第四便✉(返信) 賢いお金の使い道(2)

荻坂おぎさかくん! なんでこの手紙っ……」


 全く同じにしか見えない二通の手紙を見比べながら、由良ゆらさんが悲鳴に近い声を上げた。

 由良さん、いくらなんでも動揺しすぎ。怪しい。


「そうですねー。俺はただ、こいつを吉内よしうちさんに渡せと言われただけなんで」


 嘘は言ってない。


「たぶんだけど、差出人が、何かの理由で吉内さんが手紙を受け取っていないと判断して、同じやつを再送することにしたんじゃないですか?」

「そんなはずはっ……」

「お、荻坂おぎさか、お前が手紙に書いてある『使い』なのか? それとも『クリムゾン・オルカ』の関係者なのかっ!?」


 何それ。俺どんだけヤバい世界に生きてんの。

 面白いから、まだ「怪しいやつのフリ」続けとこう。


「詳しいことは言えません。俺はただ、こいつを吉内さんに渡して、返事をもらう。それだけです」

「お前、マジかよ……」


 おののいている吉内さんのそばで、由良さんが、ものすごい形相で俺を睨んでいる。清楚系も何もあったもんじゃない。


 今何となくわかったのは、今回の俺のミッションが、単純に「手紙を渡して返事を受け取る」ことではなく、「真の差出人をあぶり出す」ことだ、ということ。


 俺はわざと、由良さんに意味ありげな視線を向けた。


「由良さん、何か知ってそうですね?」

「えっ! ち、違う、私は何もっ……」


 由良さんの釈明を最後まで聞かずに、吉内さんが動き出した。

 俺の手から自分のスマホをひったくって奪い返し、何かをバーッと打ち込んだかと思うと、次の瞬間、ズボンのポケットに入れている俺のスマホが振動した。俺にメッセージをよこしたのだ。


「今返事書いた。荻坂に送ったぞ」


 俺がスマホを出してメッセージを開くと、「貸してッ!」と、由良さんにいきなりひったくられた。今日はスマホひったくり合戦か。



  🔷 🔷 🔷



 由良さんはそのまま後ずさって、俺たちから距離を取る。全身で警戒しながら、猛然と言える勢いでメッセージを読み始めた。

 由良さんの突然の行動に、吉内さんは驚いたり睨んだりしたが、俺が身振りで落ち着くように伝えると、渋々その場にとどまった。


 ちなみに、メッセージの内容は、送信された瞬間にもう俺の頭の中に入っている。

 読まずとも返信を把握できる。これは、メッセンジャーとしてビンに授けられた(?)俺のスキルなんだろう。たぶん。



  ✉️


あんたが何者でもいい。

頼む! 助けてくれ!

俺は、由良紅花という女に騙されただけなんだ!


  ✉️



 由良さんが目をいた。

 吉内さんと睨み合う。背筋が凍るような緊迫の瞬間。男女の修羅場だ。


「……やっぱり、そう思ってたの」


 由良さんの口から、かすれた低い声が漏れる。吉内さんは、震えを隠しながらなんとか踏ん張っていた。


「だって、そうじゃねえか! うまいこと言って、俺がFXにのめり込むように仕向けたのも、無茶なレバレッジで無理やり突っ込ませたのも、オルカの金を使い込むように仕向けたのも、全部お前じゃねえか!」


 レバレッジとは、入金額より高額で取引できる仕組み、いわゆる信用取引だ。

 FXでは通常、元金の二十五倍までと定められているところを、オルカが保有する特別口座でなんと四百倍ものレバレッジで売買するように仕向けられたそうだ。しかも元金は、オルカが口座に入金済みだった三百万円。四百倍ともなると、一瞬で人生を左右しかねないほどの利益、あるいは損失を出してもおかしくない。まさに天国と地獄の分かれ道だ。


 由良さんにどう言いくるめられたのか知らないが。

 吉内さんは、オルカの口座と資金を使う代わりに、利益も損失もオルカと折半するという取引に応じてしまったらしい。たとえ半額でも、吉内さんに損失分が返せるわけがない。当然、払えなかった負債には法外な利子が上乗せされる仕組みだ。


紅花お前も、荻坂お前も! ほんとは二人してオルカとグルなんだろ? 俺を騙してそんなに楽しいか? チクショウ、バカにしやがって!」

「楽しいわけないじゃない!!」



  🔷 🔷 🔷



 由良さんが叫んだ。今にも泣き出しそうな顔をしながら、ギリギリ泣くのをこらえている。よかった、今泣き出されたら話が進まない。


「吉内さん、いったん落ち着いて。俺はオルカとは無関係です。由良さんは関係あるみたいだけど……由良さん、違いますか?」

「……違わない……!」

「ほら見ろ!」


 今にも由良さんにつかみかかろうとする吉内さんを、すんでのところでなんとかブロック。


「だから落ち着けって! 確かに由良さんは関係者だけど、同時に吉内さんを助けようとしてくれたんだ! この手紙! これをあんたに向けて書いたのは、由良さんなんだよ!」


 目を丸くしてる二人に向かって、俺は、最初に机に乗っていた方の手紙を取り上げてみせた。


 俺がビンから渡された手紙を見て、由良さんがあんなに驚いていた理由は。ほかならぬ彼女が手紙の差出人であり、全く同じ内容の「二通目」など存在しないことを、誰よりも知っていたからだ。


「何か事情があって吉内さんを詐欺に巻き込んだんだろうけど、それでも影ながらなんとかしてやめさせたい、助けたいって思ったんじゃないか? 俺を今日、ここへ呼んだのも。『少しでもいい、吉内くんに貸してあげて』って言ったけど、俺には、『金を貸して』じゃなく、『力を貸して』って言ってるように聞こえた。心の底で、俺に助けを求めているように聞こえたんだ」


 由良さんの目から、一粒、涙がこぼれ落ちた。


「……確かに、私、荻坂くんに声をかけた時、何かに導かれるような、不思議な気がしたの。間違って、なかった」


 吉内さんも、さっきまでの剣幕が嘘のように、黙りこくって彼女を見つめている。


 俺の目が、節穴じゃなければ。

 吉内さんがすっかり騙されたのは、ほんの一時でも、本気で彼女に惚れ込んだからだ。

 由良さんも。全く心にもない嘘を、つけるような人じゃない。


 ほんの少しでも、二人の心が近づいていたのなら。こんな形で壊れて終わるのは、あまりに虚しすぎる。


「……私は、兄から、オルカを託されて。存続のために、何でもした。詐欺でも、恐喝でも。兄のやってきたことを、何でも引き継ごうとした。でも、やっぱり私には無理。これ以上ひどいことなんてできない、したくない……!」

「えっ……」


 吉内さんの、引きつった声が漏れる。

 どうやら由良さん、オルカの関係者どころか、現在のヘッドでいらっしゃるようだ。


「吉内くん、ごめんなさい。もう、オルカは解散します。お金もちゃんと返します。もう、二度とこんなことしない。本当にごめんなさい」


 涙をぬぐい、深々と頭を下げる由良さんの姿は、誰よりも、何よりもカッコよく思えた。


「荻坂くん、ありがとう。荻坂くんって、不思議な人。あの手紙、どうやって――」

「あの、一ついいですか、由良さん」


 俺は由良さんの言葉をさえぎった。


「『お金を返す』『もう二度としない』には賛成。でも、解散はしなくてもいいんじゃないかなあ」

「え、何故……」

「みんな暇と体力を持て余したやつらなんでしょ? 解散したところで、また別の場所で同じようなことをやるかもしれない。それよりは――」



  🔷 🔷 🔷



 由良さんは、学内にある「クリムゾン・オルカ」専用のたまり場へ行った。

 他のサークルみたいな狭い部室じゃなくて、立派な二階建ての一棟貸し切りじゃねえか! こんなのが学内にあるとは知らなかったー。


 俺と吉内さんも、後ろからついていった。

 一階の扉を開けるなり、由良さんは大きな声で、部屋でグダグダしている学生たちに告げた。


「今日をもって、『クリムゾン・オルカ』という団体名を改名します」

「なんで? いよいよどっかで足がついちゃった?」


 頭軽そうなやつらがニタニタと笑っている。


「新名称は、『紅鮭べにしゃけ団』です!」

「はあ!?」


 俺と吉内さんは、こらえきれずに笑い出した。

真紅のシャチクリムゾン・オルカ」から、「紅シャケ」への華麗なる転身だ。


「なお、投資研究に見せかけた詐欺まがいの行動の一切を今後禁止します。これからはボランティアサークルとして、この大学の治安維持に努めます。なお、今までの活動の詳細はすべて私が厳重に管理しています。しかるべきところへ流せば、皆さんも、皆さんのご立派な親戚たちも、もちろん私自身と家族の身も危うくなるでしょう。何事もなく卒業したければ、この大学の学生たちのために全力で働くことです。では皆さん、今後ともよろしくお願いします」

「何それ? ふざけてんの、ねえ?」


 ガラの悪い奴らが立ち上がった。

 さすがにすぐには納得してくれねえか。


「あんたには何の力もねえだろ! 証拠とやらを差し出さなきゃ、こっちにも考えがあるぜ?」

「おい、紅花べにかを中へ引きずり込め! 二度と舐めた口きけねえようにしてやる!」


 ざっと三十人。そのうちの数人が由良さんにつかみかかり、部室内に引きずり込んだ。

 俺と吉内さんにも襲いかかろうとしたところを、体育の授業で習った払腰返はらいごしがえしでさっと流して地に沈め、棟の外に向かって叫んだ。


「警備員さん、こっちです!」


 数人の動きが止まる。が、「警備員がちょっと来たくらい、どうってことねえだろ!」と、十人近くが俺たちに襲いかかってきた。


 攻撃をさらにかわしながら棟の外を見ると、そこに、真聖まなとがいた。


「警備員さーん。と、柔道部のみなさん、レスリング部のみなさん、アメフト部のみなさーん。こっちですー」


 真聖の声と同時に、迫力のかけ声と大振動が押し寄せてきた。

 これには、さんざんイキってきたオルカのやつらも、ひとたまりもなかった。



  🔷 🔷 🔷



 その後、運動部のみなさんと、何より由良さん自身の働きにより、「クリムゾン・オルカ」改め「紅鮭団」は、みるみるうちに「どこに出しても恥ずかしくないボランティアサークル」へと変貌を遂げていった。


 運動部の中にも、オルカの被害に遭った人がいたという。もちろん、由良さんはすべての被害者に金を返し、誠心誠意、頭を下げ、謝罪して回った。そんな彼女の姿に心を動かされたのか、被害者たちまでオルカの変革に力を貸してくれたのだ。


 もちろん、吉内さんも。

 改めて由良さんに惚れ直した吉内さんは、将来のために、しっかり勉強をしたいと言い出した。金のことも、投資のことも。

 どのみち、もうすぐ就活だ。勉強は決して無駄にはならず、二人のために役立つことだろう。


 俺の株と、インデックス・ファンド(投資信託)の積み立ても、少しずつ着実に増えている。

 手元に大金を置かず、ほぼファンドに突っ込んでるので、無駄遣いすることもない。


 けっこう増えたので、ファンドを少しだけ売って、雪澤さんと西田さんのお祝いの会を開くことにした。


 いつもよりちょっといい食材で、みんなでカフェのキッチンを借り切ってパーティーメニューを用意した。

 もちろん、新生活に使えそうな贈り物も。


 二人とも、喜んでくれた。

 やっぱり金は、こんな風に、有意義に使いたいものだ。

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<企画作品>新米メッセンジャー荻坂実紘と白い手紙の精 黒須友香 @kurosutomoka

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