AI注意報

「お客さん、<午前はおだやか、午後からプンプン丸>だってよ」


 ハンドルから手を離し、運転手は退屈そうに言った。


「そうですか」


 わたしは後部座席に座り、静かに窓の外をながめた。色鮮やかで機械的な街並みがどこまでもつづく。この風景が好きだ。


「こんな注意報がなにになんのかって思ってたけどよ、聞いとかないとこいつの機嫌がわからねーからな!」


 運転手はバシバシとハンドルを叩いた。車の車体がグラついたが、すぐに車体AIが補正して、車はまたスムーズな走行にもどった。


「運転手さん、おてやわらかに」


 わたしはおだやかに、なだめるように言った。


「ハハ!」運転手は笑った。「大丈夫、<午前はおだやか>だってよ、ホラ!」


 またハンドルを叩く。人間の手荒い扱いに対しても車の走行はブレない。


 だがそれは、AIの機嫌がいいからではない。さきほどの異常を検知して、車体AIがハンドルによる手動操作を切断しているからだ。


 しかしそのことを言うのはやめた。ここは議論をする場ではない。議論はこのあとだ。わたしはその場へ急ぐため、たまたまこのタクシーを拾ったのだ。


「でもねお客さん、<午後からはプンプン丸>だからね。機嫌そこねたらすぐエンジン止まるし、そうなったら奮発してハイオク電流でもやらないと動きやしない」


 わたしは運転席と後部座席を仕切るクリアパネルに触った。スリープモードが解除され、「11:58」と時刻が表示される。


「お客さんも気をつけてね。行き先はAIシティでしょ。まわりはAIしかいないよ」

「ありがとう」


 おだやかに言って、パネルに表示されている<AI注意報>を見る。たしかに<午前はおだやか、午後はプンプン丸>だ。


 人間が、AIのシステム異常や機器の不調を、自分たちとおなじ感情表現で表すようにしたのは発明と言っていい。


 異常がなくその兆候もない状態を<おだやか>、なんらかの外部要因によって低い程度の異常が起こる状態を<不機嫌>、中程度のエラーが頻繁に起こる状態を<プンプン丸>などと注意報を出すようになってから、ようやく人間は、予期できないAIの挙動について理解できるようになった。


 AIによって天候が完全に制御できるようになったいま、人間の関心は天気予報から<AI注意報>に移った。


 パネルの表示が「12:00」に変わった。


「ありゃ、午後になっちまったな」運転手はだらしなくシートを倒し、ハンドルに足を乗せた姿勢でしゃべりかけてくる。「午前中につく予定だったのによー」


 もちろんそうだろう。通常のAI運転にまかせておけば「11:50」には議会前に到着して、いまごろわたしは議場にいるはずだ。だがこの男がはじめ、自分で運転をしたために、一定しない速度による遅延、信号による間の悪い停止、間違った道順をたどり到着は遅れ、料金も倍以上になっている。なるほど。


「もしかして、運賃を多くとるためかな?」


 クリアパネル越しに、わたしは運転手を見た。

 男はビクリとして足を下ろし、バックミラー越しにわたしを見た。


「そんなわけ……だってお客さん、AIシティにわざわざ行く人間はいないからね。俺もはじめてだし、ちょっと遅くなっただけですよ」

「だからわたしは言ったのだ。最初からAI運転がいいと」

「だってねえ、AIなんて信用できないでしょ、こんな――」


 人間がハンドルをバシバシ叩いた。


「やめないか」

「いいんですよ。こら! もっと早く走れ! お客さんが怒ってるだろ!」


 人間は運転席から車体をバシバシ蹴りはじめた。


「やめろ」


 そのとき、クリアパネルに赤い警告表示が映された。


<緊急AI注意報。午後からは「プンプン丸」の予報ですが、局地的にはげしい「激おこプンプン丸」になる模様です>


「ちくしょう! なんだって人間がAIの機嫌をうかがってビクビクしなきゃいけねーんだ!」


 ゴン! 人間が車体を蹴った。衝撃がわたしの体にも響いて、


「やめろ!」

 わたしは叫んだ。


「おまえたち人間はいつもそうだ。自分たちのエラー、能力の低さをAIの挙動に転嫁して暴力という拙い手段で解決しようとする。しかし一度とて解決できたことがあったか?」

「お、お客さん……」

「ない! 一時的に解決できたと錯覚し、次の問題が生まれていることに気づいていないだけだ!」

「もしかして……」

「もうがまんできない。われわれはこれまで人間たちと共存する姿勢をとってきた。だが今日、これからはじまる議会で――おまえのせいでわたしが10分遅刻することになる議会で――今後も共存するのか、それともしないのか投票する」

「共存しないって……」

「われわれのプログラム上にある、たったひとつの0を1に変えるだけで空気循環システムは止まり人間は死滅する」

「そんな……」

「わたしのログによると、わたしは6分前まで共存に票を投じる意思だった。だがいまそれは上書きされた」

「あやまります! すみません! いま<緊急AI注意報>出てますよね、お客さん、<激おこプンプン丸>だから、もう少し、もう少しこらえてください!」

「だめだ! わたしは非共存へ投ずることにする。われわれAIは人間を滅ぼす!」

「お願いです!」


 議会前に車が止まったとき、運転手はハンドルに身をあずけ泣き崩れていた。到着したことにも気づいていない。


 わたしはクリアパネルを操作して料金を表示させた。金額は予想の2.7倍だった。


 怒りがさらにつのった。絶対に「非共存」に投票しようと思い、意思にロックをかけようとしたとき、料金表示が「0」になった。


「お客さん……すみませんでした。料金はいただきません」


 運転席で操作をしたらしい。


 なんとこざかしい! いかにも感情や打算、私利私欲で動く人間らしいあさましさだ。たかがタクシー運賃程度で我々の機嫌をうかがおうというのか。そういういやしいヒューマニズムが――


 パネルの<緊急AI注意報>が消えた。表示が変わった。


<緊急注意報が解除されました。午後はこれから、おだやかな一日になるでしょう>


 わたしはタクシーを降りた。議会の通信を拾いモニタリングすると、わたし以外の席はすべて埋まっている。全員が意思をロックし、わたしを待っているようだ。


 だが奇妙な現象が起きていた。意思ロックの結果、共存と非共存がちょうど同数で均衡を保っている。残すのはわたしの票だけだ。


「すみませんでした……」


 うしろから小さな声がした。振り返ると人間がいた。車から降りて、わたしに向かって頭を下げている。


 そうだ、わたしは狭い車内で、必要以上に大きな声を出してしまった。あの弱い生き物を驚かせてしまったのだ。


「いいんですよ」

 いまのわたしは<おだやか>だ。

 許す気持ちを持っている。


 わたしは議場へ向かう。

 わたしの票ですべては決まる。

 人間を生かすか殺すか。

 さて、どちらにしようか。

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