左折できない車 ~その代わり安い車~

左折できない車が販売されたとき、人々はとまどった。


直進や右折、バックももちろんできるが、左に曲がることは機能上不可能なのだ。不便この上ないが、値段は安かった。唯一そこだけが利点の車だった。


はじめはもの好きが買った。左に曲がれない不自由さをあえて楽しむ。ややゆがんだ嗜好だった。


左に曲がりたいときどうするのか、というのはもちろん議論になった。だがこれは簡単だった。右に曲がるのだ。そしてまた右に曲がり、もう一度右に曲がる。そうすると実質左折したことになる。


これは<三回右折技法>と呼ばれ、のちに運転免許取得において必修項目となった(下図参照)。


×←②→→→→③

  ↑    ↓

  ①    ↓

←←←←←←←④



しかし<三回右折技法>には弱点があった。本来は②の位置で曲がりたいのに、一つ手前の道を左折したことなってしまうのだ。


これをいち早く指摘したのが自動車力学者のJ・シュタイナー、Y・エドワードの両博士で、その名を冠して<シュタイナー・エドワード(SE)問題>と呼ばれる。この<SE問題>を解決したのもシュタイナー博士だった。


シュタイナー博士は言った。「本来曲がりたい道の一つ先で<三回右折技法>を行えば、目的の道で左折できたとこと自動車理論上は同等になる」


いまこの言葉を聞けば、だれもが当たり前のことだと笑うだろう。しかし博士のこの言葉――のちに<シュタイナーの真言しんげん>と呼ばれる――は当時においては画期的で、いわばコロンブスの卵、コペルニクス的転回であった。


左折できない車の問題は<シュタイナーの真言>によって解決した。「不自由だが安い車」は、単に「安い車」となった。


これが自動車史における大転換パラダイムシフトだった。それまで月に二台売れればヒットだったこの車は、突如としてその年の売り上げ台数一位になった。とにかく安いのだ。


もの好きしか乗らない車が一夜にして国民車となった。人々は我先にと買い求め、道路は左折できない車ばかりになった。


さて多くの人が知るように、ここで新たな問題が生まれた。右折レーンが左折できない車であふれることになったのだ。


多くの車が<三回右折技法>を行い<シュタイナーの真言>に従うため、右折レーンは「もともと右折したい車」と「本当は左折したい車」で埋まった。


左レーンで左折する車はなくなり、直進車のみとなり、北北西大学で自動車学を教える須田教授が調べたところ、比率は左レーン1に対し右折レーン250という驚くべき結果だった。


こうなると、政府も早急に対策を練らなくてはいけなくなった。右折レーンは慢性的な渋滞となり、人々の生活にも支障が出た。物流も停滞、救急車両も間に合わなくなり、多くの人が命を落とした。


<右折公害>。こんにち知らない者はいない言葉はこのとき生まれた。


一刻の猶予も許されない状態と総選挙のタイミングが重なったのは奇跡と言ってよかった。「自動車右折党」が旗揚げされ、できたばかりのこの党は、議席の八〇パーセントを獲得した。


自動車右折党により<右折公害>は大胆かつダイナミックな方法で解決されることになった。直進レーンの廃止である。ぎっしり埋まる右折レーンとスカスカの直進レーン、「1 : 250」という異様な比率に対して振られた大鉈だった。


そうしてすべての道路が右折専用道路となった。問題は解決した。それまで、極度の渋滞により車は進まず、一度も右折できなまま日をまたぐことすらあったが、全道路右折化により車列は前進しはじめたのだ。


左折できない車はまた売れはじめた。<右折公害>で売れ行きが低迷していたのだが、問題は解消された。さらに全道路右折化により「左折できる車」が存在意義を失い、自動車販売台数の一〇〇パーセントが「左折できない車」となった。


売れ行き上昇により製造コスト削減に成功した左折できない車はさらに安くなった。人々はさらに左折できない車を求めた。


全道路右折化は焼け石に水だった。右折レーンと新右折レーン(旧直進レーン)、どちらも埋まり、以前と同じどころか、何十倍もの渋滞を引き起こした。


それまでは一日あれば一度は右折できた。しかし、あらゆる道路が右折車で埋まった結果、一日、一ヶ月、一年……いたずらに時間だけがすぎていくことになり、ついには目的地にたどりつくまえに人生を終わってしまう者が続出した。


人々は一年中車の中で生活し、つぎの右折を待った。右折レーンの車内で生まれ、育っていく。右折レーンで出会い、車内で結婚し、新たなる生を授かり、人生をすごしていく。


もう家は必要はなくなった。政府が法律を制定する前に民間で住宅解体の動きがはじまった。住宅地や農地、商業地、工業地、道路以外のあらゆる場所がつぶされ、新しい道路に生まれ変わった。


いまや、すべての土地が道路となった。もちろん右折専用だ。こんにち「道路」という言葉を使うとき、それは右折専用という意味を内包する。若い世代はもう「左折」という概念を持たない。


そうして何年かに一度、車はわずかに進み、運がよければ何十年かに一度、右折する機会を得る。右折を一度も経験しないまま、一生を終える者も多い。


車内では何世代もの生と死が繰り返される。ゆっくりと、いらだつほど緩慢で退屈な車内の人生。だが永遠に停止している車はない。気がつくと車はゆっくりと進んでいるのだ。


そうしてついに、幼かったころ祖父母から聞かされた「右折」が行われる。ハンドルをゆっくり右に切る。見慣れた道路の風景が背後に消え、眼前にあらたな道が現れる。


「見ろ、この道を」そう言って後部座席を振り返るが、子どもたちはもういない。成人して、自分だけの「左折できない車」に乗り換えた。あの道で出会い、共にすごした妻ももういない。


フロントガラスを、あたたかくも寂しい、赤い光りが染めた。夕日だ。そうか、新しいこの道は西の方角だったのか。


ひとり夕日を眺める。いい人生だったのかもしれない、そう思う。もう二度と右折を経験することはないだろう。それでもこの人生の中で一度は右折できた。


自分が死んだらこの車はどうなるのだろう。新しい乗り主がこの車を所有し、出会いや別れを経験し、いつかまた右折するのだろう。そして何世代かののち、あと二度の右折が行われ、そのとき車は東を向く。一年中、日の出の明るい光をあびるのだ。


車はまた、大渋滞の中で動きを止めた。しばらくはもう動かない。フロントガラス越しに前を見る。赤い夕日が落ちていく、左折できない車の中で。

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