第7話「あぁ、今日も面白い」


 大惨事にならず、ボヤ騒ぎにさえもならない家屋にて、魔女さんの隣には狼さん。魔女さんの目の前には、訪問者の女性。この三人が少しせまぜまと机にて、紅茶を嗜んでおられました。


「ありがとうございます」


 女性の目の前へ、差し出されたのは焼き立てのマフィンでございます。砂糖が程よく溶け、バターと混ざりあった匂いは、どうにも人種を問わず幸せへ包み込みます。実際、魔女さんはマフィンのことしか見えていないようで、女性に差し出したのは他でもない銀狼です。


「――で、ブラブとこの方はどういった関わりなのでしょうか」


 小麦色の幸せを手掴みに、魔女さんは問いかけます。もぐっ、と一口頬張ってみればじゃりっとした砂糖の砕ける心地よい感触とふわふわとした考えで浮かび上がった生地が口の中で仲良く解けていきます。

 舌鼓とはまさにこれのことかな。


「関係もなにも……」

「私。アデレードと申します。この銀狼とは、幼馴染の腐れ縁で此度の時までを過ごしてきたのです」


「おい、幼馴染は良いとして腐れ縁とはなんだ」


 あぁ、狼さん。気に入らないのでしょうか。はたまた。そんな憤慨した感情を奥底に隠してまで、不機嫌を顕にする必要もないでしょうに。

 しかし、狼さんは大人でもあり、子どもなのです。

 それは誰にでもあり、誰にでもないのです。

 黄金色の雲を掴めば幸せになると思っていても、そこへ手を伸ばすことに躊躇いを持つのです。


「腐れ縁ですか。そう。ブラブとは、長い付き合いということでしょうか」


「魔女さん……」


「ブラブ。あなたは隠していることが多すぎるのです。それが、魔法薬作りに支障が出ていることをその体毛の先端程でも思っていただきたいのです」


「…………すみません」


 しおしおになった狼さん。しかし、そんな彼をおっかなびっくりと見つめるアデレードさん。珍しいのでしょうか。まぁ、そうでしょう。魔女さんが自堕落的幸福に身を投げ出さず、こういった場を設けているのですから、狼さんとしても従うしかないのです。

 その姿が非常に面白おかしく見えていてもいいのです。


「ふふ。ブラブ。随分しおらしくなられて。誰にでも噛み付いていた狂犬の姿ではなくなったようで、安心しました」


「誰にでも、と言いますとブラブはお転婆だったということでしょうか」


 腐れ縁というのです。魔女さんが知らない狼さんの姿を知っていてもおかしくありません。

 なにより、魔女さんは狼さんのことをよく知らないのです。怠惰的生活にあぐらをかいていたら、いつの間にか枯葉が吹き飛んでいたくらいですから。


「お転婆というほど、銀狼は女々しくなかったですけども。まぁ、我儘放題だというのは村の皆で呆れていたものです。釣った川魚で熊へ喧嘩を売っていたくらいですから」


「…………何をしているのですか」


 じと〜と狼さんを疑う魔女さんの視線。あぁ、痛いですね。縮こまった体毛が更に萎縮しちゃいます。えぇ、恥ずかしくも勝手気ままな武勇伝であります。


「その……腕試しを、と」


「あなた……熊がどうして狩人に命を狙われているのか知らないのですか」


「それくらい知ってる。だけど、さ。子どもでそれを理解しろ、てのは難しいだろ」


 特に育ち盛りだったのでしょう。ブラブの恐れなくも勇猛果敢な蛮勇とやらは、数多の人々を手にかけてきた熊にさえ届くのですから。さながら、雑木林に落ちたちょうど良さげな枝を聖剣だ、と振り回す勇者です。


「まぁ、今こうして生きているのですから。不問にしましょう」


 こうして、魔女さん主体の魔女裁判は終了となります。いやはや、怖いですね。恐ろしいですね。ですがこれにて大団円、めでたしめでたし――と天幕が降りるわけはありません。

 魔女さんは、紅葉色に染まった豊かな風味を糧とすることで、次なる標的へと目移りします。


「――で、ここからが本題です。アデレードさん」


「長くて呼びにくいでしょう。アーレーと、気軽にどうぞ、親密にお呼びくださいませ」


「…………では、アーレーさん」


 なんともはや。魔女さんの出鼻を挫くのも珍しい話でありましょう。まぁ、話をする人物というのも狼さん以外いないので、他者との関わり合い自体珍妙であることは、この際、蓋をするとして。このアデレードさんは、白髪をはなめかせ、たなめかせる優雅さを持ち合わせてなお、魔女さんとの駆け引きに身を投じているのです。

 流石は、狼さんとの腐れ縁でありましょう。狼さんがこれまた珍しい人物? 狼男物? であったなら、彼の友も同じようなものでしょう。類は友を呼ぶと言いますが、類縁とやらは呼ぶものでなく繋ぎ止めるものでしょうから。


「ここへやって来たのは何が目的でしょうか? 知っているかどうかは分かりませんが、魔女の家というのは誰も立ち入らない聖域にあります。とても危ないことのはずです」


 え……そうなの。と狼さんは大きな口をぱっくり開きます。いえ、聖域は誰も立ち入らない。誰も入ってはいけないとされているのは知っています。

 しかし、それが危ないから、というのは初めて聞くのです。そんな場所に気安く訪れては、長らく滞在している自分は大丈夫なのか、とか。何か体に変調はないのか見渡しますが、その全てが杞憂であると気づくのはまた後のことです。


「知っています。聖域の危険性も、もちろん把握しています。しかし、そこの狼男に『とあるもの』を届けるよう頼まれたのですよ。ですので、危険を承知かつなにかあった時の責任は狼男にとってもらおうと思っています」


 そう言って、取り出したりますわ。

 あぁ、そうですね。魔女さんの家の周辺はさながら春風の世界ですから。彼女がローブの下へ隠した厚手の服へ艶やかな手指を伸ばしたのも、外は寂しい世界でした。

 そんなこと、魔女さんは気にしていないでしょうけど。しかし、気になるものがそこから出てくるとすれば、面白おかしく見えてくるものです。機嫌も良くなるものです。

 ことん、と難なく出てきたものが、机の並んだマフィン達より目立ったのは、そのおどろおどろしい見た目のせいでしょうか。頑丈な鎖でグルングルンと縛られ、幾つもの錠で封じられたその本は、いかにも『危ういもの』の自己紹介を済ませるのです。


「かつて、ブラブの父親が持っていて。勝手に盗み見た男が狼男になってしまった原因とされるもの。書斎の一番奥に隠されていた本であります」

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