第8話「狼さんのお口はどうして閉じちゃうのでしょう」


「魔女さん、こんなところで何をしてるんだ」


「見てわかるでしょう? 煙草を吸ってます」


「いや、それはわかるけど……」


 魔法の刻まれた――狼さんが狼さんの原因となっただろう本が手渡された夜のことです。

 狼さんがいつものように、洗い物を片付け、朝食用のサンドイッチを作り終えたので、魔女さんへ湯沸かしをお願いしに来ました。しかし、件の人物は、天井に貼り付けられたまん丸な光を見上げながら、煙に巻かれていたのです。

 金色のキセルであります。丁寧に、それも汚れが少ないからなかなか使われていないのかと思えば、木目にはしっかりと灰が色づいているわけで。大切に扱われているであろうものに、魔女さんは口をつけます。

 こういった姿を狼さんが見つけるのは、稀です。というより、魔女さんはなかなかキセルを取り出すことだって、煙を愛している姿さえ見せないのです。

 だから、狼さんは珍しい光景に思わず用事よりも、質問が勝ってしまうのでしょう。


「魔女さんも、煙草を吸うんだな」


「意外ですか?」


「いや? 魔女なら吸っていそうだから、イメージ通りて感じだな」


「そのというのは、危険な思考ですよ。この世に当たり前のことはないのですから」


 儚げな印象がある魔女さん。それは何かあったことの示唆ではないのでしょう。悲しい過去の裏返しではないのでしょう。なにせ、狼さんがそういった匂いを嗅ぎ取れないのですから。自慢の鼻は、こういった時に役立ちます。


「ブラブ。一つ、夜風の中考えていたことをお聞きしてもいいですか?」


「そんな改まらなくても。魔女さんなら、どんなことでも答えますよ」


 狼さん。気安くそんなことを言うものじゃありませんよ。言質を取った、と魔女さんが心の奥底でガッツポーズしているのですから。まぁ、困るのは狼さんでしょうし。きっと、魔女さんからの頼み事で狼さんが困ることなどありませんけども。

 そんな狼さんが魔女さんの背後まで歩み寄ります。


 彼女が座っている椅子には、雨風に晒されそうな場所にも関わらず、綺麗な形態を保っています。カビすら生えていません。机もそうです。材質の木がいいとか、そういうものじゃないのです。腐ってすらいません。

 しかし、そんなことは当たり前の話でもあり、そんなことよりも、狼さんは魔女さんの目線から少し高い場所から見える風景の方が、日常から切り離されたように感じるのです。


 狼さんの目の前には、何日か前に魔女さんが植えた花々が照らされています。ただ、狼さんの目を惹き付けた理由は、その色とりどりのものが原因でないのです。

 いえ、月明かりに照らされ、柔らかい光を煌めかせているのは無論です。しかし、その花に光り輝くモノがついては離れ。浮かんでは花弁で一休みしています。それが、いくつも、花の数以上あるのですから。


「魔女さん。この時期に蛍なんかいないよな」


「ん? ……あぁ、あの光のことですか」


 キセルを咥えながら、魔女さんは本題に入る前に、狼さんの興味を優先させます。なにせ、こういったことを説明できるのは、魔女さんにとっても嬉しいことですから。

 ぷかぷかと口元から、煙が出ながら魔女さんは優しく語ります。


「ブラブにとっては、珍しいでしょうね。あれは蛍とか触れるような昆虫ではありません。もっと言えば、生きているのでしょうけど、私達の目の前でその存在をアピールすることはない不思議な存在です」


「……どういうことだよ」


「あれはいわゆる『妖精』というものです」


「……はぁ」


 狼さんは唖然とします。いえ、綺麗なものが妖精だと聞いてみると、想像と違うのです。ですので、なんとも薄味な反応となってしまうわけで、魔女さんはそんなことに憤慨するような様子は微塵も見せず、熱せられた息を吸い込みます。


「想像と違うでしょう? もっと人の形をしているとか、絵本とかに出てくるものと違って、虫みたいに小さいと思ったでしょう?」


「えぇ……肩に乗れるくらいかと思っていたんだけど、あれじゃ手のひらどころか、指先くらいだ」


 そうなのです。狼さんが言った通り、輝く妖精は、大小様々な光を放ちますが、そのどれもは大人の指先以上もないほど小さいのです。微小です。

 それが点々と空気に色付けを施すのですから、狼さんの中で見聞の精査を行っている最中なわけです。


「あの子達はイタズラ好きですけど、ああやって薬草に集まっては効能を変えたりしているのですよ」


「イタズラ好きなのは知ってるけど……そんなことしてるのか」


「はい。よく見れば色が違うのと、たまに匂いが変わります。魔女にとっては、必要な存在なのですよ」


 ぷかぷかと口から流れてくる煙が、狼さんの鼻を刺激します。ただ、不快だとかそういうのではないのです。

 むしろ、狼さんくらい嗅覚が優れていてもなお、怪訝な顔をしないのです。珍しい煙草に違いありませんし、その煙草を作ったのが魔女さんだとすれば、納得の品でしょう。


「どうやっても、今わかっているだけの薬草では新しい病を治す薬や魔法を生み出すことはできないのです。特に呪いを解くためには、あの子達の存在は貴重なのですよ」


「そうか……。あの子達てことは、今までもずっと魔女さんの傍にいたのか?」


「いましたけど、ブラブや一般の人が見えるのは今日この時しかないのです。頭上のお月様が煌々と輝く日にしか、あの子達を見ることができないのです」


 真上の月――狼さんが見てしまったら、思わず吠えてしまいそうな寂しさを浮き上がらせるようなお月様。雲が掛からないような晴空に、浮かんだ光はまさしく、狼さんが見ても幻想的な美しさを醸し出しています。

 まん丸とした、ぷっくりの月を見ては狼さんの視線がゆっくりと見上げる女性へと移ります。その横顔は、キセルを咥えながらも、どこか幼く、そして麗しく見えるのです。


「満月というのは、狼男の本性を現すらしいですけど、ブラブはいつも通りみたいですね」


「安心してくれ。遠吠えなんて生まれてこのかたしたこともない」


「そうですか、それは少し残念ですね。聞いてみたかったです」


 魔女さんはこういった時であっても、どんな時もマイペースでしたが、なぜか狼さんの目には違って見えるのです。おかしいですね。なぜでしょうか。

 そんなことを思っていても、とりあえず聞いてみればいいのだろう、と恐れ知らずな狼さんは口を開きます。


「魔女さん。なにか悩み事か?」


 魔女さんの横顔はどこか儚げでした。どこか寂しげでした。どこか諦めさえ滲んだ悲しさまでありました。

 そんなこと、狼さんの勘違いかもしれない。でも、狼さんは勘違いでもいいのです。

 もし、そうだったらそうだったで、魔女さんが茶化してくれます。そんな安心感は、常に狼さんを包んでくれているのです。優しい羽毛のように。

 ですが、もし。本当に悩み事を抱えていたのなら。狼さんが気になった時に聞かなかったこと、それを悔やみそうな気さえするのです。

 魔女さんは今まで一人だったからこそ、一人抱えてしまうのではないか。背負いこんでしまうのではないか。

 そのまま、地中へ埋まってしまうのではないか。

 そんな僅かばかりの恐怖が、狼さんを動かしてくれます。


「悩みというほど、大したものではありませんよ。ですが……そうですね。良かったら、聞いてくれますか?」


「えぇ、もちろん」


 そう言いながら、狼さんは魔女さんへと近づくと、着ていた灰色の外套を掛けます。つまりは、コートですね。まぁ、それもそうなのです。今の季節は冬、真冬です。寒さの絶好調です。例え、魔女さんの家の周りが花も咲き誇るような景色であっても、気温までは春より程遠いのですから。

 それを少し驚きながら、それでも魔女さんは微笑みながらコートの首元付近へ鼻をちかづけます。


「ブラブの匂いがします」


「そりゃ、俺が着ていたし……臭かったらごめん」


「いいえ、いい匂いですよ。さっきのミネストローネの匂いがします」


 食いしん坊でもありませんが、魔女さんの鼻はブラブの体臭よりもトマト系の甘酸っぱい匂いを感知するのでした。ただ、その外套は魔女さんよりも大きいので、魔女の体がすっぽりと隠れてしまうのでした。

 しかし、そのお陰で、誤魔化せたものもあります。


「ブラブは、あの本を誰が書いたか知っていますか?」


「いや……父親も何も言わなかったから。ただ、不思議な本だとは思ったけど」


「あれには呪いが掛けられています。それは、ブラブの体を見れば一目瞭然でしょう。しかし、それをわざわざ本にまで掛けたということは、その本に痕跡が残っているわけですから、なんとかすれば、張本人が分かるだろうと思ったわけです」


「それで、その犯人は誰だったんだ?」


 狼さんは、魔法に詳しくありません。魔法を扱うなんてもってのほかです。だから、あの本に呪いが掛けられていることも、そこから犯人を見つける手掛かりがあることも知らないのです。

 だから、本題を聞きたいのです。そういうものです。魔女さんが、呆れた溜息を吐いていたことが気になってはいるものの、自分の体が元通りになる方がいいのです。魔女さんに余計な心配も掛けたくないですし。

 さて、そんな気持ちとは裏腹に、魔女さんは気怠さをこれ以上ないくらい体から溢れさせながら。

 可愛いお顔に、不釣り合いな皺を寄せながら。


「一番最初の魔女――『原初の魔女』です。犯人は、魔女が一番知る、『聖域』を作り、そして誰よりもイタズラ好きの魔女の仕業なのです」

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