第6話「なんだか、甘い煙は不思議ですね」


 面白いことが起こる時。それは平凡な毎日に色がつくようなものである。

 誕生日なら赤色かもしれない。いや、告白した日こそ――恋人との仲繋ぎができた時こそ頬の火照りと同じ色かもしれない。

 悲しいなら青。嬉しいなら黄色。豊かであるなら緑。そういった日々に彩りをつけ、死んだ時神様へ褒めてもらうのが、人生というものであったとすれば。

 銀狼の狼さんが、昔昔からの幼なじみに出会うことは、これまた――とてつもない春めいた色をしているのでしょう。



「ブラブをお呼びと」


「はい。こちらにいらしているとお聞きしたものですから」


 魔女さんの自宅。のっぺりとした丸々の家。その玄関先に、これまた珍しい来訪者がいるのです。やってきたのです。

 髪は雪を積もらせてたような白色。腰まで伸ばした絹糸を後頭部で可愛らしく結んだ美少女。容姿端麗。所作もそれとなく気品さすらあります。顔立ちも透明感溢れるもので、あやうさもあり、儚げなものです。

 漂う雰囲気を、大人しめな服装で彩った彼女は魔女さんとそう変わらない年齢にも見えます。ですので、魔女さんは少し危機感があるわけです。


 (どうしてブラブに……? しかも、このような美人さんとお知り合いだとは聞いていませんけど……)


 はい、差し出がましく取り出しますは、赤き恋情。いえ、淡き嫉妬と言いましょうか。いわゆるジェラシーというものであります。

 と言いますものの、狼さんと魔女さん。相当な仲ではありますが、お互いを好いているかどうか。それは判断に苦しむようなものです。しかし、それはあくまで断定するならば、というもので。結論を導き出すために証拠を集め、確固たるものとする。それを目論むとするなら、あくまで狼さんと魔女さんは恋仲でないにしても、少なからず相手のことを好いている。

 といった状況であります。

 しかも、お互い恋心なんてあやふやなものに振り回されるだけの経験のなさもあるわけで。とどのつまり、魔女さんは狼さんと知り合いだというこの女性へ、わずかながらの嫉妬を眉間へ寄せているわけです。


「あいにく、ブラブはまだ来ていません。その内来るはずですけど、良ければどういった要件かお聞きしてもいいですか?」


「はい。構いませんが……その前に後ろの部屋からおぞましい煙が吹き出していますけども、大丈夫です?」


「え……あぁ! 大変!」


 魔女さんは作業中です。ということは、魔法薬を作っている最中であります。つまるとこ、魔女さんが目を離した隙に魔法薬はとんでもない発煙筒に変わり果てた、ということです。

 実際、女性が見えているだけでも家中に蔓延した煙は、七色に輝いていますから。凄いですね。黒でも、白でもない。木々が燃えたような残酷な煙でもなく、家々が乾き果てるような残虐とおぞましさの雲でもない。ただただ、優しい匂いを漂わせ見ていてもそれが危ないものだとは思えない。そんな神秘的な煙なのです。

 しかし、女性もせっかく訪問した先で問題が起これば、気が気でないのは当然でしょう。申し訳なさよりも先に、体が家の中へと足が伸びるのです。


「あの――」

「大丈夫か!? 魔女さん!」


 猛速力であります。突風であります。猛風でもありましょう。数多の礫が頬を撫で、それだと認識するよりも早く。狼さんはこの異常事態に飛んできたのです。

 唖然としたりますは、女性でありましょう。ポカーンと、狼さんの纏った辻風を眺めては事のなりゆきと行く末の邪魔にならないよう、位置取るわけです。


「魔女さん、これはいったい!?」


「あら、ブラブですか。ちょうどよかった。この煙、有無も言わず浴びてください」


「はぁ!? それより火元が――」


「いいから」


 狼さんへ向けられた魔女さんの瞳は狂ってなどおりません。むしろ、正常でありましょう。普通でございます。えぇ、魔女さんにとっての異常事態と狼さんにとっての非常事態は、切り離した時、別物であるのですから。

 そのあまりな様子に、狼さんも躊躇い。生唾をごくん、と飲み込んで魔女さんの足元から湧き上がってくる煙へ向かいます。

 なんてことはありません。魔女さんの足元にあるのは、小さな小さな。手のひらサイズの鍋です。そこから吹き上がる極彩色の煙に、頭をこすりつける狼さん。


「…………甘い」


「えぇ、甘いです。嫌悪感を無くすため、甘味料を入れました」


「…………これ、火事とかじゃないんだよな」


「この家で火事など起こるわけがありません。前にも言いましたけど、この家は私の願いを聞くのです。火事を望めば話は別でしょうけど、そんなこと、この身が裂けても有り得ません」


 ――大切な場所ですから。


 魔女さんの横顔を、煙くてしょぼしょぼのお目目で確認する狼さん。その顔はなんともはや。

 大人というのは、子どもの体が大きくなっただけ、と誰かが言っていたことにあながち間違いではない。そう思った狼さんでありましょう。

 悲しげで、真摯で、つぶらな瞳。

 魔女さんの横顔は、流れ星を見つめる少女のようで、さながら狼さんは、それに見蕩れる少年でございました。

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