。だれも取りにこないけどね。


案内しよう。そう言って男は事務所を出て、倉庫を開けた。


なかに入るとしずかでうす暗く、ずらっとならんだ棚にわすれものがひとつひとつていねいに並べられている。わすれものがじっと冬眠してるみたいだ。


いろんなものがわすれられるんですね。僕は言った。そうだよ、だから俺たちの仕事があるってわけさ。男は、僕が昔からここで仕事をしてるみたいに“僕たち”と言った。


わすれものはたくさんあって種類も豊富だけど、大半がふつうのわすれものだった。そう言うと、男は顔をほころばせ、目の前にある傘を手に取った。


傘だ。男が言った。


傘ですね。僕も言った。


男はくいっと、首をななめに傾けて、また元に戻した。一種のストレッチだろう。


この傘はね、電車にわすれられていたんだ。よくある、そう、よくある。実際、この町の電車でのわすれもの第1位が傘だ。


たいていの町でもきっとそうだろう。だけど理由が違うんだ。この町で傘が電車にわすれられる理由。


きみは電車に乗って外からやってきたと言ったね。じゃあ町のなかを走る電車には乗ってないわけだ。そう、路面電車さ。今日、帰り道に乗ってみるといい。ああそのとき、傘をわすれずにね。


小さな、屋根のないホームで待ってたら、思いつきみたいな間隔で電車がやってくる。乗降口は前方にひとつしかないから、きみはそこで待つ。


乗客が降りてくる。最近はレインコートを着てる客が多いだろうな。流行はやりなんだよ。それに実用性もある。みんな水をしたたらせてるけど気にすることはない。そんのは慣れっこなんだ。


客が降りたらきみが乗る番だ。乗ったらきっと驚くだろうな。俺の忠告はこうだ。多少かっこうわるくても、乗る前から傘は広げておいた方がいい。


もちろんこの町の住人は乗る瞬間にさっと広げられるからムダがない。でもきみは今日が初日らしいから仕方がない。傘を広げて、電車に乗る。そうすると、なかはしとしと雨が降っている。


雨漏りなんかじゃもちろんないよ。だって今日は天気がいいだろ。降っているのは電車のなかだけ。


おくしちゃいけない、乗ったらそのままなかへ進むんだ。夕暮れどきは客が多くて座れないかもしれないけど、むしろそれでいい。だってきみが座ればズボンはびしょびしょだ。


昨今レインコートが流行はやっているのはそういうわけさ。雨の車内でも快適に座れる。いっぽうきみはつり革につかまって傘をさしていればいいんだ。


どうだい? むずかしいことはないだろ? 電車は動き出す。この町の中心を通り、郊外に向かって走っていく。町中まちなかを走ってるうちは雨が多いだろう。まあ旅人への洗礼だと思ってくれ。


だけどしだいに、建物の身長が低くなっていくだろ? だんだん視界が開けてくる。四角い街並みが丸みを帯びて、遠くの山や空が見えてきたら、雨はしとしとやわらかくなっていく。


そうしたら雨はむしろここちよくなるはずだ。さわやかな水気が一日のほてりを冷ましてくれる。もしかしたらきみは、傘から垂れる水滴をちょっとさわってみるかもしれない。


感触がするだろ、水の感触。それはこの町だよ。この町のはだざわり。


濡れた窓の向こうはよく晴れた夕暮れだ。きみはうれしくなるよ。ここにきてよかったと思う。明日も楽しみだ。


宿は郊外の安いホテル。その駅では、きみのほかだれも降りないようだ。だから降車を知らせるボタンを押すのにちょっと緊張するかもしれない。


まあ、こどものときのわくわくを思い出してくれ。きみはボタンにふれる。思ったより力はいらない。ふれたと同時にチャイムが鳴って、電車は止まる。


車内の雨はいつのまにか止んでいる。きみは傘を閉じ、濡れた床を注意深く歩く。その靴じゃあ、すべってしまっても文句は言えないよ。


用心して歩き、料金箱になにがしかの金を入れ、電車を降りる。外は晴れている。空気がおいしい。見知らぬ町にやってきた旅人にとって、最高の時間だ。しずかに終わっていく一日を背に、きみはホテルへ歩いていく。


背後でドアが閉まり、電車が走っていく。雨の降る電車。すてきな出会いだった。


そこではっときみは気がつく。傘をわすれてしまった。


雨が止み傘を閉じたときだろうか、それとも電車の床を用心深く歩こうとどこかに置いた? あるいは知らない通貨単位に苦戦しながら料金箱に入れたときかも。


とにかくきみは傘をわすれた。この町の電車わすれもの第1位、ここに保管されてるたくさんの傘のなかの一本が、きみのものだったんだよ。


そう言って男は傘を棚にもどした。

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すこしふしぎ文学(短編集) 島崎町 @freebooks

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