第2話「魔女さん、今日はご機嫌ですね」
魔女さんの家の中は、それはそれは様々な知的財産に溢れる家でございました。足の踏み場がない。なんてのは、表現のひとつでございましょう。そんなことはない。かろうじて人が通れるだけの道はできているから、踏み場はある。そういうのを言うのでしょう。
しかし、例に漏れず、いっそ漏れだして欲しいほどに、魔女さんの家は玄関から先――家に入ってみたものの、振り上げた足をその場に下ろすしかないような有り様でございました。
「……魔女さん、どうして……。昨日掃除したはずなのに」
これには現実を直視した狼さんも膝を抱えてしまいます。えぇ、昨日せっかく、汗水垂らし、手ぬぐいで拭き取った苦労も虚しく、散々な荒れ模様となっていたのですから。げんなりです。絶望です。どこから出てきたのか分からないような、見たこともないものばかりが床で自分の居場所を作っており、これには狼さんも嘆き悲しむこととなります。
しかし、魔女さんはどうやら彼のその様子を見て、大変申し訳なさそうな顔をするのです。
「……ごめんなさい。そういえば、徹夜で薬を作っていると言ったねブラブ君」
「はい……。それでお風呂にも入らず、大して身嗜みも整えず出掛けたことは、俺の眼球に刻まれていますね」
「そこまで嫌味ったらしく言わなくても……あぁ、いや。ごめん、私が悪いのです。言い訳を許してもらえるのなら、聞いて欲しいのですが」
そう言いながら、魔女さんは懐から取り出したるは無骨な一本の枝でありましょう。持ち手には雑に巻かれたガーゼ。真っ白な部分と、その上から隠すように綺麗な紺色の染め布が巻かれております。
何を隠そう、これが魔女さんの仕事道具なのです。
その枝で一振、狼さんの頭上を優しくポンと叩くと、それはそれは不思議な出来事――魔法の始まりでございます。
狼さんの体はふよふよと、まるで落ちてくる枯葉が時間を巻き戻すかのように浮上していくのです。これには、狼さんも足をブラブラと動かし、いかにもな不機嫌面を魔女さんへ向けます。
「……いいでしょう。聞きます。ですが、いきなり魔法を掛けるのはびっくりするので、事前に声を掛けてください」
「そうですね。ごめんなさい。……あと、敬語は辞めてください。ブラブはいつも怒ると丁寧な口調になって、余計怖さが増すのです。私はビクビクしながら、お茶を飲むことになるのですよ」
それは自業自得なのでは――と、狼さんは冷めた目で見ちゃいます。そのお茶を淹れてくれと頼むのは、いつも魔女さんです。「おーい、喉が乾きました」ともふもふのソファーに寝っ転がりながら、狼さんを見ずに言うのですから、呆れられても仕方ないのでしょう。
「……薬を作っていると言いましたね。私が道楽や享楽のために、薬草を溶かしているわけではないのです。全てはブラブ。あなたを元の姿へ戻すためです」
「知っている。理解してもいるし、感謝もしてる。……でも、こんな荒れ果てた惨状になるとは思わないじゃないか。それも一日、家を開けたわけじゃないんだ。昨日の夕飯から今日の昼まで、でだ。見たこともないものばっかりだし、どこから持ってきたんだよ……」
ひょっこりと顔を出した埴輪が、狼さんと目を合わせます。なんともいえない、可愛いまるまるとしたフォルム。ぽかーんと空いた口は、さながら狼さんと瓜二つでございましょう。しかし、なぜ埴輪が薬に使うのか疑問で疑問で仕方ないのです。
他にも、異国の物がたくさんあります。それを魔女さんの魔法で飛び抜けているのですから、さながら小さな観光地に来ているようなものです。一つ一つの思い出を魔女さんから聞けば、それはそれは愉快痛快、激烈過激な楽しい時間となることでしょう。
狼さんのストレスが、道楽の域を越えるでしょうけども。
「色々な文献、伝承、様々な土地で行われてきた風習に魔術や儀式。そういった曖昧で神秘的な不可思議なものを魔法へ活かせないかな、と思いまして。結局、薬を作るにも魔力を込めますし、その過程で変化が起きればいいな、と思ったのですが」
「成功したのか?」
魔女さんの顔を見れば悲しい成果は、詳らかとなるのです。狼さんの苦労はまだ続く。狼さんは、いつまで経っても狼男のまま、ということになるわけです。
しかし、そんなことで人生――狼男生を悲観するわけもないのです。狼さんは優しいですから、そんな行き当たりばったり、成功するかどうかは運命次第な不確定要素に踊らされるような男ではありません。
魔女さんには、弄ばれているようですけど。文字通り、手のひらの――一本の枝で自由自在に浮かべられていますけども。
「かろうじて、使えたのが庭の魔法です。薬を撒いた土地に、私が今まで見てきた花や草木が咲き誇るものです」
「へぇ……綺麗だったけど、魔女さんが今まで見てきた花か」
狼さんにとって、見たこともない花がたくさん並んでいて、いい香りがしたのは言うまでもありません。
美しく、風光明媚。眉が上がるような感動さえあったのですから、狼さんにとってはいいものが見れた、と眼福の一途でありましょう。
しかし、魔女さんは魔法も魔法薬も扱う専門家であります。狼さんの感想と、魔女さんの研究は似て非なるものとなります。
だから、狼さんは伝えなければいけません。銀狼の頬が僅かに照れくさくなっても。
「ま、まぁ。冬には珍しい光景が見られたし、魔女さんが今まで見てきたものを俺は知ることができたし、一概に失敗と決めつけるのは、もったいないんじゃないかな」
「…………」
魔女さんは目をまん丸にします。徹夜した脳みそには、これまた染み渡るものです。ふんわりと、ほころぶ桜の匂いでしょうか。まだ冬の真っ只中というのに、魔女さんが感じた優しさは、あたたかな隙間を作りだすのです。
だから、自然と口元が緩むのでしょう。
「……ふふ、そうですね。薬草が近場で手に入ることしか気にしませんでしたが、色鮮やかな庭になったと思えば、午後のスコーンと紅茶も一層美味しくなるものですね」
「もう、おやつの話か? まだお昼ご飯も食べていないのに」
「あ! そうですそうです。お昼ご飯! ブラブの手作りご飯がまだです。さぁさぁ、ブラブ早く作ってください。私は今にもお腹と背中が引っ付いてしまいます」
「はいはい。焦らないで。ご飯を作るから、適当な場所へ下ろしてくれ。あと、その間に片付けをしてくれ」
かろうじて作られた足場に、狼さんを下ろした魔女さんは右手で綺麗な敬礼をつくります。そして、魔法の力を最大限使っているのでしょう。恐ろしい速さで床に置かれた物達が、ひとりでに浮いては運ばれ。浮いては、納められ。浮いては置かれていきます。
その様子を見て、狼さんは大丈夫だと判断します。狼さんがキッチンへ向かう道は、いち早く片付けれたのを見るに、魔女さんはお腹がペコペコなのでしょう。
もしくは、それだけ楽しみにしているのかもしれませんが、狼さんにとっては花畑の美しさが目に焼き付いているのです。
だから、頑張る魔女さんへある提案をしてみるのです。
「せっかく綺麗な庭になったし、村のみんなを呼んでもいいんじゃないか」
「それは、もう少ししたら、村の皆さんもお誘いしようかと思っています。いつもお世話になっていますし。ですが……しばらくは、ブラブと二人きりで楽しみたいのです。美味しいスコーンとクッキーをお腹いっぱい食べられなくなりますから」
あぁ、食いしん坊な魔女さん。
色気より食い気なのでしょうけど、少しドキリとさせた狼さんには、もう少し踏み込んでも良かったのではないでしょうか。そう思ったのも、狼さんが夕飯まで作ってくれて、風呂の支度までして帰った後のことでした。
魔女さん。後悔先に立たずを身をもって痛感するのですが、まだまだ、二人の生活は続くのです。
焦ってはいけません。そう心へ言い聞かせる魔女さんなのでした。
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