第14話「お出かけ、おでかけ」
「さぁ、ブラブ。行きますよ」
優雅な夕下がり、穏やかな一日。健やかな雲が太陽のあたたかさを感じている中、魔女さんは狼さんへいきなり言います。
突拍子もなく、突然のことです。
「行くって……どこに?」
洗い物を途中止めにするわけもいかず、狼さんは木のボウルを洗います。先程までサラダが入っていた円形の皿は、ところどころにトマトの種がついています。
それを水に掛けながら、丁寧に落としては石鹸で泡立てた布を回していきます。
「もちろん、村へです。思い出したのですよ、今月の薬を届けていないことに」
「……忘れてたのか」
「違います。名誉のために言っておきますが、ここ最近の聖域は少し変化がありました。飛び交う妖精をブラブも見たでしょう?」
「見たけど……」
狼さんは思い出します。
魔女さんが月夜に照らされながら、煙草を嗜んでいる姿を。その目線の先には、憂いたものとは無縁な点滅があっちらこっちらと飛び交っているのです。
その横顔が、その後ろ姿が、その微笑みが、その言葉が、声が、声音を思い出すと狼さんの頬が僅かばかりに、血がめぐります。
「あれは、言ってしまえば『地球が絶好調』の時に起こります。元気一杯になれば、溢れ出るものもたくさんあります」
「魔力がたくさん流れてたのか」
「はい。ですので、私も煙草を嗜んでいたわけです」
その言葉に、狼さんは疑問符を浮かべます。
あれ、おかしいぞ、と。嗜んでいるとは、普段全く吸わない人が魔女さんです。
それなのに、あの晩は吸っていました。
「満月の夜は地球がご機嫌となります。そうなれば、この聖域だって魔力の渦だらけで、例え魔女であろうとも魔力酔いしてしまうのです。だから、煙草で酔い覚ましをしていたわけです」
「魔女さんでも酔うのか……」
びっくりするのです。
狼さんは酔うどころか、魔力が脈々とたゆたっていることすら分かっていなかったわけです。普通に、今まで通りいた。ですが、それを認知している人――ないしは、無意識にでも触れられる人からすれば、恐ろしい環境にあったのは言うまでもないでしょう。
「当たり前です。酒を好きな人間が、毎日飲み続けたとしても、違う酒を飲んでしまえば酔い狂うのと一緒です。いつも飲んでいるものだけ耐性ができ、そうでなければ酔ってしまう。
魔力も同じですし、あの日は煙草の効能も試したかった側面もありますが」
「煙草の効能て……吸いすぎると怒られる人もいるんだから、免罪符になるようなものは作らない方が」
「無論、吸わない方がいいのは確かです。ですが、人というのは、安心を求めるのです。例えそれが人だろうと、物だろうと、空想上だろうと、です。なにより、他の方がこの煙草を吸うことで魔力酔いが軽減され、聖域に来られるようになれば、私も嬉しいわけです」
「…………それはこうやって出掛けるのが億劫だから、とかじゃないよな?」
あら、魔女さん。慣れない口笛を吹いてしまいました。ふーふーふーふー。気の抜けた息だけが吐かれ、そっぽを向いてしまう魔女さん。
分かりやすい反応です。
そして、分かりにくい反応です。
「まぁ、本音はどうなのか知らないし知りたくもないからいいとして……。満月の夜があったから、村へ行くのを忘れた理由てのは、もしかして地球のご機嫌伺いか?」
「絶好調なわけでしたから。溢れたものをある程度は妖精が吸収するので、問題ありませんでしたが、乱れていたのは事実でしたから。整えてあげたら、意外と時間が掛かってしまったのです。ですから、ブラブも一緒に行きます」
「強制的なのは仕方ないとして……。荷物はどこだ?」
狼さんは魔女さんの手を確認します。
宙ぶらりんと、しなやかに伸びて狼さんよりも小さい手がそこへ手持ち無沙汰となっています。
かといって、近くの床へ荷物があるかと言われたら、それらしいものは無いです。
「外にありますよ。そこそこありますから」
「そこそこ……」
狼さんは嫌な予感がして、魔女さんの進む足について行きます。ギギィ、と金属の軋む音の先――そこには、木籠や革目の綺麗な鞄が宙に浮いていたのです。
それも、一つや二つではありません。
「多すぎないか……」
「全部持ってもらうわけではありませんよ。一つだけ持って貰えたら助かります」
多すぎる――その言葉が事象を証明するには、些か不足しています。そこには、十以上の薬品の詰まった鞄達が大挙していたのです。それこそ、鞄屋が売っている以上の浮遊数です。
その中から、狼さんは溜息を吐き出しながら取っ手を掴みます。すれば、意志を失ったのか――役目を失ったのか、いえ、狼さんへ全てを託したのでしょう。重力に従った黒鞄が、腕へ重みを証拠として居座ります。
からから、と。
たぷたぷ、と。
「大変だな……」
「そうでしょう? ちなみに、村に着いた時はもっと大変ですよ」
「え」
狼さんはぱかーんとお口を開けます。
あーあ。そんな狼さんを置いて突き進む魔女さん。可哀想に。行きはよいよい、帰りは怖い、というわけではありませんが、実際、大変なのは村へ着いてからだったのは、この後物語ることでしょう。
今は呆然とした狼さんと、荷物へ掛けた魔法に全神経を集中させている魔女さんの対比を残しておくことにしておきましょう。
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